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返報性の心理とお金の呪術的起源

人がサービスに対してお金を払う時、実は人の心理的呪縛を祓うお札としてのお金の呪術的起源が垣間見える。

人から物やサービスを受けたら、もらった側が心理的に弱い立場になり、それを解消するためにお返しをしたり、お金を払ったりする。

心理的呪縛を祓うお札でもある。それによって自分の心理的立場を強化することができる。バランスが戻る。

だからお金を沢山稼ぐ人はそれを世の中に還元しているうちはいいが、自分のところに溜め込むと、良くないことが起こる。心理的にも弱くなって叩かれやすくなる。

昨今は政治の不満が炎上となってタレントや上級市民に向いているが、解決策は庶民への分配を増やすしかない。

お金は呪いのお札を溜め込むようなものだから、放射能内部被曝のようなもので、少しづつ毒が体に蓄積していく。

ホリエモンのライブドア株の暴落、清原の麻薬問題、小室哲哉の凋落などは闇の勢力によるものであるが、そこには神の見えざる手も働いている。

清原、小室哲哉などはお金もちゃんと使ってたはずだが、大量のお金を稼ぐこと自体が危険なことなんだろうとも思う。

ホリエモンがいつまでも批判されるのは小室哲哉のように一文無しになってないという理由によるのだろう。

そんなものあるわけないと思うだろうが、何故、餃子の王将の社長は殺されたんだろうかと考えればそういう宇宙の法則があると考えるしかない。

ポリネシアあたりでは、自分の大切にしている家宝を人の前で粉々に破壊するポトラッチという風習がある。

意味が分からないと思うが、これが究極の贈与であり、相手に対する誠意の示し方だという。

この辺りは経済人類学とか文化人類学とかの贈与に関する本を読むと面白い。

お歳暮とかも共同体の心理的絆を深め、市場経済の基礎となっている。異民族同士の交流が経済発展に寄与する。

日本の場合は山人の縄文人と田畑を耕す弥生人の交流が起源だ。

山で茶碗を作ったり薪を拾って売るのは山人で、それを平地民が食糧に交換したのが起源だろう。

かつては貨幣は貝殻やお米だったりして、貨幣経済が発展するのは信長以降であった。鉱山、鍛冶職人は山人だし、漁師も海人という意味では縄文系の子孫であり、農耕してる弥生人とは別文化をもっていた。

異民族間の贈与、交換が市場経済に発展して、やがて貨幣も使うようになる。文化によって貨幣は違い、日本は銀が主体であったが、地中海文化、中国、インドは黄金文化だったりする。江戸時代の金の流出は銀本位の日本の文化のためなのだと思う。

富、お金は共同体の王の元に集められて、人々に再分配される。

安部総理が公共事業の12兆円を前倒ししたらしいが、1兆円ぐらい保育園に割いたらとか、大企業の内部留保は積み上げ過ぎだろと思ったりする。

それは経済的な政策提案でもあるのだが、実はお金の呪術的起源を考慮した発言でもある。

最近はお金を稼ぐのは良いことだと云われてるが、それはそうだと思うのだが、イケハヤさんやはあちゅうさんのような有名人が非難されるのも、単に嫉妬や妬みではなくて宇宙の法則なんだよねと思う。

現実的にもうちの奥さんがタイに里がえりする際に、ちゃんとお小遣いやらないと渋い顔されるし、デートでワリカンする男も女子会でボロクソに云われるのはある意味、天罰なのかもしれない。

複垢の不正をしても、そのひとが書籍化作家になるとかでなければ、若干、お大目に見られるが、書籍化作家になっちゃったら、コメント欄百件が全部埋るような非難を浴びる。

個人的怨みや嫉妬を超える共同体の意思を感じないだろうか。

ということで、どんどん稼いでもお金に羽が生えてどこかに再分配されてしまう僕にはあまり縁のない話しでした(笑)

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