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ハイビスカスは冬にも咲く

どうも、﨑山です。
徳島から帰ってきて、寒さの感覚がおかしくなっていまい
半袖半ズボンで過ごしています。
そして、
県外の人は信じられないでしょうが、
沖縄は既に桜が咲いています。
桜前線なんて関係なくて、笑っちゃいますよね。

また、沖縄の桜は種類が違うので、
県外のようにハラハラと落ちるものでなく、
お花見の文化もあまりないのですが
何だか季節の移り変わりを知らせてくれていることが嬉しくて。

桜のように、分かりやすく見た目が変わった訳ではないですが、
ここ数か月で、僕の心の中は確実に移り変わっています。
桜の代わりと言ってはなんですが、
移り変わりが見えるように、ここに書き記しておきたいと思います。


1 種

7月13日。
まだ僕が「学校を創った」と言い出して間もない、
生徒なんて一人もいなかった時。



「沖縄に旅行に行くので、せっかくならば沖縄で上映会がしたいんです!」



徳島県にあるオルタナティブスクール
自然スクールトエックの卒業生であるという齋藤千夏さんからの突然の連絡。
「私がいたあの場所」を知るために撮ったフリースクールの映画。


観てもいないけれど、即答でやることに。

ざっきーナイス判断。
偶然も偶然。
今思っても全てが本当にラッキー。

そして、10月に映画の上映会をすることが決まった。
スクールの広報活動もしながら
上映会の仲間集めや会場探しに動く日々。

2 芽

上映会を通してよかったことが二つある。
一つは、仲間ができたことだ。

・琉求学舎こてらす
・デモクラティックスクールみんと
・rokuyouの白石さん
・よみたん自然学校
・今帰仁映画上映会実行委員
・上映会に参加してくれた方々

「これからみんなで同じ景色をみよう!」
と集まった仲間。
想像もしなかった世界が、
しっかりと沖縄にもあった。

子どもの育ちを軸に、
みんなで繋がれたことは
大きな喜びだった。
仲間がいることは、
とても勇気の出ることだ。

そしてよかったことのもう一つ。
「聴き合う場のもつ力を体感したこと」だ。

沖縄での最後の上映会。
今帰仁の全体でのシェア会での出来事だった。

一人の参加者が、今感じていることを素直にそのまま表現してくれた。

「今日はトエックの映画に答えを貰いに来たけど、実際に観て受けとっ    たのは答えではなく『揺れなさい』という言葉だった。」

たまたま隣に僕が居たからかもしれない。
その人の、震え、今までの想い、安心、涙、色色なものが
僕に流れ込んできた。

流れ込んできた時は、どういうことか分からなくて。
彼の波がひいた後、
「揺れていいんだよ」
と、今現在進行形で揺れていて不安な自分を
包み込んでくれることばだったんだ
と。

そのころ、生徒は4人になっていた。

3 根っこ

お正月。
よみたん自然学校の主催するフリースクールキャンプ
に参加した。

よみたん自然学校は、
20年も前から沖縄県読谷村にあり、
主体性、気持ちに寄り添う、暮らしや自然を大切にする学校である。

そこでの二泊三日を通して、よかったことが二つ。

一つは、「スタッフの子どもの気持ちに寄り添うあり方」を知れたこと。

よみたん自然学校は、帰りのミーティングで
今日やったことや嬉しかったことや困ったことなど共有する。
みんな嬉しそうに報告している。
が、ざわざわ、わさわさしている。
僕はそのことが気になり、
スタッフのはーとに尋ねた。するとはーとは、

「嬉しそうに報告するのを、僕もしっかり嬉しい気持ちで聴いてあげたいから、注意のようなことはしないことにしたんだ。」

他にも泣いている子や怒っている子にも、気持ちに寄り添うあり方で接するスタッフ。
子どもたちはスタッフをものすごく信頼していた。


そして、よかったことのもう一つ。
「僕は寂しかった」ということを知れたこと。

参加者同士でペアになり、
「最近モヤモヤしていること」について聴き合う
ことをした。


僕は、
僕「やりたいことをやっているし、モヤモヤしていることなんてないぁ」
僕「強いて言うなら、、、親との関係?」
相「ほうほう。」
僕「親と会話すると、直ぐマイナスにとらえた返しをされたり、こうした方がいいんじゃない?とか否定まがいなことを言われて、いつも『もういい!はいはい』ってなるんです。それぐらいかなぁ」
相手「それって、ざっきーは寂しいってことじゃない?」
僕「さ・・・び・・・・・・・・・・うん。寂しい。」

