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父の名前を書くこと

訳あって、生前の父の名前を書く練習をしていた。ヘロヘロの筆文字である。

父が結婚後、何万回と書いたであろうその名を、父が最後に書いたのはいつだったのだろう。
父は
「葬式、戒名不要」
「死んだら焼き場へ直行」
「骨は海に捨てろ、墓はいらん」
「誰にも知らせるな」
と病の床についてから十日にあけず私にこの言葉を吐いていた。
同じことを先日亡くなった石原慎太郎氏も言っていたようだが、父は10年以上前に言っていたのである。
今にして思うと、たった一人で死んでいくのが、寂しかったのだろう。
その八つ当たりであるのは重々承知していた。
「わかった、わかった。パパの思うようにしてあげる」と私の返事もいつも同じ。

私は父の死後、白木の位牌に父の生前の名前を書こうと思っていた。が、賢弟(長男)と母が「いくらなんでも・・」と言い出し、結局、私の飲み友達で引退したお坊さんに戒名をつけてもらい、ワゴン車で火葬場へ運び、家内で静かに見送った。私たち遺族は週末に通夜、葬儀を済ませて、月曜日からは何事もなかったかのようにみんな会社へ出た。

生前、病床の父に
「もし、弟たちが立場の手前、派手な葬式を開くと言い出したらしたらどうする?知らん人ばっかりがいっぱい詰めかけて、会社の話ばっかりするねんで」と私が問うと、父は吐き捨てるように「死んだモンが知るか」と返した。
その一言で、私は葬式及び弔いは死んだ人のためより、生きている残されたもののために開くものなのだと悟った。
亡くなった本人は自分の弔いは、選ぶことができないのである。
父は現在、自らの思いとは裏腹に、愚弟(次男)が建てた墓に母と共に眠っている。怒り狂って化けて出てくるか、と思っていたが、今のところ何もない。
父の死後、様々な手続きを行なった時も、何度も生前の名前を私が記した。

では私が死んだ後、誰が私の名前を書くのだろう。

さて、なぜ父の死後十三回忌を数えようかという今、私が父の名前を書いていたのは、ある人の香典の表書きのためであった。
父が「葬式不要」〜と冒頭で言い続けた極端な弔いの考えを植え付けた人、その人が亡くなったのであった。その人はうちの菩提寺の住職であった。
「あんなヤツに葬式されたら、わしは死ぬに死ねん」と父のぼやきは元気な時分からハイテンションであった。
なんらかの諍いがあったのだろう。
だから、父が亡くなっても菩提寺には伝えていなかったのである。
お寺側では父はまだ生きていることになっている。

密葬があり、家族葬があり、レンタル僧が派遣され、お別れ会が開かれ・・・弔うスタイルは近年多様化しているなぁと感心する。
生まれた土地で生涯を送る人が多かった時代、菩提寺の住職に戒名を授かり、葬儀を行い、墓を建てるのが長い間の日本人の生活風習であった。
悲しさ、寂しさ、辛さ・・・感情は同じでも、それを表すカタチが多様化したのか。いつの時代も死者は何も言わない。

一方、何度も書いてもヘロヘロの文字の父の名前だが、なんだかそれが生きている感があるような気になっているのは私だけか。



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