富田茂之元衆議院議員の旭日大綬章受章についての公明党の対応について
富田 茂之(昭和28年生、70歳)千葉県銚子市出身、創価高校2期、一橋大卒、弁護士、平成5年公明党公認で衆議院議員当選(旧千葉4区、森田景一の後継)、平成8年衆院2期(新進党比例南関東)、平成12年衆院選落選(公明党、現行小選挙区千葉2区、当選者は永田寿康)、平成15年(2003)衆院3期(公明党比例南関東)、平成17年(2005)衆院4期、平成21年(2009)衆院5期(民主党政権)、平成24年(2012)衆院6期(自公政権)、平成26年(2014)衆院7期、平成29年(2017)衆院8期、令和3年(2021)立候補せず、政界引退。法務大臣政務官、法務副大臣、財務副大臣等を歴任、通算8期、衆議院議員を務めた。父は昭和38年から銚子市議を務めた富田文治(昭和54年、5期目の当選までは確認。昭和38年、公明政治連盟が初めて銚子市に市議を擁立した二人のうちの一人、あと一人は清水重郎。銚子市史続2による)。
令和6年4月、富田茂之の旭日大綬章受章が報じられる。旭日大綬章の受賞は公明党議員経験者では1989年の白木義一郎(参院5期)、1996年の竹入義勝(区議1期、都議1期、衆院8期。白木、竹入ともに勲一等旭日大綬章)、2010年の矢野絢也(府議1期、衆院9期)、2013年の池坊保子(華道家元夫人、衆院5期)以来となる。また、公明党が党として叙勲辞退を申し合わせた後の公明党議員の叙勲受賞は国会議員経験者では富田茂之が矢野絢也以来となるはずである。(訂正)矢野絢也以降、2013年に池坊保子が旭日大綬章、2018年に松あきらが旭日重光章を受章している。よって富田茂之の受賞が公明党国会議員経験者では矢野絢也以来というのは不精確なので訂正する(ただ池坊は衆院5期、松も参院3期と期数が短めなので、池坊は華道家元夫人としての、松は俳優としての活動も加味されての叙勲と思われ、そういった議員活動以外の活動も加味された叙勲ゆえ公明党は池坊、松の受賞を特に問題視しなかったとも思われる)。
「公明党議員の叙勲について」でも検討したが、公明党も当初のように叙勲を受賞するか否かは各議員個人の判断に委ねる、というのであればそれはそれでひとつの見識を示したと言え、いっこうにかまわないと筆者は考える。富田茂之の叙勲も永年の議員活動を労うものとして祝福でもお祝いでも好きにすればよいと思う。
ただ、公明党は党として平成13年(2001)5月の衆院本会議で神崎武法公明党代表(当時)が栄典制度の改革に言及し、「受章対象者は民間人を基本とし、特に政治家は勲章、褒章の対象から除外すべき」との公明党の見解を示し、その後全議員を対象に「公明党の議員は議員引退後も叙勲は受けない」と申し合わせていたはずである。その際、叙勲を受けるべきでないとする理由も示し、勲章の官民格差を是正すべきだ、議員は当選するのが光栄なことで市民のために働くのは公僕たる議員として当然のことだから勲章は不要だとの理由付けであった。例えば、公明党和歌山県海南市議会議員 中家 悦生のブログには、
と記されており、兵庫県尼崎市市議会議員 仙波 幸雄のHPでも、
と紹介されている。これらの叙勲辞退の申し合わせが撤回されたとの話は、富田茂之の受賞に際して、いっこうに聞こえてはこない。おそらく、氏は個人の判断で叙勲を受賞したと思われる。公明党が、公明党創設者である池田大作創価学会名誉会長の逝去から半年もたたないうちに、叙勲辞退の申し合わせを撤回したとは思われない。もしそのようなことをすれば、先生がなくなられてもう勲章を受けるのか、堕落している、弛んでいるといった批判が公明党に殺到すると思われる。そうした批判が容易に予想されるのに、叙勲辞退の撤回をするとは考えにくいからである。
しかし、だからといって現時点で公明党および公明党の議員からは誰からも富田茂之に対して「公明党議員は引退後も叙勲を受けない」と申し合わせていたはずだと氏を非難する言葉を発する様子もみられない。逆に、氏の叙勲受賞を祝福する言葉もない。ただただ、何事も無かったかのように沈黙しているだけにみえる。これは一体どうしたことなのか。
結局、勲章の官民格差の是正や、議員に勲章は不要といった理由付けは本音を覆い隠す建前に過ぎなかったからではないか。公明党の国会議員および地方議員は全員池田先生のおかげで議員になれているのに、池田先生を差し置いて自分だけ勲章受章の栄誉にひたるのか、けしからんといった空気の中、氏の機嫌を忖度して受賞を辞退する動きが広まり、竹入義勝元公明党委員長の手記と勲一等旭日大綬章の受賞を契機に、全議員が引退後も叙勲を辞退すべしといった極端な流れになっていってしまったのではなかろうか。そして池田名誉会長の逝去は、もはや叙勲辞退を申し合わせる実益がなくなってしまったことを意味するのではないだろうか。そうだとすれば、いくら富田氏を批判をしても池田氏に対して「よく言った」などと自分の覚えがめでたくなるといったこともなく、先輩なら批判しにくいうえ、将来の自らの叙勲も見込めれば文句を言う筋合いももうない。なにもなかったようにして時が過ぎるのを待ち、うやむやになったところで別に理由をつけて叙勲の受賞は議員個人の判断に委ねるとしかるべき時期が来ればそう決めてしまえばよい。公明党所属議員および議員経験者含め皆、内心ではそう思っているのではないか。
誰も何も言わない。質問しても無視。国会議員たるものが、軽々しくSNSで返答すべきでないとでも思っているのだろうか。いったい自分を何様だと思っているのかと言いたい。記者も公明党の議員は叙勲は受けないのではなかったのかと公明党の議員の誰に糺そうともしない。これが政権与党の現実なのだとしたら、「小さな声を、聴く力」くそくらえである。「しらばっくれる力」、「なかったことにする力」をそうやって取り繕って、ご苦労な事だと心底から軽蔑しようと思う(文中、敬称は基本略した)。
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