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私の先生

生徒に、「先生の先生はどんなんやったん?」
と聞かれた。

「怖ったよ〜。よう叩かれたし…」
と言って、次の句が続かなくなった。

こんな年になってもまだ傷が残ってる?

「あんた、馬鹿じゃないの?」

「あんたは両親に恵まれなかったねぇ。」(みんなのお母さんは、自分が先生だったり、レッスンに付き添ってきて、先生の言ったことを噛み砕いて練習させていた。我が母は、無関心だった。父が熱心なだけではダメだったみたい…)

こんな言葉の暴力は当たり前。

発表会も近づき、曲が仕上がってきた頃にちょっとでも間違うと、
舌打ちされる。
ピアノの枠の所を叩く。
暴言の吐き放題。

今なら大問題だ。

でも私なんかはまだマシ。
友人の先生はもっと怖い。
弾いていてミスすると、
いきなりピアノの蓋を閉められたそうだ。

それでも、この先生の元でやってこれた訳は、
そんな時代だった
ってのもあるけれど、
この先生の音が好きだったから。

そして、ちゃんとできた時には凄く喜んでくれたから。
時には泣いて感動してくれたこともあった。

両極端な先生。子どもみたいな先生だった。

その先生の所は、音大に入学した時に自然に足が遠のいた。

大学では正反対のことを言われ、
しかも細かい指示はない。
自分で考えて答えを出す。
おまけに師事した先生は体が弱く、何度かご自宅(鎌倉)の方に通わされた。

まずまずの成績を頂くも、先生や仲間のお陰でたくさんの気づきもあり、振り出しに戻った感じだった。

その後、結婚して、レッスンをどうしようと思っていた頃、
素晴らしい出会いがあった。

ブルガリア人の女性ピアニスト。

たまたま近所で、リサイタルがあった。

こんな音、こんな音楽聴いたことない。これがピアノの音なのか!

天使の声が空から舞い降りてきたようなモーツァルトだった。

日本に来るはずだったピアニストが病気になり、急遽、代弾きで大阪に舞い降りたピアニスト。

帰国される前に是非ともレッスンを受けたい、と申し込んだ。

レッスンは大変だった。
目からウロコという言葉があるけれど、私のウロコは何重にもくっ付いててなかなか剥がれなかった。

2時間かかってまだ4小節。
音を丁寧に丁寧に作っていくのだった。

ちょっと進むと優しくNoと言う。

そして丁寧に練習の仕方を教えてくれる。

この先生とは、私の出産などもあって、間があいたりしたけど、
8年ほどお世話になった。

自分のものになるまではいかなかったけど、
きっとそのレッスンのお陰で仕事に恵まれたのかなと思う。

未だに本番前は自信が持てなくて
大変だ。

ミスタッチが異常に怖い。
と言ったら
「そんなの問題ない。ミスタッチも音楽にしちゃいなさい。」

良い言葉を頂いた。

今年は乗り越えられそうな気がする。
もう良い年だもの!!






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