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7月13日〜7月19日 紳士協定とSNS


歩く歴史にありがとう

2024年7月13日(土)くもり
第三中学校

道徳の授業って、子どもの頃きらいだったなあ、、、と思いながら自転車を漕いで三中に向かう。そもそも中学校がきらいだったから、母校でなくても中学校に行くときは心がざわざわする。
公開授業と講演を覗いて、元気すぎる中学生エネルギーを吸い取られながら「学校の先生ってほんとうに大変な仕事、、、」とパートナーにLINEを送る。
そろそろ帰ろうと廊下を歩いていたら、向こうから最年長議員のF議員が歩いてくるのが見えた。手を振って「お先に〜」と挨拶すると、「ありがとうねえ〜」と返事がかえってきた。
(、、、ありがとう?)
F議員の初当選はわたしと同じ「29歳」のとき。かれこれ約40年の議員生活の蓄積は本当にすごくて、議事録がデータ化されていない時代のことが知りたいときはまずF議員のところに行くと良い。昔の手帳や資料を持ってきてくれることもあるし、だいたいの時期や概要を教えてもらえば、紙の資料も簡単に探せる。歩く辞書というか、歩く歴史って感じ。かなり助けられている。
で、さっきの「ありがとう」はどういう意味なのか。吉祥寺駅に戻りながら考えたが、おそらく「地域のことを考えてくれて」とか「武蔵野市の学校教育について考えてくれて」とか、議員として仕事にしっかり取り組もうとしてくれてありがとう、っていう意味だとおもう。
40年の議員生活、武蔵野市の過去と現在と未来、すべて背負って責任感じてないと出てこない「ありがとう」すぎる。すごすぎる。
ありがとう、F議員。これからもがんばるよ。

紳士協定とSNS

2024年7月17日(水)くもり
市役所

久しぶりに新卒のときに清水買いしたCINOHのリネンのスーツを着た、もう8年選手。白洋舎も落とせなかった細かいシミが気になってるから黒染めするかずっと悩んでいる。
久しぶりにマスカラもして、今日は1年に一度の「会派予算要望」の提出のために市役所へ向かう。ひとり20分の持ち時間で、市長、副市長、総合政策部長、財務部長と、市役所の対策本部室というシンゴジラに出てきそうな広すぎる会議室で提案した政策について意見交換をする。
録音なし、議事録も非公開。提出する要望書は紙で6部印刷して当日持っていくスタイル。お互い原稿もなし、ぶっつけ本番。
会議室は仰々しいけど、けっこうカジュアルに喋る場らしい。同じ会派のH議員は途中からタメ口だった。同期だもんね、市長とH議員。
どんな意見交換が行われたのかもSNSにも載せたいところだけど「議事録非公開」のものは公にしないのが「お約束」。一応、会派のH議員に「予算要望ってSNSにどれくらい書いていいもの?」と聞いてみたが、やはり細かいやり取りまでは公開しないらしい。別に決まりがあるわけではないけど。
議会は法律や条例に基づいて動くことが多いけど、明文化されたルール以外にも、明文化されていない紳士協定や慣例などの「お約束」が沢山ある。でもそれは会社も同じで、例えば大きな会議の前の根回しなんて明文化されたルールでもなんでもない(けど大切なことであることは間違いない)。そういう点で議会がものすごく特別だという気はしない。どんな組織にだって明文化されていない「お約束」は存在する。
自分が提出した要望書と市長と話したという客観的事実だけSNSに投稿した。

19番さん

2024年7月18日(木)晴れ
歯医者

「さこうもみさん、診察室にお入りください」
この歯医者は気に入っているけど、名前を呼ばれるのだけが難点。最近副鼻腔炎で通っている耳鼻科は「19番さん」とか、番号で呼んでくれるところがお気に入り。
わたしが議員としての仕事で使っている名前は本名、戸籍名だ。つまり、病院で呼ばれる名前も「さこうもみ」。苗字も名前も珍しくて匿名性が極めて低いことは政治家としては強みかもしれないが、病院では最悪。
市議会議員だから自宅はもちろん武蔵野市内で、内科も歯医者も耳鼻科も婦人科も、美容皮膚科も精神科も、かかりつけのクリニックが家から遠いのは面倒なので、すべて市内だ。
去年、眼科で精算を待っているときに「市議会議員さんですよね?」と声をかけられたことがある。病院は、名前ではなく番号で呼ぶスタイルに移行してもらいたいと切に願う。ちなみに美容皮膚科、精神科、不妊治療のクリニックの3つはほとんどの場合、名前ではなく番号呼んでくれる。

ピアノの人生

2024年7月19日(金)晴れ
豊洲シビックセンターホール、市役所

「僕は、あくまでこのピアノの長い楽器生(人生)の一部に関わらせてもらっている」
と、ファツィオリ社のピアノの視察にいった江東区、豊洲シビックセンターで話を聞かせてくれた調律師の方の楽器観。楽器への愛の大きさにいたく感動した。そんなピアノの長い人生は、長いと100年などと言われるけれど、楽器も年をとるから大きなホールで使える寿命という意味ではさほど長くないらしい。豊洲シビックセンターでは昔のホールで使っていた古いピアノはたまに屋外に出して市民が自由に弾けるストリートピアノとして使っているらしい。いい晩年。

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