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酔ひどれ船ってなぁに|中原中也と私

まず初めに。私 西嶋咲紀は中原中也という詩人が大好きです。
自分の“やりたい”を形にする拠点の名称を考えるとき、絶対に彼にあやかったものにしたいと思っていました。

■ なぜに中原中也

■ そもそも中原中也ってどんな人

1925年(大正14年)に18歳で上京した際、ファンだった仏の詩人ランボーの帽子姿で、銀座の写真館で撮影。
NHK「100分 de 名著」中原中也詩集、2017年1月9日放送。(Wikipediaより抜粋)

明治から昭和にかけて30年生きた山口県出身の詩人です。
山口県の湯田温泉には生家跡地に作られた小さな記念館があります。西嶋はこれまでに3回ほど伺いました。

何度でも。行きたい湯田温泉!

■ きっかけは笹塚で見た一人芝居

2007年、当時高校演劇部の部長だった西嶋は一通の招待状を入手します。
今はなき笹塚ファクトリーで行われるお芝居。当時は交通費を小遣いと別で親が出してくれていたのをいいことに招待券で行けるものは日程さえ合えば大概見に行っていました。
そこで見たのが、劇団ムカシ玩具の「ポロリ、ポロリと死んでゆく」

激しく闘い、激しく愛し、悲しみと狂気の中に散った詩人、中原中也。
その詩に綴られた彼の心の叫びを、繊細ないわさききょうこの音楽にのせてお贈りする、舞香入魂のひとり芝居。
劇団ムカシ玩具ホームページより抜粋

当時、中也を“ちゅうや”と読めないレベルで無知だった私がすごく引き込まれた、それは技術的なものも勿論あったのだろうけれど、作品で描かれた中原中也その人の人生に物凄い勢いで惹かれていったのです。

■ 再演しないなら私がやる

以来、詩集買うのは勿論、中也と聞けばなんでも気になる星人になってしまった西嶋。
「いつかまたあの作品見たいなぁ」と再演をずっと待ち続け・・るうちに笹塚ファクトリーは閉館。演じた舞香さんも東京を去り・・

え。私、もう二度とあの作品見られんのじゃなかろうか。

そう思った時、「いつかあの作品を“やりたい”」に気持ちが自然とシフトしていきました。

その後、舞香さんにも快諾いただき、千歳船橋のアポックシアターで毎年開催されている一人芝居フェス APOFESにて、劇団の先輩 弓月玲さんに脚本潤色・演出してもらって上演を実現させたのが2020年。13年ごしの夢が叶った瞬間でした。

APOFES2020のリハーサルにて

■ なぜに酔ひどれ船

中原中也にあやかった名称を調べていく中でこだわっていたこと。

■ 酒を連想させる名前にしたい

私、ご存じのお方もござりましょうが、大の日本酒好きでございまして。
どのくらいって、それはもう、仕事と関係なく日本酒伝道師®️になっちゃうくらい笑

そこで、今後日本酒会とかも企画したい!というのと、酒を連想させる名前の方が単純に知り合いへのウケが良さそうというのとで、中原中也の詩のタイトルをひたすら「酒・・来い、酒・・!」と探していったのでございます。

■ 二日酔いは流石に・・

探す中で、実は酔ひどれ船の他にもう1つ候補が浮上しました。それは・・宿酔。

朝、鈍い日が照ってて
   風がある。
千の天使が
   バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
   白っぽく銹さびている。

朝、鈍い日が照ってて
   風がある。
千の天使が
   バスケットボールする。
『山羊の歌』より「宿酔」

「酔ひどれ船」は中原中也の好きなフランス詩人アルチュール・ランボーの作品の翻訳。できることならオリジナル作品のタイトルから採りたい!でも・・

“やりたい”を形にする拠点の名前が二日酔いって・・流石に先行き不安すぎだろう。

いろんな人に乗ってもらって漕ぎ出す“船”のイメージが拠点の名称としてぴったりだなぁ。

などと考えた結果、今に至ります。

ちなみに。読みは“よいどれぶね”です。

かなり長めの詩なので、どんな詩か気になる方はこちらから読んでみてください。

■ まとめ

酔ひどれ船(よいどれぶね)という名称は中原中也という詩人の翻訳したフランスの詩から採りました。この作品を見つけられなければ、宿酔(二日酔い)になるところでした。危ない危ない。

今後とも不定期にぼちぼち更新していけたらと思いますので、是非また覗きに来てください(*´꒳`*)

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