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ハッピーなアクシデント

 日本国内に限らず、世界の芸術・映画祭で作品発表や展示を行う映像アーティストの小鷹拓郎氏。

 卓越したリサーチ力・計画の果てに起こるハプニングやアクシデントを失敗としてボツにせず、凄みに取り入れるユニークな制作方法について取材した。新型コロナの影響で直面したピンチで発揮した脅威の対応力とは?




 映像作家の小鷹拓郎は、群馬県の地域イベント『渡良瀬アートプロジェクト』に参加するために山と川に囲まれた過疎地域でリサーチをしていた。地元住民と共同制作が条件で決まっており、協力を仰がなければいけないのだが、都会から来たよそ者に想像以上に非協力的だった。

 しかし何度も交流していく中で次第に信頼を得る。勝手に河童専用の釣竿をつくったり、河童共和国のチラシをもってきたりする面白い地元民も発見。加えて演技が上手であることで、妙案を思いつく。土地の雰囲気から河童をキーワードにして、地元民に嘘を演じてもらい、観客を騙す作品がつくれないか? 

 河童と暮らしているという架空の現実のもと、彼が地元民から河童についてのノウハウを教えてもらうという設定のフェイクドキュメンタリー『河童の捕まえ方を教えてもらうプロジェクト』という作品になる。地元で話題になり、のちにドイツの「オーバーハウゼン短編映画祭」で上映されることに。世界でもっとも古い映画祭のひとつとされ、参加した著名な映画監督として過去にヴィム・ヴェンダースやマーティン・スコセッシもいることで知られる。

 綿密にリサーチし、どういう作品をつくるかを事前に考えるが、制作中に起こったアクシデントや不確定要素を取り入れ作品を完成させる。観客に驚きや笑い、示唆を与える。それが小鷹拓郎氏の稀有な映像作品である。


2009_河童の捕まえ方

『河童の捕まえ方を教えてもらうプロジェクト』(写真提供:小鷹拓郎)


専門的な学校には通わずたまたま映像作家になった

 「アポなしロケ」「大陸縦断ヒッチハイク」「懸賞生活」など数々のヒット企画を生んだ伝説的番組『電波少年』の影響がすごくあった。

 都内にあるデジタルメディアデザインを学ぶ専門学校に通っていたがしっくりこず、学生時代から興味があったバックパッカーを始める。

 友達から借りたビデオカメラで旅の記録としてアジア、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアなど目的のない旅での偶然の出会いが、デビューのきっかけとなる。ある集落の首長族の一人の女性を好きになり、彼女を口説き、ビデオレターを送ったのち再会しに現地へと向い、結果フラれてしまう。

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タイの首長族の集落にて出会った女性ノゾミちゃんと

(写真提供:小鷹拓郎)




 その撮影した一連の流れを編集して一本の作品にする。当時映像を作っていた友達同士で上映会をやったとき、たまたま見にきていたキュレーターに展覧会への参加を誘われ、国際交流基金が主催しているインドネシアの展覧会で作品を発表。映像作家デビューを果たす。その後もバックパッカーを続けながら数々の映像作品を作り続ける。

 2010年には、じゃがいもを持ってアフリカを縦断した作品『ポテトとアフリカ大陸を縦断するプロジェクト』を発表。旅の途中、車が横転したり、バスで強盗にあったりするが、それも作品に反映させる。

 その後もアジア、アフリカ、中東各国に滞在し噂話や忘れられたシンボルをモチーフに作品を発表。映像作家をはじめてから実に14年になる。

2011_ポテトとアフリカ大陸を縦断する1

『ポテトとアフリカ大陸を縦断するプロジェクト』より

(写真提供:小鷹拓郎)


 長い期間、フリーランスの映像作家として続けてこれた理由をこう語る。「作品制作から映像の素材集め、リサーチを継続し活動がとぎれないようにしていた。お金がなくても、仕事が大変なときも、やめるという選択肢はなく、面白い話しが入ってきたらすぐに動ける体制を常に持った。

