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ゆく命、くる命

あいかわらず継続的に書けない。

理由といえば、他にやるべきことがあるからだと言わざるをえない。

それは何かと問われれば「休息」としか答えようがないのだけれど。


体力ねえなあオレは…
タバコは吸わなかったんだけどな…

って言う三井寿が仕事の最中にも何度降りてきたかわからない。


この間に年は暮れて、明けて、また緊急事態宣言が出されて、延長されて、そろそろ解除か?いや、まだか?となってる今であって。

今月の初めに母方の祖母が亡くなって3年ぶりに実家に帰ったことは、後の自分のためにさすがに記録しておくべきかと思ったりして、奮い立たせている今でもあって。


98歳。
大往生と言って差し支えないと思う最期のときは、家族みんなに看取られてとはいかず、コロナの影響で母と姉だけが病室でその瞬間に立ち会うことに。

しかし平時であれば「その後」が葬儀屋に丸投げになるところ、通夜に人を集められないので、自宅で納棺の儀なるものを行ったり、その部屋で親族そろって食事をしたり、かえって近い場所で、最期の後の身体(という言い方があるのかわからないけれど)と過ごすことができたりもして。


まだ一番上が小学生のひ孫が5人、近くに住んでいて、これが集まると、悔やみとは思えぬ賑やかさになってしまうから子どもはやっぱり偉大であって。

火葬場で撮られた集合写真の僕もしっかり笑顔で、過去の3人の祖父母のときとは微妙に違う、とても明るい雰囲気の旅立ちだったように思う。

一番下のひ孫(僕の甥っ子にあたる)が生まれたのが去年の8月。
僕はこの帰省で初対面だったからなおのこと、「ゆく命、くる命」という感慨が強く。

南の小さな島でおよそ100年。

とてもベタだけど、もっといろんな話を聴いておくべきだったなあという後悔も少し。

とにかくお疲れさまでした、ゴッドマーザー。


自分の現況についてはやっぱり家族にも今いち理解を得るのが難しく、言葉の端々に「お前はそれでいいのか」的なニュアンスを嗅ぎ取ってしまうのは末っ子のひねくれか。


状況なんて、変えたくなくてものっぴきならない事情で変わるもの。
変えようとリキんだところでうまくいくわけでもなし、それで消耗するよりも、そのときを待ちたいと思うのです。
ただ誠実に。


東京の生活ももちろん疲れているけれど、実家や地元が落ち着くわけでもないことをまた確認。

ろくでもないことも多いけれど、やっぱり、ちゃんと「物心」ついてから過ごした期間が長いこの場所の方が、性に合っているようです。


「親なんてウソついてでも喜ばしといた方がいい」といういつかの誓いにならうなら、そんなことは両親には言えないけれど。

とりあえず息子(彼らにとっては孫)の写真を定期的に送って喜ばしつつ、ちゃんと孝行できるときまで、まだもう少し健康でいてもらいたいと願う半人前。


じっと、春を待っています。

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