水回りの掃除
仕事ではグループ会社の上役たちには物怖じせず自身の方針を貫いて、協力してもらっているシステムベンダさんたちにはこちらのやりたいことを資料で説明して協力を仰いで。
不思議なことに「困った。どうしよう。」が全く無くなった。質問に対しての回答、作業としてやっておいた方がいいこと、資料の構成から今その場で話さなくてはならない説明まで、間を置くことなく降ってくるようになった。
最近目にするようになった「次元上昇に伴う能力の開放」みたいな話のことだと思う。
反対に一歩仕事から離れると全く人と話をしない日が続いている。奈良の友人からさえも「ご長寿の飼い猫の調子が悪いから病院つれていったけど、どこも悪くないらしい。」とショートメールが一通きたくらい。
こちらも最近目にするようになった「次元上昇に伴う孤独感」みたいな話のことだと思う。
通勤や買い物で人混みの中を突破しなければいけないときに、以前にはない「ゲームのbotや非破壊オブジェクトのような風景」で済ませられるようになったのはとっても嬉しいことなのだけど、世界は動いているんだななって思いながらも、なんなんだろうこの疎外感。
どうすることもできないなら、水の流れを良くしようと朝から、台所の排水溝とお風呂場の排水溝、トイレを掃除した。きっとこれで新しい良縁が。
知らんけど。
羅小黒戦記もそうだけど、どうしてこんな繊細な物語を作れる人がいる国なのに、日本に来ている某国の人たちには不快感しか感じないんだろう。