大好きな、君の
るぅとくん YouTubeのチャンネル登録者数、100万人突破 本当におめでとう。
これをるぅとくんが見ている頃にはもう、その景色をたっぷり目に、心に、焼き付けているんだよね。
考えると、胸が熱くなる。ずっとずっと、一緒に見たかった景色。切望して希って、やっと。
あの日交わした約束。その続きを紡げたこと、辿り着いたこと。なにより隣で、一緒に居られたこと。とても嬉しく、誇らしく思います。
今日は、そんなるぅとくん積み重ねてくれた______に感謝を込めて。
私の想いの______を。
カタチ、形、重ねて
世の中には、あえて漢字を使わないで表記する言葉があるらしい。
たとえば「していただく」。
「して頂く」と書くと(意味は伝わるけれど)厳密には、頂戴するという意味合いも含んでしまうようだ。
感覚でわかっていたけれど、こうして実際に知ると、一層言葉への理解が深まったような気がする。漢字にプラスな気持ちを抱いているわけではないるぅとくんからしてみれば、ありがたい話なのかもしれないね。
……無意識的に「ありがたい話」と書いたけれど、これも「有り難い」だったら意味が変わってくるのかな。有ることが難しい、そのこと自体に感謝する、みたいな。
こういう、表記によるニュアンスの違いについて考えていると、いつも真っ先に思い浮かぶのは るぅとくんのことで。
『熱と白昼夢』では顕著に感じたよ。詩の温度、るぅとくんがそれをいかに重んじて、大切に考えているか。
「サムい人生」「冷めた太陽」の温度感の対比や、「長い永い白昼夢だった」の震えるような奥深さ。
るぅとくんが意味を深くまで落とし込んで、綴ってくれたものだと感じられて、大好きな詩。
MVでは、こだわり抜かれた詩や美麗な絵とともに音楽を楽しめるから、サブスクで毎日聴いていても、MVを観にいくことが多々ある。
そんなるぅとくんの______が詰まった、るぅとくんのチャンネル。
「るぅとくんの届けてくれたこれは、カタチか、形か」。
るぅとくんへ言葉を届けるとき、思案していることの一つです。
るぅとくんの届けてくれるものには、2種類の『かたち』がある。
一つ目は、形のあるもの。アルバムやグッズ、ライブもそれに含まれるかな。
二つ目は、心に永遠に残り続ける、カタチ。
MVや音楽そのものに形はないけれど、るぅとくんが想いを詰め込んで積み重ねて繋いでくれたものは、カタチとして私の心に根付いているよ。
るぅとくんのYouTubeチャンネルに詰まったものは、後者だと思う。
音楽に、生放送に……形として握りしめられるものじゃないけれど、私の心を埋める、物以上に大切なピース。
今、(るぅとくん関係なく)重要視されるのは、目に見える『形』なんだよね。
どれだけいい物を持っているか、とか、どれだけ経歴が華々しいか、とか。
だけれど、私はるぅとくんの『形』より(形に惹かれた側面もあるけれど)、『カタチ』に惹かれた。
届けてくれる音楽は、唯一無二のあたたかさをもたらしてくれる。
伝えてくれる言葉は、なによりるぅとくんのまっすぐさを感じられる。
そんなるぅとくんのカタチが、100万回、心を、世界を動かした。
それって本当にすごいことだと思う。すごいこと、なんて表現じゃ到底足りないくらいには。
形も、カタチさえも、100万回届いて、それ以上に支えになっていること。100万回、誰かを動かす理由となったこと。私にとっても誇りです。
改めて、本当におめでとう。
るぅとくんの紡ぐカタチが、形が、その全部が、なにより大好きです。
これからも、カタチが紡がれていく瞬間も、受け取れる瞬間も、隣で大切にしていけますように。