雨の夜に

「2号線はこっちですか?」

降り続く雨の夕方、近所のコープへ買い物に出た。あたりはすっかり暗く傘をさして歩いていたら。突然、暗闇から声をかけられた。
見ると、白髪のセミロングのおばあさんである。目が白く濁っている。
私は瞬時「この世の人か?」と思った。足はある。
2号線とは国道2号線のこと。この場所からなら北へ軽く1キロはある。

「2号線やったら、この道を真っ直ぐ歩くと行き当たりますよ。でも15分ぐらいかかるかな」と私は答えた。
おばあさんは「私、2号線の近くの市営住宅に住んでますねん。家出たものの、道がわからんようになったんですわ」と口早に話した。
この時点で私はこの人は「徘徊」で帰れなくなったと、ピンときた。

ここでおばあさんと別れたら、また迷うだろう。どうすればいいか。

私は、思い切って警察へ電話をした。
雨の中、家に帰れないおばあさんがいる。
私では対応できないので、警察で保護してもらえないか。
電話に出たお巡りさんはすぐ対応しますと応えてくれた。
今の場所と目印を告げて、待っていた。

私はおばあさんに
「雨降ってるし、夜やし、また迷たらあかんから、
お家までおまわりさんに連れてってもらいましょ」
と言ったら、ほっとした表情になった。
「家に帰られへんなんて言うたら、子供に叱られる」
「もう外へ出してくれへん」
「私ね、夕方になったら外へ出たくなるの。もうこんなことやめななあかんなぁ」
そして自分の持っている手提げ袋の中に手を突っ込んで中をガサガサ探し始めた。
「あっ、ケータイはあったわ」。

私は母が亡くなるひと月ほど前のことを思い出した。
風の強い寒い日、母は買い物に出たまま、なかなか帰ってこなかった。
その前の月に自転車に乗ることはやめさせた。
家にいた私は、
「どこへ行ったのだ」
「一緒に出れば良かった」
帰らぬ母を待って心臓が潰れそうになった。
探しに行こうにも、家に誰もいないときに母から電話があるかもしれない。
ひょっこり帰ってきてるかもしれない。
待つしかなかった。
ひたすら家の前で待っていた。
母はその日はカートにいっぱいの買い物をして、トコトコと歩いて帰ってきた。
母は目立った既往症はなく認知症でもなかったが、身体の機能が日々ひとつひとつ衰弱して、動かなくなり、やがてひと月待たずに亡くなってしまった。
享年88歳、人は病以外でも亡くなるのである。
診断書には「老衰」。
老いて哀しい。

道に迷ったおばあさんを見て、その時の母を思い出した。
いなくなったおばあさんを、ご家族はどんなに心配しているだろう。

10分ほど待つうちに一台のバイクが停まった。
お巡りさんが来てくれた。
私は
「どう見ても徘徊の傾向があること」
「お家まで送ってほしい」と頼んだ。
若いお巡りさんは「大丈夫です。任せてください」と心強い返事を返してくれた。
私はおばあさんに「お巡りさんが送ってくれるからもう大丈夫、大丈夫」と言うと「ありがとう、助かりました」と返してくれた。
続いて軽自動車のパトカーが来て、女性のおまわりさんが運転していた。私はその場へ駆け寄って「おばあさんの件ですか?」と尋ねると「そうです」と答えてくれた。「頼みますね。どう見ても認知症からくる徘徊やと思います」と言った。
「大丈夫です」その女性もはっきりと応えてくれた。

110番、119番、子どもの頃から覚えている緊急時の連絡先だが、咄嗟の時に連絡するべきか、否か、判断が難しい。
人が道に迷ったぐらいで警察の出動を仰いでいいものか?
私は今回のおばあさんの件では少し逡巡した。
私が送り届けるべきだったのか。
危ない人を助けるのは当たり前のことだが、
一人では無理と思ったら、協力を求めよう。
きっと差し伸べてくださる手はあるはずだ。
雨の逢ヶ魔刻、不意に現れる妖怪さえ味方にしたい。



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