数学をして生きるということ

先日、大学の頃の指導教官と飲みに行った。(もちろんこのコロナ禍の最中ではない)そのときに、私と同期の学生の話になった。私の同期は博士課程の院生としてアカデミアに残り研究を続けている。一方私は修士課程を修了したのちに、教育者として数学に携わっている。その2人の差は何だったのか。そのことを指導教官が話してくれた。その例えがこれだ。

「例えば、洞窟の中をランプをもって歩いているとする。そこで、一つキレイに光る石を見つけたとき、お前ならそのキレイに見つけた石を観察したり、その石の周りを観察すると思う。〇〇ならそこで石を見つけたらすぐに他にきれいな石はないかと洞窟の中をさらに深く進んでいくと思う。おそらく二人の差はそこだよ。一つ成果を上げたら、その成果とは別の成果を探しに行く、その姿勢をとれるかどうかだと思う。」(言われたままではないですが、ニュアンスは間違ってないと思う)

その例え話に妙に納得してしまった。私はどちらかといえば1つのものにじっくりこだわってしまう人間だ。今までも、いろいろなものにこだわってきた。その中で得てきたものも、失ったものも多いのも事実だ。この話で指導教官が私のその性格を見抜いてくれてたんだなと思うと同時に、数学の研究でメシを食うためには切り替えの早さや1つにこだわる時間を減らす工夫も研究をするには大切なんだなということを知った瞬間だった。その話を聞いて私が数学を続ける理由を改めて考えてみた。

私が数学を続けている(勝手に勉強しているだけですが)1つの理由は、数学という学問への恩返しだ。高校のときに数学にハマり、大学、大学院と数学を勉強してきた。身につけたことは多くはないかもしれないが、数学を通して大切なことをたくさん学んだ。多くの人と知り合うことができた。これからは私がその学問に恩返しをする番だ。具体的には、私の同期のような数学の研究者が活躍できるフィールドを広げるべく、数学の楽しさや良さを伝え、広めることが私にできることだと思っている。これは、在野の探究者だからできることかもしれない。時間に拘束されず、永遠に自分の興味あることを考えることができる。ある意味、自分にとってとって恵まれた環境だろう。これからはその恵まれた環境に感謝しながら、実際にアクションを起こす番だと思う。自分が思う数学のおもしろさを発信していこうと思っている。