アーティストは夢みたいな職業じゃなくて、バイトや副業をしながらやっている人がほとんど。一部の人だけがそれだけで食べているというのが現実」


 そんな厳しい業界にいても、途切れず作品の制作や活動を続けるために大切にしてるのが、一人だけで活動しないこと。なるべく他者と関わることを大事にしてきた。

 フリーランスのアーティストとして活動している小鷹だが、美術展やキュレーション、制作中に人出が足りないことで起こる横の繋がりを大切にしている。それは活動を続けることで自然と生まれていったものだ。

 作品の多くがこうした地道な努力から派生している。さらに人を巻き込むことで、良くも悪くも活動をやめられなくする事にもつながる。活動資金においては財団などを利用することも。

 2017年から1年間、タイで活動したときは文化庁新進芸術家海外研修員として国から援助を得た。昨年からポーラ美術振興財団在外研修員という制度を使ってインドネシアを拠点に作家活動を継続する。自ら企画書をだして選考してもらう方法で、古くから続いている制度。著名な映画監督たちも過去に受けており、生活費も含め様々な支援を得られる。


制作の9割はリサーチできるだけ失敗しない方法を考える

 彼のアクシデントを誘発する作品からは無鉄砲で恐れを知らない人を想像するが、実はとても慎重派。「制作の9割はリサーチ」と語るその手法で垣間見える。1〜2ケ月くらい前から現地にいって「芸術祭で作品をつくるための調査です。お話を聞かせてください」と現地の人にインタビューを依頼。人に話を聞く以外だと、車をひたすら走らせ、現地(エリア内・外)を何度もまわる。そこで見つけた偶然ネタになりそうなもの(土地・空き家・ガラクタなど)面白いと思ったものをヒントに制作の企画や段取りを考える。「実ははめちゃくちゃビビリ。できるだけリスクが一番少ないルートやタイミングを探してから制作に入ります。最初からアクシデントを起こそうなんて微塵も思ってない。それでも結局おきちゃうんですよ」

予期せぬアクシデントの数々制作中に大怪我し継続が困難に

 「旅行先や人間関係でアクシデントやトラブルが起きた時にただそれを解決するだけでなく、作品を作りながらも楽しく進んでいけるのではないか」そう考える彼には予期せぬ事態がよく起こる。過去に奥多摩での展覧会に向けて制作前のリサーチ中に、崖から転落し全治3ヶ月の負傷を負った。自身の母と妻が立ち上がり、「手づくり秘宝館」として小屋をたてて作品を完成させる。奥多摩美術館で開催され、わずか13日間で来館者1000人を突破させることに。不測の事態もあえて作品に取り込むことで、オリジナリティとユニークさを与えることに成功している。


2014_国立奥多摩秘宝館1

リサーチ中に崖から落下して全身の怪我を負った

(写真提供:小鷹拓郎)


妻をオノヨーコに偽装させたりタイの人気コメディアンに変装 

 2010年、ミャンマーは軟禁状態にあったアウン・サン・スーチーとヒラリー・クリントンが会談をしたというニュースに湧いていた。ずっと軍国主義で、ハイパーインフレが起き、ATMでお金もおろせない。インターネットも使えないので情報も遮断されていた。ヒラリーさんが来ることでミャンマーにとっては〝世の中が変わるんじゃないか〟という機運がかつてないほど高まった節目だった。「そこに便乗した作品がつくれないか?」

 彼はここでも妙案を思いつく。世界で最も有名な日本人女性の一人であるオノヨーコを妻に演じてもらい、「オノヨーコがミャンマーをお忍びで訪れパフォーマンスをする」という大掛かりな嘘をつくパフォーマンス・アート作品『僕の代わりに妻のオノヨーコがパフォーマンスをします』を制作。妻に24時間オノヨーコとして振舞ってもらい小鷹はその夫という設定。オノヨーコが来ているという噂は一気にミャンマー中に広まる。なぜこんな嘘を信じてしまうのか?「ヒラリー・クリントンが来ているという、ミャンマーにとって歴史的なできごとが実際にがあったから、騙せると確信した」ここでも彼の策略が的中。

