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人生はしらふでやっていかなきゃダメ?

 酒が飲めない

 私はお酒が全く飲めない。飲むと気分が悪くなってしまうから。
 しかしお酒が飲める人を羨ましいと思う。あの、琥珀色のドロッとした綺麗な液体を身体に流し込んで、だんだんと感覚や思考など全てが弛緩していく感覚とは、どんなものなのだろうと夢想する。

 お酒が飲めない私は、病院からもらっている(奇しくも今人気のYouTuberの名前の由来でもあるロラゼパム)と珈琲を飲んで、なんとかこの世を生き永らえている。この2つがなかったら私はどうなって居たのだろう、と思う。(逆に薬に頼っていなかったらもっと病気の治りは早かったかもしれないのだが)

薬で弛緩、珈琲で酩酊

 薬を飲むことで不安が消える。やる気が出てきて様々なことができるようになる。薬を飲んでいないとほぼなにもできないので、自分が成したことが果たして自分の力でやったことなのか、薬の力が成せる技なのかが判然としない。セロトニンやドーパミンなどの脳内物質を薬の力によって無理くり作り出している。愛情ホルモンであるオキシトシンはスキンシップなど人との関わりの中でしか生まれないものなので、これは薬でも(多分)解決されない。それを補うように薬を飲む量が増えたり不必要なもの(キャラクターグッズなど)にお金を使ったりしてしまう。

 珈琲に含まれるカフェインには覚醒作用がある。この覚醒作用によって頭がすっきりして、集中力がアップする。反対に珈琲にはリラックス効果もある。イガイガと荒涼とした気持ちが落ち着いてくる(あくまで私の場合はですが)。豆から淹れた珈琲をタイガーの魔法瓶に入れて、外を歩きながら飲む。

 私は珈琲で酔えてしまうので、魔法瓶を抱えながら酩酊している。何もかもに嫌気がさして、珈琲を抱え込み自衛している様子は、酩酊しているという表現がしっくりくる。黒くて苦い液体。腹にずしっとくる珈琲がいい。珈琲飲みながら散歩したり、部屋の中で本とか手帳とかスマホとかいろんなものに気を散らしてるときが1番楽しい。気を散らせながら、時には集中しながら、その時はふわふわした楽しい気分に身を任せていればいい。

しらふで生きる

 珈琲による小規模な酩酊をしながら、酒の力による酔いというものにも強烈な引力を感じる。珈琲や薬よりもさらに直接的で強力な成分、アルコール。不安や苦痛を緩和し、楽しい気分を得ることができる魔法の液体…。下降への誘惑。反対に、いつまでも酩酊しているわけにはいかない、社会生活をやっていくには嗜好品は嗜む程度楽しみ、あとは真面目に生きることこそ幸せへの近道であるということ。しらふで生きること。結局、自分という人間は真面目なので、ある程度下降してきたら立ち直して真面目に生活をやっていく、というところに落ち着いてしまうのですがね。アウトローにもなれない、中途半端な真面目人間。でもそれでいい。お薬や大好きな珈琲に時折手を借りつつ、真面目な社会人として生きていけるため頑張ろう。

酒を飲んでも飲まなくても
人生は寂しい

『しらふで生きる-大酒飲みの決断-』幻冬舎/町田康

 

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