資格試験と仕事、経済人類学、暗黙知、ナリワイ
資格試験と仕事
電気関係の資格試験に合格したので会社に提出したら、それを生かして受電設備の点検などの仕事を覚えようかという話になってきた。
まだ本社に打診しないとどうなるか分からないが、変則夜勤→昼勤に戻ることになるかも。夜勤は丸二年だが、あまり身体に良くないのでそれもいいかも。
まだ、子供はいないけど、同居の母親は年金で暮らせるし、とりあえず、奥さんを生き延びさせるために、なるべく長く生涯現役で働くためには実務経験を積んで、職場で生かせるもうひとつ上の資格を取ると可能になる。ついでに技術士とか取ってもいいのだろうが。
その資格の合格率は理系の人でも9%ぐらいで、数学が必要で僕は文系で数学は高校時代は赤点だった。普通に考えれば無理だろうと思うが不可能でもないかもしれない。
微分積分とか使わなくて、サインコサインとか、対数程度までで、オームの法則とか、かなり限定される。
中学時代は国語と理科、地理、歴史の社会科などが、さほど勉強しないのに100点近く、つまり暗記力は異常に良かった。
それにしては英語、古文などはダメダメで、大学は三流国公立大学経済学部経済学科経営ゼミだった。
当時は自分が暗記力は異常にいいなどということに気づいてなかったのだが、30代ぐらいから資格試験に挑戦するうちに、他人との比較において、これはおかしいぞ?と気づいてきた。
結局、自分の能力や才能、長所、強みというのは、本人にとっては当たり前であるから、意外に気づきにくいのだ。
だから、変に思い込まず、自然に長く続くことを中心に考えていくと自分にとっての強みが見えてくるようになる。
小説書くのも自分の中にキャラクターや世界観を記憶しないといけないので、大いに役に立ってる。
あなたの「強み」「弱み」を調べる簡易テスト
経済人類学者 栗本慎一郎氏
卒業論文は「経済人類学と文明」というタイトルで、小保方さんのようなコピペではないが、経済人類学者の栗本慎一郎氏、カール・ポランニーなどの著者などからの引用だらけだった。
カール・ポランニーはハンガリーのブタベストで知識人とガリレイサークルを主催していたが、フリーメーソン左派だと言われていて、奥さんは美人のハンガリー社会主義革命家のリーダーだった。
ドイツで経済誌の記者をやっていた時に、名経営学者のドラッカーの才能を見出し、後に家族ぐるみの付き合いをした師匠的存在でもある。
「大転換」という著書が有名で古代、中世社会が資本主義社会に移行した際に、その衝撃を和らげるために社会が共産主義や社会主義を生み出したという一種の社会生命体説を展開した。
東大→首都大学東京の教授になった社会学の宮台真司氏「社会システム論」とに似てるなあと思ったらルーツはホロンで同じだった(笑)
ドラッカーが自らを社会生態学者と呼ぶのは彼の影響だと思われる。
弟のマイケル・ポランニーは物理化学者かつ科学哲学者で、そのまま研究を続ければノーベル賞を取れる天才であったが、30代で突如、科学哲学者に転じて暗黙知、層の理論を提唱した。息子のジョン・ポランニーは1986年度ノーベル化学賞を受賞した物理化学者である。
暗黙知理論と攻殻機動隊「GHOST IN THE SHELL」
暗黙知理論とは後にこれがナレッジマネージメントに発展していくが、人が持っている生命と無意識の知恵のようなものだ。意識に対する無意識の知恵で、スポーツやアート(技芸)などの言語化できない知識である。
ポランニー幼稚園に通っていた哲学者アーサー・ケストラーが後にホロン理論を唱えるきっかけになった理論でもある。
ホロン理論では全体は部分の総和以上のものであり、アーサー・ケストラーの著書「機械の中の幽霊」では人形やロボットなど型どりされた機械システムにおいても、生命や幽霊(ゴースト)のようなものが生まれるのではないか?と言われている。
世界的なアニメ、実写映画の押井守監督の代表作、攻殻機動隊「GHOST IN THE SHELL」はアーサー・ケストラー著の『The Ghost in the Machine(機械の中の幽霊)』に由来するものであるらしく、このホロン理論も物語の中に取り込まれている。
主人公の草薙素子は全身義体のサイボーグであるが、「ゴーストが囁くのよ(暗黙知)」というセリフをよく口にする。
文明の過剰蕩尽理論
卒業論文「経済人類学と文明」のテーマは戦争が起こる理由であったが、フランスの思想家バタイユとか、カイヨウがベースの栗本氏の過剰蕩尽理論である。