 しかしアクシデントが起こる。うわさを聞いた現地の記者たちが大量に集まり、実際に妻は壇上でオノヨーコとしてパフォーマンスをすることに。もちろん妻はオノヨーコさんではない。本来のパフォーマンスはできない。そこで、オノヨーコが過去に行ったマイクスタンドの前で嗚咽するというパフォーマンスを披露させる。驚くことに観客たちは感動して涙を流し始めた。


2012_オノヨーコ

『僕の代わりに妻のオノヨーコがパフォーマンスをします』より

(写真提供:小鷹拓郎)


 その他にも、タイで作品づくりのためにリサーチをしていたところ、現地で最も有名なコメディアン「ナ・ネック」が来るという情報を得る。自らナ・ネックに変装するアイデアを思いつき、街をあるきながら、ミュージシャンや食堂のおばさんたちにインタビューを行いどうすれば彼になれるのかを研究。それに加え、事前のリサーチで得た〝本人が現地に来る〟という情報を利用したことで、現地の人を騙すことに見事成功。

 しかしここでもアクシデントが起こる。なんとテレビ番組のロケ現場に遭遇し、本物の「ナ・ネック」と対面してしまうのだ。ただこのシーンが作品の重要なハイライトとなる。


2015ナネック

タイのコメディアン、ナ・ネックになりきる作品

(写真提供:小鷹拓郎)



コロナ禍でも発揮したアクシデント力

 昨年からポーラ美術振興財団在外研修員という制度でインドネシアを拠点に活動中だったが、イベントや展覧会も全部中止に。現地のアーティストや様々な人との交流が続いていたがコロナ以後、感染を恐れ避けられてしまう。そして失意の中、帰国。日本では家族といる時間を過ごしたり、インドネシア語を勉強しながら、コロナが収まるまでビザの発給を待っている状態が続く。そんな中、静岡県島田市で毎年開催している芸術祭への参加の誘いを受ける。島田市の過疎化した高齢者地域で作品を作ってほしいという依頼だった。参加を決め、制作を始めた矢先に支障が生じてしまう。

 「過疎化した地域での制作で高齢者の人も多い。コロナ禍前のような活動ができない。僕自身もマスクを着用し、消毒もして、かなり気をつけている。それでも菌を保有している可能性があり、感染者がでていない地域でうつしてしまうリスクがある。気軽にインタビューができず、面識のない高齢者に協力してもらうのが無理だなと。インドネシアに早く帰りたい。そんな思いが募った」


インドネシアの技能実習生との出会い

 島田市でリサーチ中にインドネシアの技能実習生に会う機会を得る。彼らに話を聞いていくなか、ある実態に気づいた。彼らは家族に仕送りをするために経済大国の日本に来ている。ただコロナによって彼らの生活も大変になっていて、もともとの給料も少ない中、そこからさらに賃金を減らされている。そもそも日本にくるときに、日本円で100万円くらいの借金をしている。借金の返済やインドネシアにいる家族に仕送りもしないといけない。

 コロナで仕事が無くなり、生活ができなくなったりしている。この問題がさらに厄介なのは、彼ら自体が相談をしたがらない。セクハラやパワハラ等を相談できる組合もあるが、ビザ問題と契約打ち切り問題のため我慢している。これらの情報は日本人も大変な状況のため大きくは報道されず、世間にあまり知られていない。国内では小さい問題として扱われているため給付金ももらえない。「そんな技能実習生の人たちと作品をつくれないか?」 

 ただここでも問題が。彼らは母語のインドネシア語以外は働くための必要最低限の日本語しかしゃべれない。英語もほとんどできない。「そうだ! 自分はインドネシア語がしゃべれる」基本的な会話は全部インドネシア語で話し、作品も全編インドネシア語で制作することに。


いままで経験したことのない状況。苦悩の末にまた妙案が浮かぶ!

