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保守系SNSのPARLERがアップル、グーグルストア削除、アマゾンサーバー削除、PARLER側は独禁法違反でアマゾン提訴へ


保守系SNSのPARLERがアップル、グーグルストア削除、アマゾンサーバー削除、PARLER側は独禁法違反でアマゾン提訴へ

GAFA社員は米民主左派に献金

 【ニューヨーク共同】11月の米大統領選候補者の選挙資金集めで、民主党左派のサンダース、ウォーレンの両上院議員がグーグルやアップルなど「GAFA」と呼ばれるIT大手の社員から多くの献金を集めていることが24日、分かった。一方、再選を目指す共和党のトランプ米大統領への献金額は首位サンダース氏の30分の1と、不人気ぶりを示している。

 米経済をけん引するIT業界は世界中から優秀な人材を集めており、トランプ氏の強硬な移民政策に反対している。リベラル派が多いとされ、格差問題の是正を打ち出し、大幅刷新を訴えるサンダース、ウォーレン候補への期待感が献金額に表れた形だ。
【共同通信】

 何故、これが独禁法違反になるかというと、競合であるツイッターを助けることになるので、独禁法違反に当たるんですよね。
 あと、GAFAの新興企業潰しは凄まじくて、大体、競合が出てくると買収するか、こういう新興企業いじめをしてシェアを維持しています。
 SNSの競合だったinstagramを買収したFBがいい例ですね。

 これが何で問題なのかというと、すでにシリコンバレーでは、中国共産党に忠誠を誓わないと生きていけない状態になってます。
 シリコンチップなども台湾の中国共産党と繋がってる闇の秘密結社マフィア青幇(チンパン)に牛耳られています。
 浙江省系商人ネットワークらしくて、経営者が親戚なので、台湾の企業ですが、中国共産党の別働隊です。
 ファーウェイ、シャープを買収したホンファイなどもこのグループに所属しています。

青幇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青幇(ちんぱん)は、中国の秘密結社。元々は中国に広がる大運河の水運業ギルドだったが、時代が変わるに連れ一部が革命(辛亥革命)前の中国の暗黒面を代表する秘密結社になった。その一部は、上海を支配しアヘン、賭博、売春を主な資金源とした。その中でもアヘンを最大の資金源とし一時は中国全土の取引を支配した。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B9%87

 GAFAやツイッター、youtubeなどはほとんど民主党に献金していて、この深田萌絵さんの動画とか、著書を読んでももうらうしかないです。







日本の警察も裁判所も維新の議員も中国共産党に忠誠を誓っている


 日本の警察と裁判所も中国共産党とかファーウェイに忖度すると、出世できるし、中国人の背乗り(中国人が日本国籍を取って日本人になりすます)を深田萌絵さんが指摘しても、どうやってその情報を手に入れたと警察に逆に追求されて取調べを受けたようです。
 日本の警察も最早、中国共産党に忠誠を誓ってます。
 日本人を守ってくれない状況になってます。
 裁判しても、米国の最高裁のように中国共産党(民主党)に忖度して勝てません。
 維新の議員も、橋下氏も中国共産党に忠誠を誓ってます。

 僕がこの事に気づきはじめたのが、昨年2020年の5月ぐらいで、FBにチベット、モンゴルなどへの人権弾圧などで中国共産党の批判を書き込むと削除されるという話を聞きました。
 いまや、GAFAなどのBigteckは完全に民主党(中国共産党)を擁護して、忖度して、PARLERなど保守系潰しに奔走しています。
 最早、GAFAは中国共産党に所属していることが確定しました。
 という非常にヤバイ状態です。



バチカンとディープステート、中国共産党、世界政府(新世界秩序 New World Order)の関係


概要

New World Orderという用語自体は第一次世界大戦後頃から英米の政治家によって多用されるようになった。公式で確認されている中でも、国際連盟の設立とベルサイユ体制の構築によって大国間の勢力均衡が大きく変化したことを指したアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンや、第二次世界大戦の悲惨な帰結を見たイギリス首相ウィンストン・チャーチルが破滅的な世界大戦を避けるには国民主権国家を廃絶し世界政府の管理による恒久的な平和体制の実現が不可欠であるとして、この言葉を使った[6]。

SF小説家で歴史家としても著名なH.G.ウェルズは国家の存在を認める国際連盟を批判し、主権国家の完全な根絶と、高級技術官僚や少数のエリートによる世界統一政府を通じた地球管理を訴え、1940年に『新世界秩序』(New World Order)を出版しその持論を述べた[7][8]。

