さあ下りて。ここから入るのよ。迷子にならないように。ちゃんとついてくること。

堀江敏幸『ゼラニウム』中公文庫

仕事が再びばたばたしていたので、少しメンタルがやられていたが、ちょっと休んだので回復した。

社交をしなくてはいけないのだけれど、社交には大変エネルギーを使うので、初対面の人との社交は相当元気ゲージが溜まっている時でないと難しい。自分の話をする意味もあまり見出せないし、なんなんだろうなーと思いながら時間を過ごしている。会話から得るものなど副次的なものでその時間をなんとなく楽しんで過ごせばいいのだろうけど、それがなかなか難しい。

心を許して話せるのは数人の友人と数人の尊敬する人と嫁と娘だけだ。

それと同じように話せればいいのに。そういう能力は僕には備わっていないようで。もうかれこれ幾星霜、慣れてきたものだけれど、そうした欠落がいまだに胸を痛めることがある。うまくできなかったなぁ、と思いながらの帰り道は何度経験しても水浸しのスポンジのようにぽじゅぽじゅだ。

コミュニケーションの仕方なんて誰も教えてくれなかったのだもの。

自慢話にうなづくこと。興味のない話に興味のあるように振る舞うこと。ヨイショをすること。

それらすべてができない僕はたいていの場合、あー、と空虚の言葉を発し続けている。1時間すぎると後頭部が痛くなってくる。社交に向いてない。

嫁もそんなにコミュニケーション上手な方ではないので、娘もそうならないといいなぁ、と思うけれど、どうすることもできずただ祈るのみだ。

上手に導いてあげることはできないけれど、僕が通って来た道にある落とし穴や危ない場所、持っていた方がいいものなんかは教えてあげられるから。僕が通って来た道を辿っておいで、なんて胸を張って言えるような道ではないから、君自身の道を進んでくれればいいけれど。その道の行く先が、僕のものよりもずっといいものであるように祈っている。僕が持っているものは、僕が知っているものは、全部あげる。だから君の行くその先で見つけた素敵なものを、いつかきっと見せてね。

幼稚園に行くようになって、娘が道に落ちてた”かわいい”石ころや、”ハートの”四つ葉のクローバーなんかを家に持ち帰って「パパにあげる」って言って渡してくれる。それがとても嬉しい。いつまでも、君が素敵だと思ったものを少しだけ僕におすそ分けしたり、こそっと見せてくれたりしてくれればいいな。願うなら、君の行くその道の先が、たくさんのかわいい石ころやハートの四つ葉のクローバーがたくさん満ち溢れたものでありますように。

コミュニケーションが上手であればそれにこしたことはないけれど、そうでなくても、素敵な友達や尊敬できる人や好きな人や大事な人はできるから。大事なものは増えていくから。そうした人たちやものを大事にするやり方は、教えてあげたいな、と思う。