POOLOに入った理由、 POOLOを通じてやりたいこと
偶然の産物
『さきー!パトって分かる?TABIPPOっていう組織のコミュニティに参加したらいた!』
2020年7月31日金曜日18時42分のLINE。
POOLOと私の数奇な出会い。
全てはここから始まった。
連絡をくれた彼女は高校の同級生であり、大学、社会人を経てなお定期的に会う親しい間柄だ。
POOLOの2期生であり、POOLOでは”しばちゃん”の愛称で知られている。
そしてこれまた運命的な巡り合わせなのだが、
その”パト”こと、このLINEでPOOLOの1期生であることが判明した彼は、私の大学のサークルの後輩だったのだ(すでに情報が渋滞している)。
私は当時、所属するコミュニティ探しの真っ只中。
知人が2人も所属しているPOOLOに惹かれたのは無理もない。
しかし、連絡のあった時はすでに2期生の募集締め切り後。
「しばの感想を聞いてから、3期生になろっかな」
と返事をして、POOLOのことは頭の片隅に置いておいた。
それからしばらく、彼女がPOOLOを通してどんどんアップデートしていく姿を間近で見ていた。
その勢いは目を見張るものがあり、
漠然と"私も変わりたい"、そんな想いが強くなったように感じる。
さらに彼女からのフォローも手厚く、
彼女がPOOLO用Twitterアカウントを始めた際は、
「どんな活動をしているか分かるから」
とアカウントを教えてくれた。
他のPOOLO生のTwitterについても教えてくれ、
私にPOOLOの魅力が伝わるよう、
あの手この手で情報をくれた(笑)。
そうこうして、私の中の「いつか入ろうかな」は次第に「絶対入りたい」に変貌を遂げる。
そして2021年10月のこと。
彼女から「3期の応募が始まりそう」と最速で私の元へ連絡が。
得体の知れない団体ではなく、大枠を知っている安心感は本当に大きかった。
彼女の後押しもあり、私は安心してPOOLOに飛び込むことができた。
彼女には本当に感謝ばかりである。(しばありがとう)
くすぶっていた26歳
『人生、このままでいいのか。』
同じ状況の人も多いだろう。
POOLOについて知る少し前に遡るが、私はこの閉塞的な期間人に会えないこともあり、将来について考える時間が多くなっていた。
その時何を考えたのか。これからどうしたいのか。
今はまだ、諸事情により具体的に公言することができない。心の奥の奥については、noteの下書きにしたためてある。
いつだろうか、POOLOを卒業する時か、それよりもっと後か。
思いの丈を何の制約もなく発信できるときになったら、発信したいと思っている。
ここではひとまず”くすぶっていた”という表現にとどめておこう。
とにかくそのくすぶりが、POOLOと強烈に結びついたのだ。
さて、次の章では、
私がPOOLOで何を実現したいか、宣言も兼ねて表明しよう。
人生の第2章を。
私がPOOLOを通して実現したいことは、端的に示すと以下の通りだ。▼
皆さんもさぞかし忙しかろう。
お時間のない方はこの図だけ見て「ふ~んそっか」と理解していただければ十分だ。
私にもう少し興味を持っていただけているならば、この先もあと少しだけお付き合いいただきたい。
■人生の分岐点■
POOLOに応募したことも含め、
2021年10月、そして11月が私の人生の分岐点になると思っている。
私は10月28日~11月7日にかけて個人的に仕事を休んだ(誤解を避けるために言うと、病んでいたわけではない)。
その期間に様々な人に会い、
様々な場所へ行き、
様々なことを考えた。
シャワーを浴びるように外部からの刺激を受け、日々気づきの連続。
約一週間という短い期間であったにも関わらず、
「あぁ、そうだよな、豊かさって、人生ってこれだよな」
と何万回思ったことだろう。
上手く言語化できないのが惜しいのだが、自分の中でカチッと何かが音を立てた。
今までモヤモヤしていた何かを、まるで別の角度から、
というよりむしろ上空から俯瞰して見られたような。
とにかく物事がすべてシンプルに思えた。
私には養うべき子供もいなければ、
配慮しなければならないパートナーもいないし、
頭ごなしに反対する両親だっていない。
『じゃあ、自分を縛っているものは何だ?』
一歩踏み出せない原因は他でもない、自分だった。
それが判った時、前々から考えていたわけでもないのに、
”人生の第2章を始めるなら今だ”
ごく自然にそう思った。
その日から、私はリスタートに向けTwitterで発信を始め、POOLOの特別講義を受けまくり、SHElikesにも加入し、MacBookを新調し、友人の飲食店企画に協力し…と目まぐるしい毎日をなんとか生きている。
そんな私にとって、人生の第2章を始めるためにPOOLOで実現したいこととは。
その要素は3つある。
この3要素は今回の課題に向けて自己分析したものだ。
まだ言語化したてのホヤホヤなものだから、
今後変化するかもしれない。
とはいえ、かなり解像度高く表現できたと満足している。
以下、一つ一つについて簡単に説明しておく。
- 情報収集(夢の発掘と実行)
自分の将来について自分だけで考えているときは限界があった。
打開策が無く、「このままいくしかない」とあきらめそうになる時もあった。
ところが、休みの期間に様々な人と出会った途端、人生は一通りではないことがありありと分かった。
そして、他者から得られる情報の重要さを知った。
それもそのはず。
自分一人で考えるときは、必然的に自分の中に持ち合わせている選択肢しか存在しない。