この用語が一般にも広く知られるようになったのは、1990年9月11日に時のアメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュが湾岸戦争前に連邦議会で行った『新世界秩序へ向けて(Toward a New World Order)』というスピーチであった[9]。下記は1991年3月6日の『新世界秩序(New World Order)』というスピーチの一部の抜粋。


 世界政府(新世界秩序 New World Order)は欧米の各国首脳が言葉にしてて、陰謀論でも何でもなくて、普通に使われている政治用語です。
 グレートリセットも世界経済フォーラム(ダボス会議)などで、普通に使われています。
 日本の政治家もよく口にします。

 バチカンとディープステートの関係ですが、僕がツイッターでまとめています。
 ちょっと要約します。

イエズス会(イエズスかい、ラテン語: Societas Iesu)は、キリスト教、カトリック教会の男子修道会。耶穌会(やそかい)、ジェズイット、ジエスイット(Jesuit)派、教団とも。1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設され、1540年にローマ教皇パウルス3世により承認された。世界各地への宣教に務め、日本に初めてカトリックをもたらした。

1、プロテスタントの台頭により、ローマカトリック(バチカン)が窮地に陥って、それを救ったのが、バチカンのイエズス会だった。このイエズス会はリーダーのイグナチオ・デ・ロヨラが元軍人だったので、海外にカトリックを布教する軍隊組織のようなものなっていった。後に彼らはディープステート(DS)と呼ばれて、米国大統領選挙でバイデン不正選挙を画策する。


「モンマルトルの誓い」のメンバー(7人)
イグナチオ・デ・ロヨラ(1491年 - 1556年)
ピエール・ファーヴル(1506年 - 1546年)
フランシスコ・ザビエル(1506年 - 1552年)
ディエゴ・ライネス(1502年 - 1565年):第2代総長
アルフォンソ・サルメロン(1515年 - 1585年)
ニコラス・ポバディリャ(1507年 - 1562年)
シモン・ロドリゲス(1510年 - 1579年)


2、フランシスコ・ザビエルなどが日本訪れて日本にローマカトリックを布教、現世利益(Win-Win)を提供して日本では鉄砲の技術や硝石を売って、九州の戦国大名などと奴隷貿易をして、日本人の多くが奴隷として西洋に売られた。
 その数は数万人と言われていますが、信長はイエズス会の最新技術を利用して天下武布に活用したが、最後に裏切って本能寺の変で明智光秀(天皇家、イエズス会と繋がる)に暗殺される。明智光秀の娘の玉は細川家に嫁ぎ、細川ガラシャ(洗礼)と呼ばれる。
 比叡山焼討ち、本願寺一向宗との戦いも、イエズス会の世界戦略と一致する点に注意したい。
 秀吉は奴隷貿易を禁止し、キリスト教を禁教にしたが、信長の遺言の朝鮮出兵、中国の支配は、イエズス会の世界戦略と一致する。
 家康はプロテスタントのオランダとは長崎の出島で交易をしたが、ローマカトリックのスペイン、ポルトガル(イエズス会の当時の主力)とは禁教にして鎖国した。

日本に鉄砲・火薬など、新たな文化を伝来したザビエル(イエズス会)。日本では、キリスト教を布教してきた人たちというイメージしかないですが、日本が世界戦略の中で、支配下とするターゲットとされたとなると見方が変わるかと思います。イエズス会の行っていた布教を伴う航海と活動についての内容記事を以下に引用します。

(中略)

こうしてみると、イエズス会というのは、火薬鉄砲の武器商人のエイジェントはやるわ、売春組織への女の売り渡しはやるわで、とてもではないが、純粋な聖職者ではなく、聖職の皮をかぶったマフィアのような存在であったことになる。

イエズス会開祖のイグナチウス・ロヨラはこの事態を承知していたとすれば、霊操の中に願望実現の観想法が入っていた謎も解けるように思う。神に出会う前の観想法は、邪道に落ちやすいものであるからである。

キリスト教徒以外の者は地獄に落ちるとして徹底的に排斥する考え方が根底になければ、このように日本人のような非キリスト教徒を人間扱いしない発想は出てこないのではないだろうか。

