しんどいけど、生きてりゃあなんとかなるよ。


私はいま、大阪にあるD×P(ディーピー)というNPO法人でインターンをしている。

広報・ファンドレイジング部の1人として、Webサイトの更新や広報物のデザイン、メールニュースの作成、その他経理・事務のサポートなどを行っている。昨年12月から始めて4ヶ月目を迎えたところだ。

さて、「インターン」というと、学生がするものというイメージを持っている人が大半ではないだろうか?ちなみに私はいま28歳で、大学を卒業して丸5年になる。

そんな私がなぜ、今になってインターンをしているのか?


大学を卒業した後、私は教育関係のNPO法人(D×Pとは別の)に就職した。大学時代から、さまざまな学生活動に参加し、社会人も混じえて数々のイベントやプロジェクトの立ち上げ・企画運営に携わっていたこともあり、意気揚々と新天地に赴いた。

しかし、そんな私の抱いていた自信や期待はすぐさま崩れ落ちた。全く新しい環境、新しく出会う人たちと一緒に何かを創り上げていくというのはこんなにも大変なのか…突きつけられた。

当時は「私がこれまでにしてきたことは単なる学生のお遊びだったのか」と落ち込んでいたが、今振り返ると決してそうではない、と思う。立場が学生であれ、社会人であれ、新しいことに対しては皆、未経験から始まるからだ。

でも、あえて学生と社会人の違いを考えてみるなら、「一緒に働くチームメンバーとの関係性構築に時間を割けるか?」という点は違いとしてあるように思う。学生の活動(あるいは大人でも仕事ではない、趣味やサークル活動など)は、その多くは「ボランタリーな活動」だろう。それは金銭的なインセンティブが発生しないという意味ではなく(それも多少関係するかもしれないが)、「volunteer」の語源である「volo(ウォロ)」の【自発的な】という意味である。これは私の感覚だが、自発的な活動は、それにかかわる人たちとの関係性の構築を自然と指向するものであるように思う。だからこそ、「活動の本来の目的」(野球部なら野球をすること、イベントサークルならイベントを企画し実行することなど)と付随して存在する「メンバーとの関係性構築」は対等になりやすい。だが、金銭的なインセンティブが主となることが多い仕事の場合、「活動の本来の目的」が優先されることが多いのではないだろうか?

そう、悩んでいたその当時は、わからないことだらけで「うまくいかなかったな」と思うことがあれば、それは全て【自分が無能だからだ】というところに帰着させてしまった。その結果、すっかり自信を失ってしまい、一年も待たずに退職することになってしまったのだ。

でもいま振り返ってみると、私がつまずいたのは、「それまでと違う環境で、初めて出会った人たちと一緒にはたらくことへの戸惑い」が一番大きかった。もちろん仕事自体への難しさもあっただろうが、もし仕事をする中で感じる違和感や難しさを安心して相談できる場や相手がいたら状況はかなり変わっていただろうと思う。


そのことに行き着いたのは退職して少しした頃。学生時代にお世話になった人たちと偶然再会する機会があった時に、仕事を辞めたことを報告していたら思わず泣き出してしまった。

仕事を辞めてしばらく経っていたので働いていた当時より少し冷静になっていたからかもしれないが、悩んでいた当時のことを説明するために振り返っていたら、「何が悲しかったのか」「どこが悔しかったのか」「私があの時どうして欲しかったのか」がどんどん溢れてきて涙が止まらなくなった。

その時、聞いてくれていた相手から「悩んでいたその時に話が聞けていたら辞めずに済んだかもしれない。その当時に何もしてあげられなかったのが残念に思うよ」というふうな言葉をかけてもらってものすごく安心したのを覚えている。(りょうさん、ヒデさんありがとう…)


その後、退職してからの数年は学生時代から関わっていたNPO法人full bloom(ふるぶるーむ)の活動にのめり込んでいく。ここに関わった時間がまさに私にとって「生き直し」のような時間になった。

仕事をするということ。自分に正直に居るということ。相手と正面から向き合うということ。そんな人間関係のトレーニングを積んでいくことができた。


それまでの私は、自分の思いや考えを「隠す」ということが無自覚に身につけてしまっていた。

ふるぶるーむの代表・あきさんとは印象深いシーンがたくさんあるのだが、ある日プロジェクトの相談であきさんから電話がかかってきた。その時私は運営を担当していたイベントがたった今終わったところで、片付けやら事後の振り返りやら参加者とのコミュニケーションやらがまだ片付いていない状況だったが「いま、いける?」という電話口のあきさんに対して「…大丈夫です!」と一拍おいて返事をしていた。

すると、「ホントに?手空いてないんじゃない?」と聞かれて、そこでようやく「実はまだ…」と打ち明けた。それを聞いたあきさんに「無理なときは無理って言って」と言われ、私はハッとした。

自分のことは二の次で、相手を優先するもの。それが仕事であり、目上の人に対する当然の態度だと信じていたからだ。確かに経験年数や立場は上だが、仕事をする上では対等であるはず。しかし、私は自分でも気がつかないうちに、自己卑下な気持ちから自分を相手より下に置いていたらしい。

自分に正直に居るというのは、言葉にするのは簡単だが、これがものすごく難しい!!!

自分さえ無理をすればいい。それを前提に動いてきた私が、本当は「どうしたいのか?(どうしたくないのか?)」と向き合うのは本当に苦しかった。でもそれをひとつひとつ、生々しいコミュニケーションの中で重ねていくことで、分岐点に戻って「自分らしく生きる」人生を生き直しさせてもらったと思っている。

(その延長線上に、生活する上での性別を変えるという大きな選択があったのだがそれはまた別の機会に書こう…)


30歳を目前にして、いま新たに「インターン」をしているのはこういうプロセスを経てのことだ。最初の仕事でつまずいて、自信をなくして。安心安全な環境の中で自分自身と向き合う時間を持てて、その中で人生を通してずっと引っかかっていた小骨をひとつひとつ抜いていく作業を取り掛かった。

あらかたの小骨を抜いて、すっきり感を取り戻した今、改めて「新卒」の心持ちでいる。

「どうせ自分なんか」と自己卑下して、正直な気持ちを隠してしまい込むことはもう手放したい。情けなかろうが、残念に思おうが、自分の弱さも抱き合わせて。自分の強さを、力を使っていけたらいいなと思う。

そして、伝えていきたいのだ。私の言葉をなんて誰にも必要とされない、とどこかで諦めてきたような気がする。でも、この私の体験や思いが誰かの救いになるかもしれない。そんな人がいるのなら、私のぐるぐると回り続ける私の葛藤も意味があるはずだ。

「しんどいけど、まぁなんとかなるよ」私が側で言って欲しかった言葉を代わりに私が伝えよう。















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