そこに第3の道を示してくれるのが他者だ。
26歳というと遅いのか早いのか分からないが、その真理を悟ったことで、
私が描くことのできる夢の選択肢はもっと多いのではないか、
そう気づけた。
しばやパト、POOLO運営、そして3期開始前から良くしてくれているPOOLOの先輩方と関わる限りにおいてだが、POOLOには様々な”やってみたい”をショートスパンで実験し、自分の夢を明確にしていく土壌があると理解している。
だからこそ、
私はPOOLOで様々なバックグラウンドを持つ他者と関わり、情報収集し、夢の発掘と実行を繰り返したい。
そうすることで、将来にかかる靄を少しずつ掃っていける気がしている。
- 非商業的な旅の経験(自分の価値観を破る)
詳細は初投稿のnoteに私の経歴と絡めて記述している。▼
これについては他力本願で申し訳ないのだが、
固着した自分の価値観が良い意味で変わってしまうような、そんな旅へPOOLOの仲間にいざなってほしいと思っている。
育ちの問題なのか分からないが、
私は人より心が座ってしまっているというか、
受け入れることに慣れてしまったというか、
新しいものへの恐怖や予想外の展開に対する動揺という感覚にバグがある気がする。
(この現象についてもいつかnoteに投稿する予定だ)
だからこそ、驚きの体験を渇望している。
ここでいう旅、というのは、記事の中でも述べているとおり「旅行」を指すのではない。
キャンプだって、近所の散歩だって、一つの料理との出会いだっていい。
そこに、こちらが予測できない・身構えられない冒険と衝撃があればよい。
本当に根拠レスなのだが、
知的でアクティブなPOOLOの仲間となら、
いつかそんな経験ができるのではないかと確信している。
- 一生の仲間との出会い(心理的安全性のある仲間)
普段は親しくできている人に対して、こう感じたことはないだろうか。
少なくとも私はある。
そもそもの波長が合わない人/性悪な人とは付き合わないだろうからそれは除外して考えて欲しい。
その人の心の深淵にはあと一歩なのだが、その一歩が踏み込めない。
踏み込めない理由は様々。
壁自体が越えられないほど分厚いこともあるし、越え方が分からないこともあるし、越えられるけれど踏み込むのを相手が嫌がることもある。
そういう手探りで接さなければならない関係を、私は心地よいとは感じられない。
『これを言ったらどう思うかな』
『嫌われたくないな』
とビクビクしながらの綱渡りは神経をすり減らしてしまう。
一方の安心・信頼とは、
『この人ならきっとこう反応するだろう』とある程度予測できるところにあると思う。
POOLOには”旅”というすでに共通の軸があり、
かつコミュニティに参加しようという積極マインドの人が集まることは事実だ。
同じベースを持つ相手、と知れているだけで親しみやすさがグッと高まる。
実体験としても、POOLO3期の体験ワークショップでは不思議な心地の良さがあった。
初めて、しかもオンラインで会う人に対して、ここまで話しやすいと思ったことがない。
常に連絡を取っていないと関係性が薄れてしまいそう、
話を合わせないと楽しめなそう、
無言が苦痛に感じる、
そんな不安を感じない仲間。
良い意味で気を遣わない、自分を100%出し切っても良いと思える仲間をPOOLOで作りたいと思っている。
終わりに
今回、まともな自己紹介も無く、ひたすら私の想いを書かせていただいた。
(一応身元を明かしておくと、現在26歳の東京都に住む絵描きが好きなごく普通の会社員である。いや、知人からはおそらく「さきはめっちゃ変わってるよ」と言われるだろうが、自認としては凡人である。冒頭の写真の通り、COSTCOのアイスクリームを買いに並ぶだけで幸せになるような人間だ。)
特段現時点で自己開示しないのは、
noteやTwitter、Instagram等で少しずつ発信していければいい、少しずつ知ってもらえればいい、と思っているからだ。
中学の頃、歴史の先生が、
と言っていた。
思えばたかだか14歳くらいの少女によくこんな深いテーマを話したな、という感じだが、
大人になった今、この言葉の意味がよくわかる。
何が言いたいかというと、そう、私も少しミステリアスなところを残したっていいでしょう、と。
上記は少し洒落た理由なのだが、
本当のことを言うと、
そもそも自分自身についてよくわからない部分が多い。
私の場合、自分について語るのはもっと時間をかけて、理解しながらの方が良さそうだ、という判断である。
POOLOで皆さんと関わりながら、
少しずつ、少しずつ解像度を上げていって、
心理的安全性のある環境で自己開示していければと思う。
それから、
全体を通して抽象的な記事になってしまったことも詫びたい。
今はまだ書けないことが多すぎて、概念のようなものだけを並べて必死に表現している。
いつか必ず、書ける日が来ると思っている。
その日を迎えること自体が、私のゴールかもしれない。
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なお、今回の記事では何やら壮大なことを書いてしまったが、
一気に日常に落とし込んだような、小さな単位でやってみたいことももちろんある。▼
もし重なる部分がある人はぜひ。
末筆ながら。
こんな私ですが、何卒よろしくお願いします。
さき
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