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羞恥心は置いていけ!

なぜ私が行動するか。

「さきさんってPOOLO2回目とかですか?」

これは先日の1on1でとあるPOOLO3期生に言われた言葉である。
POOLOに慣れている感じがしたらしく、そう思ったとのことだ。

1月8日にPOOLO3期がスタートして以降、ほぼ毎日同期と1on1をしているのだが、その中でもよく「さきさんめっちゃ発信してますよね!」「色々活動しててすごいよ」という類の言葉をいただくことが多い。

確かに私はPOOLO1期2期に知り合いがいて、POOLOというコミュニティの大枠は知っていたし、きっと親和性のある団体なんだろうなという安心感もあった。

だが、運営の方々は全員初めましてだし、講義の詳細やどういうワークがあるか、1on1とは何かからslackの使い方に至るまで(なんならGoogleスライドなど使ったことがなく、「上書き保存ってないの?」レベルのスタートである)、全くの知識ゼロで参加している。


では、なぜ私が精力的に動くのか。原動力は何なのか。

それは本当に単純で簡単なこと。


後悔したくないからだ。



驚かれることも多いのだが、
私はもともと超がつくほどの人見知りで、恥ずかしがり屋である。
(そして今もその片鱗はある)

かつては声を出すのも勇気が必要で、ろくに挨拶もできず親によく怒られた。


だからこそ分かる。

”slackで発言してレスがなかったらどうしよう”
”講義で質問したらみんなに聞かれるから恥ずかしい”
”募集かけたのに反応なかったらどうしよう”
”目立って浮いたりしないかな”

こんな不安を抱える人の気持ちが。
私にも、これらの感情はしっかりある。

生まれつきポジティブでアクティブなわけではない。

というかおそらく、先日ぴろちゃんと1on1して確信したのだが、
私はHSS型HSPである。

繊細中の繊細である。


そんな私が”周りからどう思われるか”を顧みず行動できる理由。
それは次に記述する私の来歴に由来する。

試行錯誤の転校生活

転勤族の家庭に生まれたものだから、物心のつく前から移動ばかりしている人生だった。
私のslackの表示名に出身地が呪文にみえるほど書いてあるのはそれゆえだ。

出身地は?と訊かれても、一応千葉に実家はあるがそれは大きくなってからの家で幼馴染もいないし、幼少期の人格が形成されたのは台湾だけど国籍は日本だし、出生地は茨城だけどそれは母方の実家があって出産のために母が帰省していただけだし、じゃぁその後最初にちゃんと住んだ場所はと言われると大阪だが生後3か月で引っ越しているし…(以下略)…のような感じである。


その移動生活の弊害ともいえるのだが、人生で何度も友人やコミュニティを否応なしに変えてきた。

引っ越した先で、一から関係構築のやり直し。

人見知りな私にはとんでもない苦痛とストレスだったから、当時を思い返すと泣けてくる。
とはいえ、その経験からいくつもの学びもあった。


そのうちの一つが、手垢のついた表現にはなるが、

”やらない後悔よりやる後悔”

である。

あの時声をかけていれば、もっとクラスになじめた。
あの学校ではもっと自分をさらけ出せれば良かった。


そういう後悔が重なって、「次の学校ではこうしてみよう」の試行錯誤を繰り返し、”やってみたときの後悔”が”やらない後悔”より数億倍マシなことを身をもって知った。


勇気を出してリーダーに立候補して空回った。
でも、そんなこと引きずっているのは自分だけで、翌日にはみんな忘れている。
自分の周りの友人についても思い返してみて欲しい。

「あの時あいつスベったよな」

なんて鮮明に思い出せる瞬間があるだろうか?


そう、自分が思っている以上に周りは他人の失敗に興味が無い。

恥ずかしさはその一瞬だけである。


やってみた、失敗した、笑われた、恥ずかしい。
——で?その先は?


後悔したって死ぬことはない。


という開き直りの境地である。


逆に、逃げ出してしまったことは、ずっとずっと心に残る。
「あの時ああしていればどうだったかな」
なんて二度と経験できない「もしも」の過去を延々と引きずることになる。


「あの学校ではクールにふるまってしまったから、全然友達ができなかった。あんなやりづらい毎日は二度と経験したくない」

そういう後悔を経て、脳が自然と「思うならやれ」と私に指令を出すようになった。


高校時代に出会った恩師の言葉でこんな素敵な言葉がある。

「頑張ることを笑われても、そんな奴らに負けるな。全力でやらないと何も残らない。熱い大人になれ。笑う奴らは、本当は熱くなれることが羨ましくて、でも恥ずかしくて笑うしかないんだ」

本当にその通りである。

文化祭や合唱祭などの行事に全力なクラスメイトを笑う生徒。彼らはきっと心のどこかで、本人も気づかないくらいの深層で、”熱くなれている”人たちが羨ましい。

でもそうやって高みの見物でやり過ごしてしまった日々はやり直せないし、大人になって振り返った時に何の思い出も残っていないはずだ。

私自身、頑張る人を嘲笑するようなひねくれた時期はあったし、
その当時を思い返すとなんの青春も過ごせていなかったように思う。


さて。
ここでやっとPOOLOの話に戻ってくるが、これまでつらつらと述べてきたことがすべて今の私の行動に反映されているのである。


せっかくPOOLOに参加したのに、
「最初にもっとこうしていれば良かったな」
「やれば良かったのに勇気出せなかったな」
なんていう9か月にはしたくない。



POOLOほど人好きで精神的に大人な人の集うコミュニティで、
挑戦する人が村八分になることなんてまずないと思っている。

だったら。

こんなに安全性の高い場所なら、アクティブに動かない理由が無い!

POOLOで思いついたやりたいことは全部POOLOで試す!そんな意気込みである。(もちろん疲れたら人間らしく休憩もする。)



旅の恥は搔き捨て、なんて最後に言ってみる。

さき

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