その発想は日本人にとってはとても異質なものではあるが、組織宗教が組織外の者を徹底して否定するのは、逆に組織宗教特有の共通した性質ではある。

大航海時代におけるイエズス会の世界戦略
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=290722


日本でのイエズス会事業は、ルイス・フロイスやグネッキ・ソルディ・オルガンティノ、ルイス・デ・アルメイダといった優秀な宣教師たちの活躍で大きく発展した。日本人初のイエズス会士は薩摩国(鹿児島県)出身のベルナルドで、彼は日本人初のヨーロッパ留学生としてポルトガルに渡り、1553年にリスボンで入会して修道士となった。1561年には琵琶法師であったロレンソ了斎が入会。有名な天正遣欧少年使節を計画したのはイエズス会の東洋管区の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノであった。

1580年に大村純忠が長崎の統治権をイエズス会に託したことは、長崎をイエズス会専用の港にすることで南蛮船がもたらす貿易利益を独占しようとした大村純忠と、とにかくキリスト教に改宗しない領民(奴隷として海外に連れ去られた者の数は数千人とも数万人とも言われている)を奴隷として輸出する港を探していたイエズス会の両者の利害の一致によるものであったが、豊臣秀吉による九州平定後、住民の強制的なキリスト教への改宗や神社仏閣の破壊といった神道・仏教への迫害(「住吉大明神破却」「彦山焼き討ち」「万寿寺炎上」など)、さらにポルトガル人が日本人を奴隷として売買するなどといったことが九州において行われていたことが発覚し、秀吉はイエズス会準管区長でもあったガスパール・コエリョを呼び出し問い詰めた上で、これらの行為をスペイン・ポルトガルによる日本征服の第一歩ではないかと考えた秀吉は、博多においてバテレン追放令を発布し、1587年に長崎を直轄領とした。最終的に江戸幕府による禁教令によって、宣教師と協力者たちは処刑・追放となり、正保元年(1644年)マンショ小西の殉教を最後に日本人司祭も存在しなくなり、江戸時代にイエズス会は日本での活動を終えた。
また秀吉が危惧したように実際にイエズス会内部には、アメリカ大陸と同様に、武力による日本・明国の征服を主張する者もあった。アレッサンドロ・ヴァリニャーノなども書簡でこの考えを述べており、九州のキリシタン大名を糾合し、長崎を軍事拠点とする計画であった。サン=フェリペ号事件のあとでは武力制圧計画が再度持ち上がった[5]。


3、江戸時代においても、伊達政宗の娘のいろは姫(洗礼)と家康の六男の忠輝をキリシタンの王として全国数十万のキリシタンが武装蜂起する倒幕計画未遂事件(大久保長安粛清事件)を引き起こす。
 歴史作家の隆慶一郎やSF作家の半村良が小説作品の中で歴史仮説を書いている。
 その後、伊達政宗は、支倉遣欧使節団によりスペイン軍事同盟を結んで倒幕計画を立てたり、キリシタンによるクーデターである島原の乱(1637年12月11日 - 1638年4月12日)なども起こるが、背後はスペイン、ポルトガル(イエズス会の当時の主力)が絡んでいる。
 ちょっと長くなるので、今回はここで終わる。

大久保長安粛清事件(おおくぼながやすしゅくせいじけん。慶長18年(1613年4月)






長安=忠輝=政宗ラインが、もしも大阪城や真田幸村とかねてからつながっていたとしたら、長安の死(1614年6月)の冬に、大坂の陣の幕が切って落とされているから危機一髪、絶妙なタイミングで謀略は潰されたことになる。家康にしてみれば、それこそ土壇場で形勢を一気に逆転させたわけだ。

このへんが、家康の巧みなところだろう。大阪の陣が目の前に迫っている中で、伊達政宗を相手に武力衝突をするのは得策ではない。まかり間違えば、死せる大久保長安の計略に自らハマることになりかねない。徳川・松平一族にも亀裂が入る。ここは、家康、生涯最後の我慢のしどころだった。両者ともに、お咎めなし。長安一人を悪者にして、事態を収拾した。ここで、事実上、勝負あったというところであろう。伊達政宗は、下手な動きが取れなくなってしまったのだ。

長安死去から1ヵ月で一族が捕縛され、7月には処刑が始まった。最終的には武田家の血を引く僧侶などにも塁が及び、翌年に伊豆大島に流罪となっている。

この大久保事件が突如として起こった直後、伊達政宗は、駆け込み的に支倉遣欧使節団の二度目の出航(前年は遭難して失敗)を強行している。時間が無くなったのは、政宗になってしまったのだ。

家康も家康で、事を急いだ。忠輝・政宗ラインには一指も触れず、まるで何もなかったかのように振舞い、一方では一気に大阪との決戦を強引に始めたのである。それが、大久保事件と同じ1614年の方広寺鐘銘事件である。

