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愛纏う「ありがとう」





突然ですが、今日は何の日だと思いますか?

ネットで調べてみると、雑学めいたものがたくさん出てくる。
語呂合わせとか実際過去になにかが起きたとか、それはもう多種多様な記念日が。

もしかしたら今日が誕生日という方も身近にいるかもしれない。
でも、私にとっては、そしてたぶんるぅとくんにとっても、今日は何の記念日でもないありふれた1日だと思う。

記念日といえば、直近で

「伝えよう感謝の日」

があったよね。


あの日からぐるぐるといろんなことを考え、るぅとくんに伝えたい感謝ってなんだろうと想いをめぐらせていた。
そんなこんなで、今。こうやって言葉と向き合っている。なんでもない日、なのにね。

こういう形で届けるか悩んだけれど、なんでもない今日だからこそ、るぅとくんにありったけの感謝を伝えたくて。

いつ君に届いてもいいように。いつだって君に寄り添える感謝を、今 届けさせてね。






まずなにから、どんな感謝から伝えたらいいかな。

想いが無いわけではない。むしろありすぎて、喉につっかえてる感じ。
それらが押し合い圧し合い、にならないよう、順を追って伝えさせてもらう。


日々、想いを形にしてくれてありがとう。


るぅとくんの主な活動は作詞作曲。まさかその知識もなしにこの文章を覗き見ている方はいらっしゃらないと思うが、百万が一のために記しておく。
彼の音楽は本当に素敵(こんな一言じゃ到底表しきれないほど)なので、ぜひ聴いてみてほしい。ちなみに今のオススメは「生きる話」。受け取ってから初めて迎える真冬、あまりにもぴったり。個人的に「トリックスタァ」の、普段音楽を聴くときに使わない脳を刺激される感じも好き。

なんて、好きを語っていたら長くなってしまう。
話を本筋に戻すけれど、その主な活動はリアルタイムに受け取れるものではないよね。
どんな曲を作るのか練り、徐々に形にしていって……途方もない時間、そして労力が費やされるものだと思う。

だからこそ、届くのには時間差が生まれる。

その時間差、隙間こそ楽しみを温めておくのに丁度いいと言ったらそれまでなのだけれど、なにより届ける張本人 るぅとくん自身が、その隙間をもどかしく感じる瞬間もきっとあるよね。

私だって、ないと言ったら嘘になる。
早く受け取りたい、その想いを形にしてくれたものに触れたいと思う瞬間も多々あって。

言ってしまえば、るぅとくんの日々の作業は暗闇の中をマラソンしているようなものじゃないかな。そんなに冷酷なものではないといいのだけれど。

受け取ったときにどんな反応をされるか未知数。どんな完成(ゴールと読むイメージ)に辿り着くかもわからない。

そんな中で、ただひたすらにまっすぐ 明かりを、熱を求めて走り続けてくれて、その果てしない道のりの中でも果てぬ想いを形にしてくれて、ありがとう。

どんな暗闇の中だって、るぅとくんが居てくれること、まっすぐに走り続けてくれていること、しっかり想いを形にしてくれていること 伝わっているから。
だから、寄り添いたい。明かりでありたい。明かりを、熱を守り続けたい。

るぅとくんはきっと、日々当たり前のように椅子に座ってパソコンに向かって作業をしていると思う。

それがるぅとくんの当たり前であるのかもしれないけれど、それでも すごいことなんだって、自分をたくさん褒めてあげてください。


「自分の声を繰り返し繰り返し聴く作業が好きではない」

何回か、君の口から聞いたことがある。

そのたびハッとさせられる。君の作業は単なる「作業」じゃない。
「作業」という言葉はなんだか、あまり感情を持たずにただこなす、というイメージが強いけれど、君のはそうじゃないんだ。

私はよくクッキーを作るのだけれど、薄力粉を振るうのが苦手だし好きじゃなくて。でもバターとお砂糖を混ぜ合わせるのは好きなの、おいしそうで。

こんなふうにるぅとくんにも、好きな作業……はあるかわからないけれど、好きじゃない作業だってあって。
決して平坦な感情で向き合っているわけじゃないんだよね。「やりたくないな」と思いつつ重い腰を上げてパソコン前の椅子に座る日だってあるだろうし、「今日はなんだかうまくいきそう!」と思う日だってあると思う。

そういう細かな日々の頑張りが、るぅとくんなら「音楽」というひとつの完成へ向かっていること、知ってるよ。

その頑張り自体が全部まるごと届くことはきっとない。けれど、頑張ってくれているって揺るがない事実はわかってる。そばにいるんだもん。

ただ想いを形にする、だけじゃなくて、そこに至る頑張り、過程まで含めて。
その全部に、ありがとう。


日々、言葉にしてくれてありがとう。



るぅとくんの言葉は優しいな、といつも思う。

言葉遣いはもちろん、そこに込められた想いまで優しくてあたたかい。

と同時に、強さに似たものも感じる。

言葉にしたい、言葉として届けたいという強い想い、たくさん込められているんじゃないかな。込められているよね。

強さと優しさ、あたたかさ。まさにるぅとくんそのものみたい。

「言葉にするのって難しい」

たまに零す一言。
わかる……! といつも、この同じ苦悩を共有できる喜びを噛み締めているよ。喜ばしいことではないにしろ、おそろいって嬉しくて つい。

きっと、音楽が持つ力も言葉が持つ力も、両方理解しているるぅとくんだから言葉で届けたい想いもたくさんあるんだろうなって。それゆえの苦悩や逡巡、さえも愛おしいけれど。

