どこ、見とんじゃい
春めいた日、暮れかかる頃、早いめに犬の散歩から戻ってきた。いつもなら往復2キロ程度の散歩だが、この日は往復で6キロと少し遠くまで行った。犬はともかく、私は歩いた暑さと疲れで意識がモーローとしていた。
門扉の内で犬のハーネスを解いていた時、門のすぐ前に一台の車がやってきて、うちの塀に沿って停まった。「えっ?誰だろう」
T字路で一方通行、道路交通法で駐停車禁止のエリアである。
弟たちの車ではないし、私は門扉から顔を出して車を見ていた。この時点でも私の友人が急にやってきたのかなと思っていた。友達ならガレージを開けて入ってもらおうとさえ思っていた。
塀のそばギリギリに停まった車の助手席から女性が出て来た。知らない人である。車を出てうちの溝にハマりそうになりながらドアを閉めて、道を渡ってうちの真ん前にあるマンションへ入って行った。
「向かいのマンションの人なら何も左側のうちの方へ車を止めることもないのになぁ」道の右側にある自分のマンション前に停めればいいのだ。わざと反対側のうちの方へ止める意図がわからなかった。
真向かいのマンションは1フロア2戸、3階建てで6世帯。うち3世帯の人とは、私は挨拶ぐらいは交わしている。
私はそれより歩き疲れて、ぼんやりしていた。ほんと疲れて空を呆然と、門扉にもたれかかって暮れかかる空を眺めていた。
ふと 強い殺気が・・・
運転席から坊主頭で黒ブチメガネの男がものすごい顔で私を睨みつけている。
「コラぁ〜、どこ見とんじゃい〜」
「いちいち、人の車見張りやがって〜」
怒鳴り声が私に向けられている。
私はモーロー中であり、瞬間、誰に言うてるんや?。
「でもこれってどこかで見たよな」、そうそう高速道路の真ん中で車遮って
肩怒らせて、殺気だった物言いで。
なんて、まだぼんやりしていた私。
そこはそこシャーキーンと
「どこも見てませんがな。何を言うてますねん」
「車なんか、見てませんわ」
「自分の家の中で立ってたら、何が悪いねん」と返した。
男は荷物を持って道を渡って向かいのマンションの3階へ上がっていった。降りてきて車から荷物を持って上がってを繰り返すこと3回。
よほど積んでてんなぁ、マツダデミオ
その度に門にいる私に
「何、見とんじゃい、こっちが聞きたいわ」
「アホと違うか、人の行動見て」
などなど、自分の家の内にいる私に向かって罵詈雑言を吐いている。
その度、私は黙ってはいない。
「そんなことばかり言うて、何が言いたいねん」
「私は休んでるだけですがな」
「自分の家の中で外見てて、何で言われやなあかんのや」
逐一叫んで返すのが精一杯で、余計にふらふらになった。
さすがの私も怖くなった。
その時は疲労困憊が勝って、動くことができなかった。
これって犯罪に当たるのか?
坊主頭黒フチメガネは、自分が駐停車禁止エリアに停めているのはわかっているのだろう。そこでたまたま立っていた私に見咎められたような気になって、一方的に怒りを募らせ、私にぶつけている。
悪いのは坊主頭である。よほど内面的にストレスを抱えているのか。
私は何も言わず、見ていただけであった。
じっと見ていた訳ではなかった。空を仰いで、風に吹かれて雲を見ていたのだが、
坊主頭には火に油だったかも。
なんてヤツだろう。
こんな人が向かいに住んでいることに恐怖を感じた。
だから、こちらへ住民票を移すのは嫌なのだ。
父母も「近所の人には何も言うな。ここはうるさい」と遺した。
その後、坊主頭は車に乗って何処かへ消えた。
一方的はいけない。
ロシアのウクライナ侵攻しかり。
「あおり運転」しかり。
そして、分別ある大人が見知らぬ人に投げつける暴力言動しかり。
いずれもやられた方がその理不尽さに立ち向かっている術が持てない。
私はマンション1階に住む人を訪ねて、顛末を話した。「3階に車を持っている人いないはず」と言う。
さらに冷静になって私は警察へ電話をした。
どこ誰とは言わず、一般論として原因なく暴言を吐かれた場合、どう対応すれば良かったのかを尋ねたのである。すると電話に出た年嵩の声のお巡りさんは
「今、コロナでみんなイラついてます。自分の身を守るためにもお家の中に入らはったら良かったのに」と言う。
よくある一般論だろう。
「なぜ、暴言を吐くヤツに従うようなことをせなあかんのですか。
おかしいですよ」
「相手はT字路の標識の下に停めてますねんで」
「これって、タチの悪いあおり運転ちゃいますの」と私。
勢いに押されたのか、お巡りさんは言う。
「すぐに110番、しはったらよろし。すぐにかけつけますよ」
けど、10分ぐらいかかるけどな。
ほんの先週、おばあさん助けてもろたし。とは言わなかった。
「110番ですね。了解です」
交通法規違反だと、警察の返答は早い。
先日来、夕方、逢ヶ魔刻は私にとって魔の時間だ。
マンションで飼われてる咬む犬、
家を忘れて彷徨う老婆、
罵詈雑言を投げつける坊主頭
出くわし数々はまさに現代の逢ヶ魔刻の妖怪たち。
何だか出てくる背景に時代のモノ悲しさが漂う。
でも本当に怖いのは、たまたまとか、偶然でなく私の中の殺生石みたいなのが、
それらを引き寄せているかもしれないこと。
もし、私が不審死を遂げることがあれば、この記実を思い出してほしい。
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