僕は、ずーーーーーっと寂しかったんだ。
そう思えた瞬間、涙がこぼれた。
僕が教育という仕事に携わっている理由。

できたできない、こうするべき、あれはだめこれはいい、
若しくは特に干渉されない、
そういう関りが続くと、心は寂しく、小さく小さく傷ついていて。

上手くやっていけているから大丈夫だと思っていたけれど、
「寂しいんだよ」
「僕を僕として見て欲しい」

そんな思いが心の底の方であったんだと。

気持ちに寄り添うことは、
僕自身もまだ分かっていなかった気持ちすら
言葉にしてくれる。
肩の力が抜ける体験。

4 太陽

1月末、
北九州でようちえんとがっこうをしている
森の育ち場に研修に行った。
自然や森の中で主体的に行動する力、豊かな感性、自分を大切にする力を大切にするがっこうである。

小倉駅からモノレールにのる。
県民としては、モノレールだけは馴染みのある
乗り物で、少し嬉しい。
終点から、更に歩き畑の中へ。

すると畑の中から
子どもの元気な笑い声。
そして、
白い大きなティピーが二つと
柱と屋根だけの小屋だけが見えた。

この日は、九州でも珍しく
雪が降っていた。

そういえば
ミツバチは地球上の作物の三分の一ほどの
受粉に影響しているらしい。
だから、ミツバチが絶滅すると、
食べ物を得ることが難しくなると。
身の回りに身近にいるミツバチ。
「受粉させてやろう」
なんて思っているわけないだろう。
彼らはただ飛んで蜜を集めているだけ。

3日目、
ようちえんの部「いっぽいっぽ」での研修。

朝、
様々な(打)楽器を手に歌をうたう。
元気に歌う子、よそ見している子、不安そうな子、ノリノリな子。
前日までの雪の影響もあり、
屋根につららができている。

「ジャングルに行きたい!」

森のキャンプ場を利用したようちえんということもあり、
奥に行けば枯葉の積もった森の「ジャングル」がある。
そこでは、斜面の上と下のチームに分かれて、
鬼に捕まらないように下にある宝をとる遊びが始まった。

「がんばるぞー!」
円陣を組んで遊びが始まる。
鬼も鬼じゃない子もワクワクした目だ。
しかし、
結構な斜面。
鬼に捕まらないように走って降りるのには勇気がいる。
なかなか足が進まない。。。
15分ほどこう着状態が続いた。
みんなの目はまだ本気だ。
一人の子が上チームを集めた。
鬼を散らすために、三手に分かれる作戦を立てる。
散る鬼。
すかさず、走りこむ一人の少年。
木の根につまづき、大クラッシュしながらも宝をとる少年。

他「とったー!!!ナイス!!!!」
少「うえーん(顔を打ったようで、宝を持ちながらも泣いている)」
他「だいじょうぶ?」
鬼「だいじょうぶ?」
少「うえーん」
鬼「くそう。やられれたー。またやろう!」
少年含めた一同「うん。」

そして、リレーやマラソンなど、
遊びが変化していった。

10数名いるのでみんなで同じ遊びをしているわけではない。
ようちえんということもあり、
3歳児は激しい遊びができずに、
枯葉を集めお米に見立て木の枝で餅つきなどをしたり、
垂れ下がった木の枝の乗り物に乗っていた。

時たま、鬼ごっこなどをしている年長の子が、
「なにしてるのー?」
と声をかける。
「お餅つきだよー」
「そっかー。ぺったんぺったん!」
10秒くらいの時間。

森の育ち場の子どもたちは、
ただ畑や森の中で遊んでいた。
自分の中で湧き上がってくるものに素直にあった。
自分を、そしてその場を面白いものにしてやろう
なんて思っていなかった。
森の育ち場の子どもたちは、
全身の在り方で「今を生きていること」を
見せてくれていた。
そして、子どもたち同士で繋がって、共感して、発展していった。
「こんな場所があるんだ」
太陽のようなあたたかい希望を感じた。
本当に勇気を貰えた。

5 ハイビスカスは冬にも咲く

実はもう一か所、徳島県にも研修に行った。
そこについてはまた後日書くとしよう。

10日間の研修を終え、沖縄に帰ってきた。
家の玄関では、
綺麗なハイビスカスが咲いていた。

「そうか。ハイビスカスは冬にも咲くのか」





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