文章読解能力について。

ごきげんよう、さきすみです。

昨日、やっと意味が分かった話をしたいと思います。

中学時代に、「相手のお母さんとか、お父さんとかを、君の父とか母とか、言ってはいけないよ。、国語の先生に怒られるからね」という話を塾で聞いたんですよ。しかし、何故、呼んではいけないかについてはどう考えても、分からなくて、昨日の昨日まで、何故怒られるんだろうと思っていたんですよね。

で、昨日、日本人の文章読解力みたいなのが年々下がって行っているという話を聞いて、本当にそうなのかと思って、色々記事を読んだんですよ。

記事に、貴方のお母さんを貴方の母と言ったりして、尊敬語を使えていないや、祖母や祖父などの言葉が出てこないという話が書いてあって、
あぁ、これは、尊敬語を使えているかという問題だったのかと思いました。

そういうことかと思いました。私はなんか、もっと深い事情があるんだなと思ったんですよ。私は、その当時、話すときのルールみたいに思ったわけですよ。こう言わないと駄目だみたいな、良く分からないけど、朝の挨拶は、「おはようございます」と言うみたいな感じです。

こういう時にはこれを言うみたいな決まりというか、そういうものなんだと受け入れるものであると思ったんですよ。しかし、それに理由が存在したということが驚きというか、私は、寧ろ、気づくべきであったものであるなと思ったんですよ。

話は変わりますが、私が、旧Twitterをやっている時に、文章を読むじゃないですか、たまに、この文、何を言っているんだということがあるんですよ。私は自分の読解力不足かなと思っていたんですけども、もしかしたら、その当人が理解できない文章を書いている可能性も無くもないなと思いましたね。

私は、英語で文章を書く機会が多いのですが、私が言いたいことが伝っていないと言う事が多々ありまして、苦戦してますね。
人に伝える文(独りよがりに文にしない)にしないといけないのだなと思います。

一度言ったことをitとかthatとかにしますが、しかし、大体はそのitやthatが意味しているものが何かというのが相手には伝わらないです。これは、私のit、that置き換えミスというか、置き換えすぎなのかもしれないなと思いまして、最近は全然使わないですね。(置き換えミスというのは、普通はここ置き換えないよと思われるところを置き換えていると言う事ですね。)

こんな感じで、自分が伝えようとしているものが、上手く伝えきれていない、理解してもらえないというのが度々、日本語の場合でも、起こっているんじゃないかと思いまして、相手に文章を見てもらうということの大切さを理解しましたね。これは相手に指摘されないと分からないです。

私の今書いている分も上手く伝わっているか分かりませんし、そして、人々が悪く捉える可能性も少なからず存在しておりますね。(私は日本語に関しては、人にあまり校正される機会がありませんでしたので、未だに良く分からないのです。)

人の文章が何百以上の解釈をされるのはこれが理由ですね。この部分はこういう気持ちで書いたよと言わないと伝わらないと言う事ですね。

まぁ、多分、私が思うに、相手に伝わらない文を書く人は、客観的思考が欠けていると思います。これは、練習次第で、どうにでもなる人と思います。相手に見てもらうといいと思います。色々な人に聞いてみたらいいと思います。

祖母とか祖父とかの言葉が分からないというのは、これは圧倒的に語彙不足であると思います。

ここからは番外編で話したいと思いますが、私は、英語の究極を目指して頑張っているのですが、なんか、高難易度に近いくらいに学んでも、ネイティブの6歳レベルだと言う事が分かりまして、私は諦めて、6歳になって頑張ろうと思いまして、もう小学生向けアニメを見て楽しんでいます。

私が小学生時代にハマったアニメたちでありまして、それは英語だと無料で沢山視聴できるので、非常に嬉しいです。(私は意外と英語系のアニメに造詣が深いです。そして、多分、笑いのツボも一緒です。)
日本語から逸脱すればアニメとか無料で見られるんだなと思って楽しいです。(なんか、ポリコレとかも進んでいて、結構うまい具合のポリコレであるので感動しています。)











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