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僕もお花を貰った様な気持ち

どうも﨑山です。
2023年が終わり、2024年となりました。
そして1月も終わり。
みなさまどうお過ごしでしょうか。
心身ともに健やかであることを祈るばかりです。

僕自身は、
凄くあたたかな気持ちに包まれています。
そんな今、
感じていることを言葉に残しておきたいと思います。


1 どのように問うのか

僕は教育学部の初等国語科を卒業した。
国語って昔から苦手で、
学校の図書館で借りる本も1年で3冊ほど。
登場人物の気持ちなんて想像できない。
漢字のまとめのテストも30点くらい。

それくらい苦手だった。
でも何でか国語に惹かれていた。
そんな中、
国語に対する見方を変えてくれた
と思うきっかけが。

教育実習で、
『おおきな木』シェル・ルバスタイン著 村上春樹 訳
を学年の先生が読み聞かせてくれた。
そのあと先生がこうきいた。
「この本を読んで、みんなは何を感じました?」

今まで、
「○○はその時なんと思っているでしょうか。100文字以内で述べよ」とか
「それが、さすものは何ですか。10文字で抜き出しなさい。」
とか。
そういう問いしか受けてこなかった。
その時は、「どれだけ正しく読めているか」とか
「ここに意図があるよ」とか、正しいに誘導されているように感じていた。

でもその時の先生は、
「自分の感じをきいてくれていた。」

国語が題材にしている
絵本だって作文だって文庫本や漫画だって
言葉を軸に、その人の感じたことを表現しているだけで
別に正しいとか間違っているとかはないはずで。

それを読んで作者がどう思ったのかも感じつつ、
自分の思ったを大切にしていいんだよ。
そういう国語が好きかもしれないと。


問いを変えるだけで、感じるものも変わる。
「どう問うのか」
スイッチを入れるためにもこだわりたい。

(↓村上春樹 訳のものの方を読みました。↓)

2 余白が好きだ

小学校教員2年目の時、4年生を担当した。
前年度は5年生を担当していたこともあり、
3年生からあがってきたばかりの彼らは、
とても幼く素直に見えた。
そして、素直に表現する子が多かった。

その中に、あまり言葉や態度で表現することが
得意ではないのかなあと思うK君
がいた。
彼は身体を動かすことが大好きで、牛乳を嫌がり、
計算が好きで、習字が得意で、友達によくいじわるをして、
頭と目がくりくりとして、
でも何かを説明したり、しゃべったりは
あまりしない子だった。


僕は
絵本も然り、詩や短歌俳句など、
あまり語りすぎることなく
余白を感じられることが好きだ。

季節の変わり目に、
「俳句を詠もう」という授業を欠かさず行っていた。
その日は
「秋の俳句を詠もう」と題し、
秋と言えばなんだろうねぇとみんなで想像を膨らませながら、
みんなの感じていることをかいていった。

そこでK君が詠んだ俳句がとっても素敵であった。

「満月や
   大きい丸を
      ひからせる」

みなさんは、何を感じますか。

3 届け方は色色

沖縄では落葉樹がほぼないのだが、
校庭の隅に、落葉する木が植えられていた。

12月の朝の掃除の時間。
校庭で、K君が僕に、

K「はい。(声は出していなかったかもしれない。)」
僕「なに?」
 「あ!四葉のクローバーだ!くれるの?」
K「うん。(頭だけだったかな?)」
僕「ありがとう!嬉しい!」

短い時間だった。
Kはすぐに他の四葉のクローバーを探しに行った。
僕は嬉しくなって、
首から下げている教員用の名札の裏に
そっと挟んでずっと持っていた。

彼は何も言わなかったけど、
何を思っていたのだろうか。

4 僕もお花を貰った様な気持ち

先日、
大変お世話になっていて
大好きな方にお礼がしたくて、
テーブルの上に置いたら
凛として素敵なだろうなというお花を
ささやかながら送った。

僕「お世話になりました!」
相「ありがとう!嬉しい!」

短い時間だった。

僕はK君だ。


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