夢を諦めないこと

 中学時代から教員になりたかった。
そして大学卒業後講師という形で教員になった。(採用試験に受かりきれないところが完全に私の弱さなんだが)

 先日卒業式が行われた。初めての卒業生。いままで過ごした日々が走馬灯のように見えた。何をしたわけではないし、頑張ったのは子供たちであるということは忘れてはいけないのだが、仕事でぶつかった苦難や悩んだ日々を思い出してしまった。子供たちの成長とともに教員も成長する。学校とはなんとも物語性の強いものである。

 私は社会科の教員である。今のニュースを見ると暗いことばかり耳に飛び込んでくる。飛び込んでいいことなんて何もない。
春のオープン戦でダイビングキャッチをして怪我をする外野手をみて同じことを思う。(※この一行はこの文章の中でなんの意味も持たない)

 果たして暗いことばかり考えて大人になった子供たちはどう成長するのか。私が小学校の卒業アルバムに何を書いていたのかを思い出す。
「10年後の自分へ、就職氷河期を抜け出し無事なりたい仕事につけていますか?頑張ってください」
小6の自分がパンチラインだと思っていた言葉が就職氷河期だったことになんとも言えない気持ちを覚えた。

 10年経ち求人倍率も落ち着いた。景気は相変わらずの状態だが、そんな不安を覚えている子どももいつかは大人になり仕事をすることになる。

 私が不安に思ったこと。それは大学の同級生の多くが3年時にやりたいことがないと口を揃えていっていたことだった。21年生きててやりたいことないなんてありえないと本気で思った。ただ、それと同時にやりたいことの見つけ方や夢の持ち方なんてものは学校で習ってこなかったなとも思った。

 このことに今の大人たち、特に我々世代は危機感を覚えるべきである。なんとなく他と比べて幸せそうな日本、物が溢れている日本、何不自由のない日本で生まれた若者は満足してしまっている。不満を持っていても解決するための方法がわからないまま大人になる、親になる。なんとなく社会人になり、文句を言いながら仕事をする。

 全然ワクワクしない。子供の頃みたナルトやルフィには夢があった。うちの地元はジャンプ派だったから。そんなことは関係ない。そもそもアニメや漫画を教科書にしなきゃいけないことすら間違ってるかもしれない。(私は漫画が大好きなのでここはある意味では板挟み)

身近な大人たちが夢を見せる。希望を与える。
そのために自分に何ができるか、1年間私は考えた。

 その結果、子供の頃からなりたかった自分のヒーローである芸人を目指すことにした。
 実は先日の卒業式は私にとっての卒業式であった。教員生活たった2年でこんな恥ずかしい表現はしたくないのだが、、、卒業生から「隼平先生に負けない生き方をする」と言われた。これで燃えない大人はいない。卒業したら生徒も先生もないと僕は思う。そこからはこの世を生きるライバル、戦友だ。改めて卒業おめでとう。 

 教員という仕事に最大級リスペクトをしながら、教壇を後にする。周りから見たらただの半端者。どんなにカッコつけても意味がない。
 早く結果を出したい、多くの人の目に触れたい、影響を与えられる人間になりたい。子供たちに夢を与えられる大人になりたい。そんな願望を呟きながら今日も1歩1歩歩んでいく。

 初めてのnote。どんなにカッコつけても学力の低さは隠せない。拙い文章だったが読んでもらえたことに感謝を忘れないようにしよう。
そして、次回以降大切なことは最初に言おう。それだけ心に決めて今日はスマホを机に上におくことにする。

2022/3/22 サイヤング小山
フジファブリック 若者のすべてを聞きながら

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