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クリスマス

メリークリスマス!!12/25の概念を拡大してお送りしております。国文三年のよです。
私たちはこのアドベントカレンダーにおいて、「書く」という行為で自分の考えや思いを伝えてきました。私たちが何かを表現するとき、そこには表現行為自体に価値を見出すもも、共感を求めるもの、説得を試みるもの、様々な意図が含まれます。それらは別個に存在することもあれば、もちろん混ざり合っている場合もあります。
今回は私がサークルの活動として行なっている「弁論」について書いてみたいと思います。アリストテレスは著書『弁論術』のなかで「弁論術とは、どんな問題でもそのそれぞれについて可能な説得の方法を見つけ出す能力である」と述べています。つまり、表現に対して納得してもらうことが弁論の主な目的だということです。
つべこべ言わず、とりあえず弁論の原稿を読んでみてください。

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これは私が1年生の時に書き、披露した弁論です。稚拙な論だなぁとは思いますが、自分の頭で考え抜いたことは貴重な経験でした。
ここで注目してほしいのが、この弁論を書いてから2年、日本における旧姓の扱いには様々な変化が生じていることです。パスポートにも、住民票にも、運転免許証にも旧姓が併記できるようになりました。しかし、“伝統的な家族観”(ここでその是非についての議論はしません)を持つ人たちの存在によって、戸籍法にメスを入れることは一度たりとも起きていません。
私がこの弁論を作るにあたって旧姓併記に行きついたのは、長年訴えられている選択的夫婦別姓の議論が膠着している現状からどうにか少しでも脱出できるプランがあれば提案したいと思ったからです。“伝統的な家族観”を持っている方々も、家族の姓が一致しているこのプランなら歩み寄ってくれる、というか、彼らの懸念する「家族の姓の不一致」は起きないのだから反対しようがありませんよね。
2015年の夫婦同氏制度は合憲だとした判決文において、最高裁はざっくりいうと「裁判所が判断することではない。立法府で議論すべき問題だ」との見解を述べました。つまり、戸籍法にメスを入れて欲しいと思っている者たちは、立法府で議論されるようになるまで、何らかの形で声を上げ続ける必要があるのです。このままいけば、あと数十年の間に達成されるでしょう。自分の頭で考え、説得を試み続けることが理想の未来の基礎となることを感じています。

なんだか柄にもなく熱い感じになってきました。最後に、私の尊敬する同期の弁論をぜひ読んでください。彼も私と同じく1年生のときにこの弁論を作りました。見事に私の弁論を抽象化してくれているのと同時に、多くの示唆に富んでいます。みなさんの問題意識は、説得したいことは何ですか?もしよかったら教えてください。
御精覧ありがとうございました。

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