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【小説】知らないフリ

こうすればスキになってくれるでしょ。

―――
「ねえねえ、なんでいつも難しそうな顔をしているの?」
 いつもの放課後。
 授業終わりに自分の席でいつも通りノートをつけていると、汐沢さんが声をかけてきた。
 長くてサラサラの黒髪。おっきな身長。おっきなおめめ。
 いつもは違う友達グループに居るのに、何故だかフレンドリーでにこやかな表情で私の席の真横に陣取られている。
「……別に、こういう顔で生まれてきただけ」
 眼鏡の端からチラリと汐沢さんの顔を見てから、すぐにノートに視線を戻す。
 けれど、汐沢さんは気にせず話かけ続けてきて。
「うそだぁ。ほら、ノートにいっぱいいろんなこと書いてる!」
 ……私の手元のノートを指差しだした。
「さっきの倫理の授業の時にもプラ……なんだっけ」
「プラトン」
「そう! プラトンのことについてアレコレ聞いてたじゃない? 南風さんって倫理……じゃなくって、心理学……じゃなくってぇ……」
「哲学って言いたい?」
「そう! 哲学好きなの? って聞きたかったの! へへ……よくわかったね」
「まぁ……プラトンも、倫理の人っていうより哲学の人って感じだし……ホントは……」
「へぇ~、それでそれで?」
 汐沢さんは、ナチュラルに私の前の席に腰掛けると、背もたれに頬杖をついて『ワクワク』って効果音が鳴りそうな顔で私の話を待ち受けた。
「……さっきの授業、『プラトンの洞窟』の話が出たでしょ」
「あーなんかみんなが縛りつけられてて可哀想だったやつ」
「………………まぁ、『縛られてる人が可哀想』っていうのは正解だと思うけど。それが……真実なんだとしたら、洞窟を出た人たちはどうしたらいいんだろうって思って色々聞きたかっただけ」
「みんなの縄を解いてあげればいいんじゃない?」
「……授業聞いてた?」
「えへへ、あんまり」
「……プラトンは、洞窟で縛られている人たちを『この世の真理に目を向けない大多数の一般人』だと言ったの。一般人は自分たちの後ろに灯された松明の火が、洞窟の壁に映し出す影しか見ることが出来ない。縛られたままだということにも、自分たちが見ているのは影に過ぎないんだということにも気づかずに生きている」
「ほんほん。なんか縛られてるってこと以上に、いろいろ可哀想だね。影しか見れてないのに、『それが影だ』ってことも分かってないってことでしょ?」
「そういうこと」
「おトイレとかどうするのかな」
「………………そこは置いといて。この世の真理というものを探究して、真実を知った者たちを『洞窟の外に出た者たち』……哲学者たちだと言ったの。プラトンは『国家』というテーマの中でコレを語ったから、話のオチは『哲学者こそが王となり国家を統治するべきだ』って言ったんだけど……私たちに関係あるのはそこじゃないでしょ」
「そりゃ~そうだね。王様って居ないし。あれ? 総理大臣って王様?」
「総理大臣は王様じゃない。どっちかと言えば天皇様が王様かな、皇帝って言うのが正しいらしいけど」
「ほぇ~天皇様かっこいい~」
「……また脱線してる」
「んへへ、ごめんごめん。それで?」
「……だから、プラトンみたいに『哲学者がこの世の真理に気付いた人』だとして、大多数の人は縄に縛られたままの暮らしで別に良いってことでしょ?」
「えぇ~? なんでなんで? みんなも洞窟の外に出て元気いっぱいおトイレしたくない???」
「……ホントに授業聞いてなかったんだ」
「んへへ、なんか言ってたっけ」
「『縛られた人たちに真実を伝えたとしても頭がおかしくなったと思われる』って言ってたでしょ。縛られた人たちはこの世の真実を知らされても嬉しくない、自分たちの信じてる世界を壊すやつにしか思えないんだよ」
「まぁ~確かに。いきなり『キミたちが教えられてる公式は全部嘘だ! この難しい公式を全部覚え直さないとテストで0点になるぞ~!』って知らない人に言われても、学校の先生の方が正しいこと言ってるって思っちゃうよねぇ」
「そう……だから、現代において『洞窟を出た人たちはどうしたらいいのか』って話を聞いてたの。結局答えらしい答えは出なかったけど」
「なんで? 先生はなんて言ってたの?」
「『哲学は往々にして理解されないものだ』ってさ」
「うぅ~ん確かに。むずかしいもんね、なんかいろいろ」