「言葉でも届けたい」。るぅとくんはもう充分、音楽で届けてくれているのに。当時そんなことを思っていたっけ。

当時の私はある部分は正解で、ある部分は間違いだったと思う。「半分正解で でも半分以上間違い」ってやつ。

るぅとくんがいつも受け取るのは、言葉だ。

ツイート……今はポストって言うんだっけ。しかり、DMしかり、お手紙しかり。

数々の言葉に心動かされた瞬間が、きっとあったと思う。言葉の持つ力、そのすごさを君は理解していたんじゃないかな。

だからこそ、音楽では届けられない部分。さっき書いた通り、日々の細かな頑張って音楽ではどうしても届かないじゃない。
そこだって、そしてそれに含まれた想いさえも届けたいという気持ち、心の奥底にきっとあったよね。

あの夏から1年と少し。紅白歌合戦というひとつの到達点のような大舞台に立てることが決まって、しっかりと言葉にしてくれた君。
「未完成のシナリオ」という形で届けてくれた君。

どちらも絶対に、絶対に欠けてはいけないピース。

言葉の大切さをこうして感じられるのも、るぅとくんが言葉にして届けてくれるからに他ならない。

言葉はその人自身を表すってよく言うけれど、るぅとくんはそれが顕著だと思う。
強くて優しくて、あたたかい。
そんな言葉を紡ぐ君が、たまに零してくれる心の奥の方にあるやわらかい部分も、全部含めて君を感じられて すっごく好き。

言葉にして届けたいという想いに、そして言葉という音楽とはまた違う形をつくり上げてくれる君に、ありがとう。

日々、大切にしてくれてありがとう。


言葉の大切さを知っているるぅとくん。君はこの一文をどう受け取った?

「日々を大切にしてくれてありがとう」かな。それとも「日々私たちを大切にしてくれてありがとう」かな。どちらも正解なのだけれど。

るぅとくんがしっかりと向き合って大切にしてくれていること、一つ一つから伝わってくる。感じてる。

たとえば、曲の歌詞から。

「強くなった君も 変わらず守りたい僕の大切だ」

僕の大切。これほどまでにストレートな歌詞があっていいのかな、幸せが溢れてしまう。歌詞通りなのでこれ以上感情的な言葉で飾ることはしないけれど、本当に好きで素敵な歌詞であり曲。

大切にしてくれている。そう感じる瞬間は他にもあって。

たとえば、言葉の節々から。

「木曜日まで長かった」「この時間を待ってた」という放送の最初に伝えてくれる言葉から、
「君が頑張っていると思って頑張る」という放送が終わる前に伝えてくれる言葉まで。

同じ気持ちで頑張れていること、同じ気持ちで同じ時間を過ごせること、いつもすごく嬉しく思う。

ネット上での反応が力になっているとか、そういう言葉だって、それを大切にしてくれているから出てくるものだと思うし、普段のツイートだって。
木曜日のために頑張るとか一緒に頑張ろうねとかよくがんばったねとか、受け取るたび泣きそうなほど心があたたかくなる。

その一つ一つから、大切にしてくれているんだなあ おそろいの気持ちだなあって感じられて幸せだし、私の頑張る意味であり理由でもある。

頑張る理由がたくさんあるような日常を送っているわけではないけれど、るぅとくんという意味や理由 そして原動力があまりにも大きくて。
それだけでどこまででも頑張れてしまうよ。
その意味や理由、原動力だって君がくれた大切。

そしてこれはあまり深堀りしないけれど、たまに、なにか言いかけて言うのをやめる瞬間があるよね。きっとそれは私たちのことを想ってくれているからこその選択で。
るぅとくんの中に留めておいてくれているのも大切にしてくれているからこそだって、伝わっているよ。ありがとう。その選択を尊重させて、寄り添わせてね。

今まで書いた全部を強く感じるのは秘密基地。
いちばん大切を濃く、ひしひしと感じる場所。

お互いが大切だって想い合っているからこそのあの温度、大切にしていたいね。


想い合い、想い逢い、想い愛。
一つ一つの想いに、大切に、ありがとう。





まだまだ伝えたい感謝はたくさんあるけれど、あまりに長くなってしまうのでこのあたりで。

書いていて思ったのだけれど、るぅとくんへの「ありがとう」と「好き」って極めて近しいところにある気がする。

君への「ありがとう」って文字にしてみればただの文字の羅列だけれど、そこにこもった想いは 纏う愛は数え切れないほどあって。
言葉にするたび、大きさも熱も微妙に違った形になると思う。
そこも含め、「好き」と似ている。

どちらか片方だけじゃ嫌だ。
お誕生日には「好き」をメインに伝えたから、今回は「ありがとう」を主題に伝えさせてもらおうと思って。

なんでもない日に綴るありふれた感謝を受け取ってくれて、ありがとう。

想いを形にしてくれて、言葉にしてくれて、大切にしてくれて、そしてそれを未来に繋げてくれて 紡いでくれて、ありがとう。

そばで寄り添って、どこまでも同じ目線で同じ未来を見つめていられる君だから。
単なる感謝じゃなくて。
愛纏う「ありがとう」、これからもそばで 隣で伝えさせてね。好き。



2023年、とあるありふれた日。
さき

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