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切り絵【自分を育てる】

私は昔、ダブルワークやトリプルワークをして生計を立てておりました。
一つの会社に週2日~3日くらいの出勤が当たり前だったのですが、最近は一つの会社に週5日勤務することが、もしかしたらこれからは出来るのではないかと、そんな気がしております。

働き始めた若い頃は、一つの会社に5日も通うということが、なんとなく精神的に辛くて、自然と複数の会社で賄うような働き方に流れていきました。
どうして精神的に辛かったのか、それが最近になって分かるような気がして参りました。

私にとって、仕事上の業務がストレスになることはあまりなく、苦手な人がいたときに、どう心を保ったら良いのかということが、一番の課題だったように思います。
苦手な人と週5日も顔を合わせるのが辛くなってしまい、人によっては週1日2日、多くても週3日くらいなら、なんとかやっていけるような気がしていたので、出勤日を減らすしかない分、ダブルトリプルワークになってしまっておりました。

悪い人ではないけど、苦手な人というのが、どの職場にも一人くらいはいるものだと思っております。
だからこそ、苦手な人がいる度に職場を変えることはできないので、たとえ苦手だと感じても、考えないようにして過ごしているつもりでおりました。
適切な距離があって、そこまで関わりのない人であっても、毎日のように顔を見るというだけで、辛いという気持ちになってしまう自分は、なんとわがままなことかと、自己嫌悪の気持ちもございました。

業務に支障をきたす人や、周囲に悪影響を与える人などは、会社から正式に粛清されることもあると思いますが、基本的に良い人なのだけれど、個人的に苦手と思ってしまうことに関しては、誰でもあることなので、多くの人が気持ちを胸の内にしまう他ないのが、現状でもあると思います。

私は、嫌いな人、苦手な人のことをあまり分析せず、出来るだけ近くに寄らない、視界に入れないようにして過ごすことが一番だと思っておりましたが、最近はちゃんと考えた方が良いと思うようになりました。

苦手な人との接し方や関わり方を考えるのではなく、私の苦手な人ってどういう人なのかということに関するメモを取ることにしました。
どういう行動や言動が苦手なのか、何をしてくる人が苦手なのか、どんな対応が苦手なのか、ずっとなんとなくで過ごしてきましたが、考えてみると事細かに苦手と感じる要素はあるものだと気付きました。

私は自分が細かいことが気になる神経質なところがあるから、大らかな人は心が広くて羨ましいと思うことが度々ありましたが、実は細かいことが気にならない人というのは、苦手かもしれないと最近思います。
人柄がいいのは良いことですが、私が日々感じている違和感とか、細かい感情に全く心当たりがなかったり、神経質の感覚が少しも分からない人であったなら、こちらばかりが気疲れし、同じ空間にいるのはいずれ辛くなってしまうかもしれません。

先日、通所しているB型作業所の休憩室で、病気の状態が良くないのか、自殺の話をしている人がいました。
普段からネガティブな話をよくしている利用者さんなのですが、みんなが休んでいる休憩室で、他の人にも聞こえるように話していて、一部の利用者さんたちが、「また言っている」とか「いつものこと」とか、さも軽い話のように大きな声で笑い飛ばしている様子を見てしまって、部屋全体が明るい空気だったように一見見えましたが、私はその場にいるのが、辛くなってしまいました。

皆がいる場所で、ネガティブな話をされるのも私は嫌なのですが、そんなの大したことないという、何も気にならない人というのも、苦手に感じました。
話の中心ではなくても、ネガティブな話にしか入ってこない人や、そういう話を盛り上げようとする人たちが、一部いて、まるで自殺を仄めかすブログやツイートに積極的にいいねを押しているような人たちに見えることがございます。

作業所には、病気の人もたくさんいるので、ネガティブな話が飛び交うことはある程度仕方ないとも言えますが、相手が病気かどうかは関係なく、どんな場所でも私は、希望が持てないような話や、傷をなめあうような話をあまり聞きたくない人間なのだと思います。

そういう話に限っては、私もそう思うと共感したり、同情や、なんとかして助けてあげたいという気持ちもあまり湧かないので、暗い性格だと思っていた自分は、案外明るくて前向きだったのかもしれません。

こんなとき嫌だったとか、苦手に感じたとか、そういうことをメモしていくと、自分の苦手なことがはっきり分かると同時に、その逆が好きなことなんだということも知りました。

自分の苦手なことを知らずに、生きていくのはいばらの道だったのだと思います。
自分にとって良い環境とか、相性の良い人というのが分からず、苦手な人を避けるばかりで、たくさんの職場を転々として参りましたが、私もやっと、自分はこういう人の下で働けると良いとか、こういう環境だったら週5日いても大丈夫だとか、そんな答えが出せるかもしれません。

生まれてからずっとその場を動かない植物は、日当たりや土の栄養、水の量を自分で選ぶことができないからこそ、どこに生まれるかという点がとても大事なのだろうと思います。
生まれる場所で、大きく立派に育つかどうかが決まってしまうようにも思うのですが、人間みたいに、自分にとって最良の場所や、必要な栄養などをすべて自分で探して生きていかなくてはならないのとでは、どちらが大変なのでしょうか。

自分で好ましい土を探し、自分で適量を見極めて水をやり、時には日当たりの良い場所の争奪戦に参加しなくてはいけないときもあったりします。
ずっとその場に動かず、大きく育っていけるならそれが一番のようにも思いますが、人間が成長するには、自分から好ましい場所を探し、好ましい人を見つけ、苦手な人を避け、良い環境で良い影響を受けなくてはいけないとなると、木のようにのんびりしている私には、荷が重いのかもしれません。

人間である以上は、生まれた環境とか、遺伝とか、そういったものに拘束されず、これからは、私も申し訳程度のじょうろを持ち歩きながら、栄養のある土や日当たりの良い場所を探し、少しずつ自分を育てていこうと思います。
誰だって、ちゃんと栄養とお水をあげて、日当たりの良い場所においてあげれば、お花を咲かせることができると私は信じることにします。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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