 新しい作品をつくるのがすごく難しい。なぜなら小鷹作品は、制作過程で起こるアクシデントや、現地の人々の表情豊なアドリブ力が魅力だからだ。作品ごとに過程も違っており、それらを凄みに取り入れることで成立している。加えてコロナにより、地元の人たちと信頼関係を築くのが難しく、普段の取材ができない。面白くならない可能性が非常に高い。そのような状況で自分がちゃんとコントロール可能でアレンジが加えられる方法はあるのだろうか? 困難のなか、ここでも妙案を思いつく。

 「自分の過去作品のリメイクをしよう!」11年前の作品『河童の捕まえ方を教えてもらうプロジェクト』のリメイク。冒頭で説明した、群馬県で作った県民の方にアドリブで彼が河童の捕まえ方を教えてもらうというシーンをひたすら撮った企画。当時は今回のコロナのような大きな問題もなかった。政治的な状況(インドネシ技能実習生の問題)もなかった。内容は1回やっているので完全に把握している。山や川があって、過疎化した地域で高齢者が多いなどの状況も近い。〝コロナ禍〟という背景だけが違う。当時は自分が話しかける構図だったが、今回は「インドネシア実習生が介護を学びにきているのではなく、河童の捕まえ方を教えてもらうというフィクションに変えて作ろう!」(※作品の公開は3月を予定。内容の変更有り)

 東日本大震災が起こった時に日本人の価値観が大きく変わったが、2009年の当時はそういうのがなかった。話の設定や制作方法は同じだが、少しシリアスな内容になり、コロナ前と後の対比で見せることができる。たとえばコロナ後の今回の映像では、全員マスクを着用し、ソーシャルディスタンスだったりする。出演者との会話でも「どこから来たの?」って言われるシーンが頻繁にでてくる。県外ナンバーにやたら敏感だったり。そういった予期していなかったシーンもそのまま使用する予定だ。


2021静岡の制作風景3

静岡県島田市で出会ったインドネシア技能実習生たちと

(写真提供:小鷹拓郎)アクシデントは面白さの起爆剤


 大なり小なり、日常には面白いことが起きていて、そこに気づけるかどうかが鍵という。今回もコロナ禍という未曾有の状況でおきた変化を上手く切り取ることで、むしろコロナ禍でなければつくれない作品に変化させている。

 それらは当初、望んだものではない。そもそも人生そのものがアクシデントの連続であり、それらも決して望んだものではない。ただ小鷹は言う。「アクシデント自体は他のアーティストも頻繁に起っており、それを作品に組みこむ人、組みこまない人がいます。自分は積極的に組みこむほう。なぜなら作品の失敗の部分が面白かったりするので、そのままさらけ出しています」今までの作品でも、思った通りに作れたことは一度もない。むしろ「思った通りに作れたら失敗」と語る。彼は、それをなんとも思わない。

 「思った通りにいかないということは、自分の想像を超えたということ。同時に観客の想像も超えることに繋がる。それに人生においても、アクシデントがあったほうが面白いと思いません?」

 新型コロナウイルスという、世界でも未曾有の事態になっても、彼は平常心で冷静な判断ができる。その秘訣は観客になったつもりでカメラ越しのアクシンデントに向き合えるから。

 「自分を超えて、観る人の立場にたち俯瞰で見るようにしています。そうすると笑えるなと。大変な状況ほどそうします」不確定要素を加え、予定調和を壊すことで見る人の想像を超えさせることができる。

 彼は今日も次の作品に向けて緻密に計算し失敗しない方法を練る。虎視眈々と、それでも起きてしまうアクシデントを待ちながら。

 〝世界にたったひとつの作品〟を完成させるために。

撮影写真2

静岡県島田市で、次回作を撮影中の小鷹氏

(写真提供:小鷹拓郎)


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