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「学校やめる」~進路変更しなければならないとき、心の持ち方

 保育専門学校の学生だった長女が学校を退学し、保育士を目指すことをやめた経験があります。

 それに伴い、高校2年の秋から続けてきたピアノのレッスンも本人との相談の結果、一旦、終了ということになりました。(長女は高校2年から20歳くらいまで、私の教室の生徒だった時期があります)

彼女がこの決断をするまでに、本人も迷い、悩んだでしょうが、私も2つの立場で悩み、苦しみました。

母としての私は、問題が発覚してから苦悩の日々を送りました。

最初に学校に行けなくなったのは、実は、退学を決める1年前のことでした。

 半期で履修する科目の単位が取れていない、前期試験を受けていないものがある、「このままでは単位が足りず、留年となりますが、お母様はご存知ですか」という連絡が来て、初めて、彼女が学校に通学していなかったことに気づいたのです。

その時、私はとにかくもう、怒りやら情けないやらで混乱していました。

正直に言うと、彼女に失望もしていました。自分で決めた学校になぜいかないのかという点で。何をフラフラしているんだと責めたこともあります。

それ以外にも、彼女が私を信頼していないと思える行動をとっていたことがあり、それも私の怒りの炎に油を注ぎました。

その後、半年休学をし、本人が復帰をするという決断をして、春からまた学校に通い始めました(諸事情で、二部学生になっていたので、再入学となります)。

しかし。

前期の半ばで、また「欠席日数が多く、このままでは前期試験が受けられない」という連絡がありました。

本人に聞いたら、
「学校までは何とか行ったけど教室へ入れない」
「本当に保育士になりたいのかどうかわからなくなった」
という返事がありました。

このまま続けるのは辛いとも。

1年経った私は、自分の気持ちを彼女に素直に伝えることができるようになりました。

つらかったことを言ってほしかった。黙っていたことが信用してもらえてないみたいで悲しかった。

進路を押し付けてはいない。あなたのやりたいことを捜しなさいと伝えました。

 これを伝えられるようになるまでに、1年かかった、ということです。

長女と私の関係をややこしくしたのは、彼女は私の「教え子」でもあるという点です。

そもそも、「ピアノを教えてほしい」と頼んできたのは長女の方でした。

ヤマハのグループレッスン、エレクトーンの経験があり、楽譜が全く読めないことはありません。とはいえ、エレクトーンとピアノでは、鍵盤も奏法も全く同じではないし、当時目指していた学校が、ピアノの単位を取るのが厳しい学校だった、ということや、おそらく私のところに来る保育コースの現職の方が苦労されているのを見て、長女が何かしら思うところがあったのだろう、と想像しています。

その、「必要なもの」であるピアノを、力いっぱい長女が否定したことがあります。

私はピアノが嫌いだと。ショックどころではありませんでした。

それは、お母さんが嫌いだと言われているのと同じこと。ピアノは私の仕事にも大きく関わっており、私の一部でもある。

しかしその後、彼女がピアノを否定したわけではなかったこともわかりました。

私と、私の仕事を否定したわけでもなかった。

上手くなりたいけれど、そのために努力するということができない。近づきたくてもなんだか離れていってしまう。そんなもやもやな部分が、彼女に強い否定の言葉を吐かせたのだと、学校をやめると決めてから彼女と話して、私も気付きました。

不思議な話がありました。

ピアノは大好きだけど、学校の伴奏を引き受けるべく手を挙げる、というタイプではない次女に、

「え~、なんで(次女)ちゃんは伴奏をやらないの?」

と、長女がいい、そして

「私、中学の時伴奏やってみたかったんだ。でも習っていたのエレクトーンだったし、クラスにうまい子がいて、無理かなって」

そうなんだ、と、びっくりしました。

歌が好きな子です。クラシックも嫌いではない。

ステージに立つことは苦痛ではありません。ステップにも1回出ました。発表会は2回。

長女は長女なりに、音楽を好きでいてくれるだけでいいな、と思います。

この進路変更の話を、あるとき 保護者の方とお話したことがありました。

「先生も、お辛かったのですね。自分がもし先生の立場だったら、そんな風に受け入れられるかわからないな、って思いました」

そんなことを言ってくださいました。

私も、お母様にお話出来るほど自分の気持ちが回復してきたことを強く感じました。

長女はレッスンはやめても、ピアノは面倒だけど、嫌で嫌でたまらないという気持ちになることはありませんでした。

学校をやめると決めるまで、私のレッスンは受けていたのです。

ピアノを「弾く」ことからは離れますので、私の生徒ではなくなりました。

彼女は第1回目から発表会のスタッフでしたので、スタッフとしての仕事は続けることになりました。

 振り返ってみると、本人の意思を尊重してよかったと思います。

そして、彼女がまた、「やっぱり、ピアノを弾けるといいな」と思う日が来るのなら、その時はまた戻ってくればいい。そういう日が来なかったとしても、後悔はしません。

「また弾きたいときは、お母さんに言うよ。そのときは教えて」

長女はこう言ったのですから。

※この記事は、長女が最初に入学した保育系の専門学校を退学し、次の進路に進むまでの間に書いた記事を加筆・修正して掲載しています。


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