(2023年7月15日)父が亡くなって一ヶ月とすこし

父が亡くなって、あっという間に一ヶ月が経ちました。そして、7月8日は父の64歳の誕生日でした。
父のいない実感がないまま、月日だけは流れていきます。

お父さんに会いたい。見守ってくれてるとか、そばにいてくれてるとか、そういうのじゃなくて、生身のお父さんに会いたい。声が聞きたいし肌に触れたい。お父さんのぬくもりが恋しい。

20年、30年先に、当たり前にいるはずだった人がいない。積み重ねるはずだった思い出がない。生活の端々でそれらを感じるたびに、言葉にし難い虚しさに飲み込まれそうになる。
泣くのって体力も氣力もいるから疲れるけど、それでも前を向いていくしかないから、寂しさを小分けにして 毎日少しずつ受けとめる。傷は傷だと気付くことで癒えていくからね。今はそういう時間。感じ続けるしかないっていうのが、辛いなぁ。
 
 
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友人に「お父さん、最高の最期だったと思うよ」と言われて、それまでのわたしは、そうだったらいいなぁという受け取り方をしていたけど、ふと これはお父さんからのメッセージかもしれない と思ったら、涙が止まらなくなった。
お父さんが肉体を手放して、大いなるもの の一部に還ったのなら、これからわたしが世界から受け取るすべてのメッセージはお父さんから、でもあるわけで、それは『お父さん』よりも遥かに雄弁やなぁって、少し笑えた。
 
 
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7月になって、すこし元氣が戻ってきました。出かけれるようになって、人と話すことが楽しいと感じられるようになりました。
父が生きていたら、介護もあって過ごせなかっただろう 今 を、寂しくも 有り難く思います。

お父さんがいなくても、なんだってできるし(田んぼもやってるし)、どこへでも行ける(島根にも車で行っちゃう)。
不都合があるわけではないのに、お父さんがいないことが悲しくて苦しくて仕方がなくて、何にもしてくれなくていい。ただ、いっしょに いて ほしかったんだって、そう思うくらいお父さんのことが大好きだったんだって、お父さんがいなくなって氣がついた。
こんなにもやさしい想いが自分の中にあったことがびっくりで、とても幸せだなぁと思う。

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