_投稿用__20190218_修正版豊泉家ロビーラウンジ写真

これは失敗作です(笑)

毎日何かしらの文章を書いているが、やはりその日そのときによって、後から見て、いや書いている最中にも、これまでの文章に触れてきた体験から、我ながら良くできたものとそうでないものの区別はつく。

そこらへんに関しては、やはり客観的に自分の文章の構成、結果として数字や、商品PR文章の場合は、クライアント様の売り上げにつながったか?の成果を含めて責任をもって客観的に突き放して自分の文章を見る。

で、掲題の件である。この投稿に紐づけられているリンク先の文章は、はっきりいって「駄作」である(笑)。

理由としては、
1、 口コミ投稿サイトがプラットフォームなのに、口コミにあるまじき長文であること。
2、 実際に、投稿のURLをシェアした20数年来の私の最高の読み手であり、大学時代に共に現代文学研究会に所属していた今は銀行員のK君に、

「木村さん、これはいけないよお!長すぎて読めない、苦笑」

と、苦笑いされたからである(笑)。

くだんの投稿の直リンクは以下である。↓↓↓↓↓
【ご近所SNSマチマチの、コミュニティデザイナー(地域特派員)としての、木村 咲子本名での近所の口コミ投稿@URL直リンク】
■https://app.machimachi.com/posts/53361

よくネタ元に取材はしてある文章だが、これは新聞という長文が許されるプラットフォームではない。よって、ここに書かれている内容を、本来であれば少なくとも3分割以上にしていかねばならないところである。

そんなわけで私は、つい最近の口コミ投稿文章でまたしても駄文を書いてしまったのである(笑)。

しかしまあいい。

いつだったか、大尊敬する中島らも大先生が、エッセイの中でこう書いていた。

「商業的に失敗だった、あるいは単純につまらない等の理由の“失敗作”と呼ばれるものは多くある。しかし、その文章なり、映画なりに触れた、いく人かのうち、だれかたったひとりでもいい、胸を打たれて、その日いちにちを生きる勇気を持つことができたならば。その作品は、誰に対して、何に失敗したと言えようか。だから、僕は全てのクリエイターの作品に、“失敗作”というのは無いと思っている。」

この、中島らも大先生の言葉に乗っかって、自分の駄作文章の言い逃れをするわけではないが、結局は私も同じ考え方である。

つまり、駄作はあっても、完全に失敗した作品などは、この世に存在しないということなのである。ゴッホもマジキチだったけど、死んだ後にぐるぐる糸巻き杉が4億円とかで取引されてるからね・・・・(笑)。

そんなふうに思いながらも、今日もせっせと駄文をものする私である。

2019年2月21日(木)何ということもない日に。文筆家 木村 咲子記。

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