意味を持たせない日々

書き終わったあとで怖いタイトルな気がしてきた。
怖い話じゃないよ、大丈夫だよ。

あとnoteってこんな使いづらかったっけか。すっごい編集ミスってる気がする。読みづらい気がする。
わーって書いた勢いのまま公開します。

わたしの最近の話ね、なんかめちゃめちゃ悲しいことがあって、実は現在進行形でその悲しいことは続いています。

ご存知の通り、普段は結構何があってもケラケラしています。
楽観的で希望的観測が得意です。
修羅が多い人生を送ってきてしまったので、受け流すのも上手くなってしまいました。

全然知らない人に
「笑顔が素敵ですね」
とか言われちゃったりして、いやいやそんなこと言ってくれるあなたの方がよほど素敵です恐縮です、えいっそ友達になる?みたいなことが半年に一回くらいある。

この前久しぶりに会った先輩に、
「中西は(演劇出身にしては)珍しく明るい(からいい)な」
って言われました。丸括弧の中は推測。
その先輩は超ツンデレなので、最大級の褒め言葉として受け取っております。見てますか先輩。また遊びにおいでね先輩。

で、そんなゴキゲン女が、ここ1週間ほどすごく落ち込んでいます。
悲しすぎるのでちょっと今は理由を伏せさせてほしいんですが、本当に日常生活で笑ってない。
笑わないと相手が心配するなって時と、仕事中の営業スマイルでしか表情筋を動かしてない。
無。
もうずっと顔が無。
それか泣いてる。


まあいいんですそんなことは。


悲しい記憶ってさ、空間とか、物とか、匂いとか、音とか、そういうものに宿っちゃうじゃないですか。
その時たまたま居た場所、持ってたもの、食べたもの、嗅いだ匂い、聴いてた音楽。
気に入ってたはずのそれらが、全て悲しい記憶の呼び水になっちゃう。

それってすごく寂しいことじゃないですか。

わたしもう、これのせいで実家の2階の自室に入れないし、高校の音楽室に行くと動悸がする。あんなに好きだったし、今も好きな場所なのに。

で、いま日常生活でがんばってることがあります。

日々に意味を持たせない

こと。

固有名詞とか固有の場所とか匂いとか音とか、全部排除しながら生きています。

怖いな。文字にすると急に怖い。
でも本当に些細なことなんです。
毎日違う道で通勤するとか、鞄や靴や洗剤を毎日変えるとか、部屋の中のものの置き場所を変えるとか、生活リズムをわざわざ壊すとか。
決まった音楽を聴かないように、最近ずっとラジオを聴いています。しかも著作権の関係で音楽とかジングルが全部カットされてるバージョンのやつ。
決まった食べ物を食べないように、なんかよくわからないごった煮とか、わざとぐちゃぐちゃにした何かを食べています。家族の前だしいっか、と思ってせっかく美味しい餃子を引きちぎって食べていたら、引かれました。それはそう。お行儀どこいった。


もっとわかりやすく言葉を重ねるとすれば、生きていて出会う森羅万象が記号に思えるほどには、意味を持って立ち上がってくるほどには、全てを反復させないようにして生きています。

楽ではない。楽ではないし人間として大丈夫ではない感がすごいけど、これがゆくゆく心を守ることに繋がると知っているので。

いつか日々に意味を持たせられるように。
なんか近々また、そんな日が来るといいですね。


あそれからね、ここまで読んでしまった物好きな方々、お願いだから今まで通り接してくださいね。
LINEのやりとりも遊びの予定もそのまんまで。
今まで通り、喋るし騒ぐし笑うので。無理もしないので。

今日はちょっと叫びたくなっただけ。
は!?意味わかんねえ!悲しすぎる!無理なんだけど!!!!
とか言って。

非日常を睨みつけながら、無理してでも日常を過ごすことで、救われている部分もあるから。
この悪足掻きを、ちょっと手伝って。

じゃね!

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