「……ぜったい良く分かってないでしょ」
「へへ、まぁね」
 ふい、と窓の外を見た汐沢さんは、しばらく考え込んだ後ハッと気が付いたような顔をするとこっちを振り向いた。
「つまり南風さんは哲学者ってこと!?」
「……そんな大層なものじゃないけど……まあ……先生に質問したときは、そういう体裁で話したかな」
「えぇ~! かっこいい~! 哲学好きなんだ!」
「……まぁ……ちょっとだけ……」
「なんでなんで?」
「……なんでって……どういう意味さ」
「だって哲学って今日の授業聞いただけでも難しいし、なんの話してるかわかんないこともあるし? すっごい昔の人の話が出てくるから何をどう聞いたらいいかわかんないこと多くない?」
「それは……まぁ……世界史とか……ギリシャ史とか……そういうのやってれば……なんとなく……」
「ほぇぇ、南風さんは社会のほうも好きなんだ」
「すっごく好きってわけじゃないけど……まぁ……そういう方面は、なんとなく……」
「へぇ~! 南風さんはなんで哲学~とかそういうの好きなの?」
「ん……なんでって……なんか、この世の、数学の公式みたいな感じがするから?」
「この世の? 数学の公式? ……???」
「あ……なんか……道徳の授業とか、小学生の頃あったでしょ」
「あったあった! こころのノートとかのやつ!」
「そうそう。そういうのだけやってもさ……なんていうの、全然、友達同士の問題とかさ、解決しないじゃん」
「確かに~。『思いやりを持ちましょう!』みたいなの書かれてもさぁ、みんなわかってるはずだけど出来ないからギスギスするんだもんね~」
「そう。だから、そういう話の延長……っていうか、詳細の説明、みたいな……道徳の授業とかでやんわり説明されてることの本質みたいなのが哲学には書いてある気がして……哲学だったら、実生活に活かせるでしょ」
「……洞窟は出た方がいいよ~、とか???」
「そうではないんだけど………………まぁ……いいや……来週の授業でやると思うし……」
「そっかそっかぁ」
 汐沢さんはなんだか楽しそうに頷くと、スマホを取り出して何やらたぷたぷ書き出した。
「『倫理の授業は、この世の公式の授業』っと」
「……メモんなくても」
「にへへ。いーの、感動した言葉だったから」
「じゃあ……まあ……いいけど……」
「ねね、南風さんって誰かと一緒に帰ったりとかある?」
「え……別にないけど……あ、でも、時々東城さんとか西野さんとかと帰ったりする……かな」
「………………ふぅーん」
「え、なに……?」
「今日は居ないんだ」
「あ……うん。そう……かも」
「じゃあ一緒に帰ろーよ!」
「え……うん、いい……けど」
「へへ、やった!」
「なんで急に……?」
「んー? うーん……あたしも……ほら、縛られたまんまで壁に映った影しか知らない人に、洞窟の外の世界を見せてあげたいなー的な?」
「……??? そう……なんだ」
「そーなの! ……ねね、哲学の話って結構するの? 東城さんとか西野さんたちとかとさ」
「え……ぜんぜん。急にされても……困るでしょ、普通」
「ふぅーん……ふぅーん………………」
「な、なに」
「ううんっ! へへ、あたしにはいーっぱい聞かせてくれていいからね!」
「うん……わかった」
「それじゃあ早速帰ろ~! どっか寄ってく!? もっと色々聞きたいし! あのー……なんだっけ、プラトンの先生みたいな……ソ、ソドムとゴモラじゃなくって……」
「ソクラテス?」
「それ! とかもさ!」
「……ふふ、うん。わかった。わたしが分かる範囲になっちゃうけど」
「へへ、やった~」
 そうして、私は汐沢さんと一緒に帰路についた。
「そういえば……なんで今日は声かけてくれたの」
「えぇ~? だって南風さんとお話したい気分だったんだもーん」
「そう……なんだ。なんで急に――」
「あ~そうだ! 駅前に新しくクレープ屋さん出来たの知ってる!? 南風さんってクレープ屋さんとか行かない方かな!?」
「え、あ、うん……あんまり寄り道とかしないし、お店も……行ったことない、かな。屋台とかなら……あるけど」
「え~! じゃあ絶対楽しいからいこいこ!」
「あ、ちょっと待って……! 走んないで……! 足……! 追いつかないから……!」
「ほらほら早く~!」
 
~おしまい~

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