これは、完全な言いがかりであるが、徳川方は豊臣に叛意有りと激しく糾弾する口実とした。この事件は大久保事件(6月)の直後、7月である。一方で大久保一族を片っ端から処刑していきながら、片方では大阪を挑発したのである。
イエズス会は日本で何をしてきたか

○日本人の奴隷貿易(省略記事参照)
○寺社の破壊と僧侶の殺害(省略記事参照)
○島原の乱の真相
キリシタンの悲劇として描かれている最大のものが1637年の『島原の乱』である。教科書からは島原・天草地方のキリシタン弾圧が酷く、重税を課したことから農民たちが圧政に立ちあがったと読める。しかし事実はかなり異なっている。
当時の反乱勢は3万7千人、篭城戦時では幕府軍は12万以上で圧倒的な差がありながら制圧に半年を費やしている。しかも緒戦においては板倉重昌率いる幕府軍4万人は惨敗。一揆勢の死傷者が僅かに7名なのに対し、幕府軍の死傷者は4千名にのぼった。しかも板倉は討ち死にしている。
これは、反乱勢が大量の武器弾薬を保有していたからにほかならない。では、彼らが大量の鉄砲などを保有していただけではなく、その使い方にも習熟していたのは何故なのか。

まず、一揆勢の中心が百姓ではなく、キリシタン大名だった有馬や小西の残党だったことである。有馬と小西は関が原の合戦において西軍側につき、他国に移封される。『天草征伐記』と『徳川実記』等の記述にも、キリシタン大名であった小西行長の遺臣が中心になって、それに有馬の旧臣も加わって、困窮した農民を糾合して蹶起したとある。
しかもただの「農民」とは思えない行動が目立つ。一揆勢の行動で目に付くのは寺社への放火や僧侶の殺害である。有馬村では村民らが、所々の寺社を焼き払ってキリシタンに戻ると宣言し、これに周辺八ヵ村の村民らが同調して寺社に火を点け、キリシタンにならない村民の家には火をかけている。さらに島原城の城下町でも江東寺、桜井寺に放火している(『別当利杢左衛門覚書』)また彼らは、代官の林兵左衛門を切り捨てた後、村々へ廻状を廻し、代官や『出家』『社人』(下級神官)らをことごとく打ち殺すように伝達した為に、僧侶、下級神官や『いきがかりの旅人』までが殺されたという(『佐野弥七左衛門覚書』)。

その後彼らは、九州諸藩の討伐軍の接近を知って島原半島に移動し、島原の旧主有馬家の居城で廃城となっていた原城に籠城する。島原と天草の一揆勢が合流し、大量の鉄砲と弾薬を保有してこの場所に立て籠もったのである。彼らが原城に籠城したのはポルトガルなどの外国勢力の支援を期待していた可能性があり、少なくとも幕府はポルトガル等の支援を警戒していた。それには理由がある。
ポルトガルやスペインには明と朝鮮を日本の傭兵を使って占領する計画があった。その際幕府と対立することは確実で、九州のキリシタン大名を幕府から離反させる計画であった。
そのためには長崎周辺を軍事拠点化する必要がある。クルスがイエズス会に宛てた書翰によれば、 九州が日本から離反する際には、キリシタン大名達がポルトガル人に基地を提供することは確実で、特に小西行長が志岐港を差出すことを確実視している。キリシタン大名たちとの間で計画は相当詰められていたようだ。
更にフランシスコ会の宣教師の本国への報告によれば「有馬や長崎は1590年には軍事要塞工事が行われており、イエズス会の宣教師達は、長崎近辺に有している村落のキリスト教徒たち全員に、三万名の火縄銃兵を整えた」とある。イエズス会は来たるべき戦いの為に、多くの武器弾薬を準備し、長崎近隣の信徒達に火縄銃の訓練をさせていたのだ。乱の中心勢力は小西行長や有馬の家臣である。スペイン・ポルトガルの影を幕府が想定したのは不思議ではない。

この3万挺の銃などの大量の武器の押収記録はない。大量の武器は島原、天草、ポルトガル船などに分散して隠され、訓練は江戸時代に入ってからも密かに続けられていた可能性が高い。そう考えないと、島原の乱における単なる百姓一揆とは思えない軍事行動や、大量の武器の調達や島原藩や唐津藩などの正規軍を一時圧倒したことの説明は困難だろう。

参考:しばやんの日々等


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