生きているということ。
『明日死ぬとしたら。思い残すことは何か。脳裏に浮かぶものは何か。』
POLIGHTSのワークショップ「いっぺん死んでみた」
土曜の朝。
出掛ける準備と移動に慌ただしくしながら、POOLO2期生で結成された旅人向けコーチングサービスPOLIGHTS(ポライツ)のPOOLO3期向けオンラインワークショップに参加させていただいた。
とても個人的でセンシティブな話だから詳細は触れないが、この前の三連休、疑いたくなるようなとても悲しいことがあった。
元々はこのイベントには参加しようと思っていたが、この三連休を経て死についてとても敏感になった自分は、
「臨死」
という疑似体験をすることに、
“今参加すべきか?“と、正直とても悩んだ。
(そのせいで直前まで『参加します』ボタンを押したり消したりしまくっていた。参加者をカウント&把握しようとしていたであろう運営の皆さんご迷惑をおかけしました)
とはいえ、先週起こったその変えられぬ事実と、このイベントとの間には何ら因果関係は無いし、
今後私が自分を自分で暗い気持ちにして、勝手に悲観的になって、slackや1on1を含めPOOLOの活動からフェードアウトしていくのは最終的に自分を不幸にするだけだと思った。
加えて、三連休の経験で多くの学びもあって、人生観もまた大きく変わった。
生きていなければもう何もできないということ。
命があるだけでありがたいということ。
自分が生きているだけで喜んでくれる人がいるということ。
自分が折れるまで頑張る必要はないということ。
逃げ出す勇気が必要だということ。
他にも数えきれないほど心に刻まれた。
そんな今の自分が、このワークショップで何を大切に思うのか。参加の最後の一押しは、そんな気持ちにあったように思う。
今回のnoteは何か答えが見えたから共有のために書くというより、自分の今の思考を整理したり、今感じたことを記録しておくために書こうと思う。
稚拙な文書であることはあらかじめ謝罪しておくし、何か読み手に与えられるものでもない&結論のある文章でもないことを前置きしておく。
やり残したことは何か。
三連休を経験する前の自分は、おそらくこの質問をされたら、
「もっとクリエイティブな仕事に挑戦しておけばよかった」
「好きなことに全振りすればよかった」
みたいなことを答えていたと思う。
つまり、自分の成長や生き方の軸での後悔だ。
しかし、今回やってみて驚いたのは、
そう、自分のキャリアやビジョンなどそっちのけで、
自分のもっと根本、丸裸の部分には、
本当に愛すべき人たちのことばかりが残った。
私利私欲や向上心が悪い、間違っていると言いたいのではない。
そうではなくて、
そういったプラスαの目標ややり残したこと、というのは、
あくまで持論だが、
「死」
というとてつもなく大きなものを目の当たりにすると、
あっという間にどこかへ吹き飛んでしまうんだな、ということ。それに気づいた。
私もかつては、20代で1千万プレーヤーになるぞ、同期でトップになるぞ、というような熱い目標を持っていて、
会社に泊まったり早朝に出社して終電後タクシーで帰るような生活をしたりして自分にムチを打ちながら、
まだまだだ、自分はまだ憧れの人たちの1割にも及ばない。
そう思って、
常に顔の半分まで水に浸かりながら、危うく溺れ死なないところで浮いているようなストイックな日々を送っていた。さらにはその生活に満足感すら覚えていて、それこそ最高に“生きている“ような気がしていた。
しかし、一度そういった夢や目標を達成してみて、その先に見えたのは幸福ではなかった。
失ったのは、切り詰めて省いてきた家族や友人と会うための時間と思い出で、
残ったのは、満たされた後も終わらない、永遠に認められることのない、成長し続けなければならない止まることの許されない環境。
その事実に絶望していたのがPOOLOに入る少し前なのだが、そこで一度人生について見直して、そしてPOOLOで豊かさを考えるうちに、
今度は豊かさの矢印が自分の地財ではなく、
どう働くか、どう生きるか
にシフトした。
そして出した答えが、自分の得意分野のスキルを磨いて伸ばして、好きな人のために好きな時に好きなように力を使える人になりたい、というものだった。
今でもこれは嘘ではないし、本当にこの通りだと思っている。
ただ、今回の経験とワークショップを経て新たに気づいたのは、
例え上記生き方の理想が達成できていなくても、
私の周りの愛する人たちを愛する時間と愛せた事実があれば、それだけで人生満足して終われるんだなぁ、ということ。
数値を達成しなければならない仕事の目標や、ジョブチェンジをしなければならない勇気と根気のいるキャリアの話よりとてもシンプルだし、少し意識すれば後悔しない人生にできるな、と。
そっか、自分それだけで充分なんだ。と。
とても気が軽くなった。
人の死と、その周りで泣く人々と、家族と、親戚と、友人と。その全てをまざまざと見たら、余計なものが全て削ぎ落とされて、最期に人の一生に残るものは、関わってきた人たちそのものなのだと。本当の意味でそう理解できたんだと思う。
なんら脈絡もなく、答えもなければ結論や締めもない文章で申し訳ないが、今の思いの丈を綴った。
また時間が経ってさまざまな欲に苦しむようになった時に、この記事に立ち返って軌道修正できたら何よりである。
追記:POOLO生と話してさらに深めたこと。自分の成長や仕事、目標などプラスアルファの部分が無いと日常にハリが出ない。そこについては、自分のベースとなる人とのつながりや愛を満たした上で手をあてていくのが良い。
#POOLO #POLIGHTS #POOLO3期
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