短編解説

ごきげんよう、さきすみです。

今回短編を書きましたが、わたくしがここで示したかったことはですね、超人ですね。

わたくし長年ニヒリストとして活動してきたんですよ。
わたくし自身はですね、人生は何もないと空虚だとそう思っていたわけですよ。まぁ、しかし、それは最終的に「無」しか生み出さないんですね。

それで、人生を生きながらえていけるかと言うと、それは無理だと思う訳ですよ。人々は何かを望む以外に生きていける道はないわけですよ。
そうやって、物事を悲観して生きるのはよくないんじゃないかということを昨日の夜、ニーチェから学んだんです。そして、約1時間くらいで書いた短編を書きました。結構ポジティブなんですよ。内容は。

内容はですね、なんか前の小説の煮詰めなおしみたいなんですが、圧倒的に異なるのは、まぁ、悲観していないと言う事ですね。
最初に登場した「宝」を受け取った人間は、ニヒリズム極めすぎた本人という感じです。宝はそうですね、世の中の悲観的な部分。その宝を渡した人物とは、小説家や哲学者、人生は本来無だ、世の中に望むものは何もないという人々のことです。
宝と人は「ニヒリズム」の作った根源という訳です。
これを宝を二人目に貰った人は、ニヒリズムを認め、そして、自分自身を認め、善悪全て受け止めても悲観せずに、楽観して生きた人という訳です。
彼は超人ですね。ニヒリズムを打破し、そして自分が受け入れることとなった運命を目をそらさずに受け入れた。そして、闇に取り込まれたとしても、それはニヒリズムではなく、本来の人のあるべき姿だと言う事ですね。

もっと内容を濃く書ければよかったのですが、何しろ面倒でして書き続けられませんでした。
わたくしが思う超人は、そうやって悲観する運命にぶち当たったとしても、楽観的に自分の人生を終えられる人であると思う訳ですよ。
自分の人生に制約はかかっていたとしても、精神は幼子のように自由で楽観的だ。
ニーチェは最終段階が幼子のようであれと仰っているので、これが究極系かなと思う訳ですよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?