栗本氏の過剰蕩尽理論とは、思想家バタイユの普遍経済学がベースなのだけど、古代の未開社会では地球に降り注ぐ太陽エネルギーは生命体にとっては過剰であって、それを処理して蕩尽する(消費しつくす)システムがあった。
それは祝祭であり、生贄であり、何の意味もなくそれを蕩尽することで過剰なエネルギーは処理されていた。古代社会は定期的にリセットされる単純再生産社会であった。
マヤ文明の暦の1つ長期暦が、2012年12月21日から12月23日頃に1つの区切りを迎えることから、2012年人類滅亡説が唱えられたりしたが、マヤの世界観が破滅と再生の周期を持っていたのはそういうシステムが働いているからだった。
ところが現代の資本主義社会になって、ここに成長の概念が入り込んでくる。
定期的に過剰を蕩尽するのではなく、もう少し溜め込むということになってしまって、それが実は二度の世界大戦という巨大な蕩尽を招いた。
地球に降り注ぐ太陽エネルギーは生命体にとっては過剰という問題は、僕の奥さんの母国タイ王国などの赤道近くの熱帯地方に行けばもっと実感がわくだろう。
年三回も米が取れる。暑くて下手に動くと死ぬ。人々は生産よりも消費に力を注がないと過剰なエネルギーが破滅を招く。南米のリオのカーニバルとか、サッカーで暴動が起こって人が亡くなるとかはその結果である。
お金がないから老後は心配だという話もあるが、それは自分自身が資本主義社会の貨幣経済に取り込まれているだけで、その罠から抜け出して、過剰な太陽エネルギーの恩恵である農業や太陽光発電、自然の恩恵を取り出す技術、地域コミュニティ社会を形成していけば済む話ではないか?と最近は思ってる。
都市住民であってもロシア人の郊外型別荘農園ダーチャをもつのもいいし、株式投資や株式優待の技術を組み合わせてもいい。
地球に降り注ぐ太陽エネルギーは生命体にとっては過剰な訳なのだから、そもそも、それで豊かに暮らせないのは、資本主義の罠に取り込まれてるのではないか?という素朴な疑問がわいてくる。
豊かな社会とナリワイづくり
そこで僕が代案として最近考えているのが「自営業の見直し」という選択肢です*1。「会社に雇われて働く」ことが前提となっている現在の日本で、もうひとつ「自営業という形態で働く」という選択肢を持つことが、社会の閉塞感を和らげることに繋がるのではないか。*2(あるいは「自営業的な働き方をしている人の元で働く」ということでも良いのですが。)
「なぜこんなに豊かな社会で我々はこんなにも働いているのか? 再論」より
【第1回noteショートショートフェスティバル】に参加表明中(2/1~2/29)
noteでもお金ではなく、スキルを直接、交換する文化も出てきたりして、【第1回noteショートショートフェスティバル】のように、スポンサー募ってコンテスト開催して、参加者で同人誌をつくろうという企画もある。
「ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方 」伊藤 洋志 (著)
こういう本があったりするのだけど、
毎日寝て暮らしたい
「日本一有名なニート」として知られ、日本全国から海外にまで進出しているシェアハウス「ギークハウス」の発案者でもあるphaさんのエッセイです。phaさんが日常の中で発見したものやことを、独特の浮遊感ある文体で紡ぎます。(不定期更新)
京大卒のニートというか作家、思想家のphaさんのCakesの文章やブログをみていると、資本主義や貨幣経済に取り込まれた僕らの生き方が何か間違ってるんではないかと思えてきます。
別の生き方もあるのでは?とか思うが、ココナラみたいな自分のスキルをお金に変えるシステムもでてきている。
noteもそういうシステムも持ってるが、お金持ちの人にスポンサーになってもらってクリエーター支援してしてもらった方がいのじゃないか?と思ったりもしますね。溜め込んだ富は蕩尽しないといずれ破滅を招く。
まあ、サラリーマンだけじゃなくて、複数のスキルを使って、スキル交換したりして生きていく「ナリワイづくり」が大事なんだろうなと思ったりしてます。
奥さんは農業スキル高いけど、6月に粒の大きい鳥取砂らっきょうを漬けるとか、みかん栽培(100個ぐらい生るが、肥料やってるだけ)ぐらいはしてるが、電気資格を生かして家のガレージの上とかに独立系の太陽光発電システム(売電できない)とか作るかなと思ったりしています。
元々、専業サラリーマンはかつては兼業農家だったので、自給自足の生活は本来の姿に戻るだけなんでしょうね。
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