徒然と認める

△△。

楽しい思い出もたくさんあって
同じだけ辛い思い出もたくさんあった土地。


美しい自然、美味しいごはんにお酒、質の高い温泉、お世話になった尊敬する地元のおじさん。
好きで好きで仕方のないものがあるのに、帰ることができなかった。


その地に戻ることで、昔の自分に戻ってしまうのではないかと、怖かった。
自分の意見もなく他人の言いなりになって、保身のためには大切な人も傷つける。
そんなあの頃の弱い自分が甦ってしまうこと。まただれかを傷つけるんじゃないかと、怖かった。



そして、なによりも、
弱い自分を見ることが、
弱い自分を認めることが、
弱い自分を許すことが、
怖かった。



離れてからの2年。
麻痺していた感情が戻ってくると同時に、自責の念にかられた。
どうしてあのとき、あんなことを言ってしまったんだろう。
どうしてあのとき、本当の気持ちを言えなかったんだろう。
どうして、どうして、、




わたしがもし、戦時中の日本人だったら、
天皇陛下万歳!と戦争に参加し、そうではない人たちを非国民だ!と責め立てたのではないか。
わたしがもし、第二次世界大戦中のドイツ人だったら、ユダヤ人の知り合いを軍に引き渡していたのではないか。


わたしは運が良かった。幸いにも、人を傷つけるだけで済んだのだから。
自分に前世があるのなら、この弱さで何度も何度も人の命を奪ったような気さえする。



気のおける友人たちに、たくさんたくさん、話を聞いてもらった。当時のことや、幼少期のことまで。
自分の弱さを見つめ続けた2年だった。
(人の優しさに助けられ続けた2年だった。)


フラッシュバックのように思い出して突然泣いたり、叫んだり、鬱状態になったり、が落ち着いても、どこか乗り越えられなくて。

もうすぐ2年も経つのに。あんなことさえ乗り越えられない自分はなんて弱いんだろう、とまた自分を責めていたある日、ふと『死ぬまで気にしててもいい。一生付き合っていこう。』そう自然と思えたとき、過去が変わった。



人生で一番大切なものをそこで失った。それが辛くて認められなくて、ずっともがいて後悔していた。

でも、わたしは何も失ってなかった。失ったと思ったものは、何倍にも何乗にもなって、此処にあった。ずっとわたしと共に在った。自分以外の誰かに、奪われてなんかなかった。奪うことなんて、出来なかった。



わたしは、強かった。



そう思い出したとき、
其の土地は、たくさんの経験、感情を与えてくれた大好きな場所になった。
辛さに埋もれていた、楽しくてキラキラした思い出たちが甦ってきた。



そして、26歳の誕生日という節目の日を、其処で過ごす流れになった。
笑顔であの土地に帰ることができる。こんなに幸せなことはない。


最近インスタグラムのストーリーで当時のことを書いているのは、ただただ自分のためで、あの頃の辛さをなぞり昇華させ、あの頃の楽しさを味わうため。



振り返れば振り返るほどに、わたしの人生は面白い!
世界で一番、わたし好みの人生だと実感する。




1週間後、わたしは△△にいて、26年目が始まっている。

冬が終わり、春が来る。
雪景色のなかにも春の匂いが漂い、雪の下ではフキノトウが芽吹いている、そんな兆しを、いま感じている。

冬はこたつで鍋をつつくのが幸せだ。
冬は夜空の下で焚き火を囲むのが幸せだ。
冬は布団でぬくもりを分かつのが幸せだ。

冬ほど人の温かさが沁みる季節もなく
わたしの冬もこの上なく幸せだ。

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