見出し画像

卒業不可だったのでえらく反省した話

さて、3/6に話を戻します。覚えてますか、ここまでの顛末。
よろしかったらこちらから。


上がりっぱなしの心拍数のままバイトの退勤時間を待ち、帰ってとりあえず母に報告して、謝った。
私の苦労は母の苦労でもあるので、顔を合わせた瞬間に涙が止まらなかった。

ごめんよ母。ごめんよ。まだ私は母を楽にさせてあげられないらしい。ごめんよ。就活も一からやり直しだよ。入りたかったな、あの会社。なんで卒業だめだったのかな。がんばったんだけどな。ごめんよ。

こういう時、うちの母は妙に強い。普段ぽやっとしてるのに。
開口一番、怒られるかと思ったら、
「学費のことは気にしなくていい、何年かかっても卒業することが大事だから」
と言われて拍子抜けした。
ああこの人は、こんなになっても、大学辞めろとか絶対に言わないんだな。凄い人だ。胆力がある人だ。どこまでも私のことを信じてくれている。
だから余計に、申し訳ない。

そのあと、その強い母と一緒に、本当に卒業不可なのか、大学のウェブサイトを一緒に見た。
もちろん本当に、卒業不可だった。
間違いだったら良かったのにな。

となるといよいよ、冷静になって考えないといけないことが沢山あった。
具体的には、
・引っ越し日を変更するかどうか
・東京で契約した家をどうするか
・内定先にごめんなさいしなければ
・バイト先の退職日を変更するかどうか
・卒業式に来てほしいと頼んでいるフォトグラファーの友達と、どう調整をつけるか
などなどである。
私はいま、卒業不可でありながら卒業の可能性もある微妙な状態である。だから、全部の選択肢を捨てずに考えなければいけない。
泣くだけ泣いて、こんがらがりながらぐるぐる考えた。

まあでも一旦計画通りに動くべきだろうな。

以下、ぐるぐる考えた結果です。

・引っ越し日を変更するかどうか
→引っ越しは元々3/14の朝だった。たぶん3/14の朝の時点では私の進退は決まっていないので、変更後の日程がわかり次第、業者さんに連絡。
・東京で契約した家をどうするか
→内定先の会社が東京にあるため、再び東京暮らしをすることが決まっており、既に住む家も契約済み。4月から東京に住まない可能性も出てきているが、卒業不可が確定していないため契約解除は一旦保留。
・内定先にごめんなさいしなければ
→ごめんなさいはギリギリまでしない。卒業できるかもしれないので。
・バイト先の退職日を変更するかどうか
→4月からもバイトを続けている可能性があるので、退職日を変更させてもらえるか交渉する。社会保険の関係もあるので明日にでも。
・卒業式に来てほしいと頼んでいるフォトグラファーの友達と、どう調整をつけるか
→フォトグラファーの友達には予定通り卒業式に来てもらおう。私も卒業式に行こう。今年じゃないかもしれないが、どうせ卒業はするのだから。せっかく日程空けてもらったし、写真を撮ってもらおう。卒業証書がないのは寂しいので、とっくに卒業している大学同期に卒業証書のバインダーだけ借りよう。


で。
そんなことを考えたあと、(比較的)冷静に大学のウェブサイトを眺めたところ、見落としていた情報にも気がついた。
『再試対象者は3/6中に再試の申し込みをしなさい、3/10に再試を行って、3/14に追加卒業者を発表します』
という旨の掲示があった。
あれちょっと待て。
私は今日、教務課の人が言ったとおり成績不服申し立てをした。
でも、不服申し立てが通って再試になったとしても、私は今日再試を申し込んでいないので、結局再試を受けられない、みたいなことになるんじゃないか?
そんなことあるか?いやあるかもしれない。

怖すぎて生きた心地がしないまま、翌日教務課にまた電話をかけた。

教務課の返答としては、
『成績不服申し立てをして成績が覆ること、また、D評価から再試を受け、それに合格して追加卒業者になること、の2パターンは、手続きとしてあり得るので日程が用意されています。
ただ中西さんの場合、評定不能のN評価から成績不服申し立てをして成績をD評価に覆して、再試を受けてC以上の評価なら卒業できるという、2パターンを同時に行う手続きをしなければなりません。
ただ、この2パターン同時というのは、法学部としては前例がなく、そのため日程自体が用意されていません』
とのことだった。ひえ、
前例がないかどうかは正直私に言われても困るのだが、たぶん教務課の人はもっと困っているのだろう。ごめんなさいね。

ちなみに卒業式は3/17である。
3/17時点で私の卒業可否がわからない場合、卒業可であっても卒業式には出られないことになる。まあそれは百歩譲ってよしとしよう。
ただ、3/31までにはわからないと困る。会社が始まってしまう。
3/31までには何とかなりますよね?と聞くと、がんばります、との返答だった。恐れ入ります。がんばっていただけると有り難いです。

手続き的な話は以上の通り。
ここからはお気持ち的な話です。

まず、卒業不可を喰らって色んなことを反省した。
第一に、母ごめん。
次に、しばらく筆を折っていたことに対する反省である。

私はかつて映像脚本を書いていた。脚本家の先生に就いてダメ出しをもらって、かなり真剣に書いていた。
ただ、去年の7月末に可愛がっていた飼い犬が亡くなってしまい、そのショックが大きすぎて書けなくなった。

いや、厳密に言うとちょっと書いた。
書きはしたが、出来が相当キモかった。
なんというか、本筋と必要ないところでわざわざ死の香りを漂わせて、大見得を切ってその運命を肯定するような話。
そういう作品を否定するわけではないし、むしろ好きだったりするんだけど、ただこれは私の筆致ではない。
私は、望まない運命に対して徹底的に対抗するタイプの女です。何となくここまでのnoteで伝わってるんじゃないかしら。
書く話も結構そういう感じ。
でも唯一"死"だけは、受け入れるしかないわけです。あれは強制終了コマンドなので。
飼い犬が亡くなったことのインパクトが大きすぎて、書くものが全部、運命全肯定ストーリーになってしまっていた。
キモいものしか書けなくなったので、しばらくものを書くのをやめた。

でも3/6になって、卒業不可がわかった。
あーなるほどね。そろそろ書けということか。
卒業不可になれば4月から社会人になる道が絶たれ、自由な時間は相当増える。
今まで書かなかった報いとしての卒業不可かもな、などと、一切因果がない二者を繋げて考えたりした。


そんな感じで色々反省したわけですが、一つ嬉しかったことがある。
もっと勉強をがんばればよかった、という反省をしようがないくらい、必死に勉強した実感があったことである。

喜んでる場合か。

色々考えて色々思ったがとにかく、3/7までにわかったことは、
・私は3/14の成績不服申し立ての返事を待つしかない
・3/17の卒業式には、卒業可であれ出られないかもしれない
・3/31に私の卒業可否が定まっていない可能性がある
の3点です。こわ。
怖いのは最初からか。


今日はここまで。また明日。
友達から助言を受けた中西は、じわりじわりと動きます。

続く。


(photo by tsuchiya mugiho)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?