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八高線のディーゼル車に魅せられて


「はちこうせん」
と聞いて皆さんは何を思い浮かべるだろうか。恐らく「はちこう」というワードから東京の渋谷駅前に鎮座している忠犬ハチ公を思い浮かべる人が大半ではなかろうか。残念ながら「はちこうせん」は渋谷には行っていない。東京都の「八王子」から群馬県の「高崎」を結ぶ路線で、両地名の頭文字を取って「はちこうせん(八高線)」という名前になった。
八王子から高崎までを結んでいる路線であるが全区間を通しで走る列車は無く、途中の埼玉県にある高麗川(こまがわ)駅で乗り換えが必要になる。これは高麗川駅を境に列車の駆動方式が変わるためである。高麗川駅より南側、八王子駅までは線路上に電線が張られ電車で運行されている。一方で高麗川駅より北側、高崎駅までは軽油で動くディーゼル車(気動車)が走っている。列車の駆動方式も違ければ、本数や沿線風景までもガラリと変わり八王子〜高麗川間は利用者数も多いが、高麗川〜高崎間は本数も利用者数も少なく一気にローカル線感が増す。
この区間を走るディーゼル車は「キハ110系」といい、JR東日本が平成2年に開発をした車両で、デザインは真四角でその車体には無駄な凹凸がほぼ無く、いたってシンプル。塗装は白を基調にドアや車体裾部には黄緑という目に優しい配色をしている。八高線では平成5年に高崎〜寄居間で営業運転を開始し、平成8年より寄居〜高麗川間でも運行を始めた。今年でデビューから31年目のベテランである。

私が八高線を撮り始めたのは2014年6月のこと。当時は高校3年生。
なぜ八高線を撮り始めたのか、動機はいたって単純。ディーゼル車が走るローカル線を撮りたかった。そして祖母の家が寄居にあったこともあり1番身近にあるディーゼル車の走るローカル線が八高線だった。
こんな言い方をしては失礼であるが、当時は八高線はおろかキハ110系にすら興味は無かった。全国各地のローカル線に目を向けてみれば「キハ40」という国鉄時代に製造された趣のあるディーゼル車がわんさか活躍しており、私的にはそちらの方を撮りたかったのだ。なので「キハ110系なんて…」というのが本音だった。しかしお金も時間も限られる高校生、しかも高3という事もあって遠出は出来ず近場のローカル線で我慢するしか無かった…というのが正直な感想だったのだ。
そんな感情を抱きつつも2014年6月21日、両親に頼んで祖母の家へ行くついでに以前から「上り勾配を上がってくるところが絵になりそう」と目星をつけていた八高線の踏切へと連れて行ってもらった。この日はよく晴れた夏日でお昼過ぎにゲリラ豪雨があり、家を出る頃も雨はまだザーザーと降っていた。撮影地に到着する頃には雨も止み、晴れ間が覗いていた。車を降りると雨と土の匂いが混ざった独特な空気が鼻をつき、沿線の緑は雨の後の強い日差しにキラキラと輝き、空は綺麗に澄んだ青空となり、遠くに見える山々は雲を被り、まだ雨の気配があった。そんな自然豊かな光景を五感で感じ取るのは久しぶりの事だったので胸が踊った。
15時18分。撮影地の最寄り駅である寄居駅の発車時刻を過ぎたので、アングルを決めて待っていると踏切が鳴り出した。遠くからディーゼル車特有の重低音が響き始め、陽炎でメラメラするに線路の先にヘッドライトの光が浮かび、徐々に上り坂を上がってくる白と緑の車体が姿を現す。前年の秋に買った一眼レフでは初めて写す被写体にワクワクしながら夢中でシャッターを切った。ファインダーに姿が写ってからはあっという間で、エンジンを噴かしながら排煙の匂いと、じめっとした夏の雨上がり特有の空気を残しながら白と緑のディーゼル車は軽快に真横を通り過ぎて行った。
概ねイメージ通りに撮れた写真を見返して「これが本当に埼玉を走る路線なのか??この路線とこの車両をもっと色々撮ってみたら楽しいのではないか??」と自分の好奇心が刺激され、それまでこの路線と車両に対して持っていた自分のイメージがガラガラと崩れる、そんな感覚に襲われた。
その日を境に自分の被写体は地元を走る高崎線から、八高線へと徐々にシフトして行った。

地元から車で約30分、自転車を漕いでも約1時間なのでそれから何度か足を運んだ。
最初は「手頃なローカル線だから…」と撮っていたものが、だんだんとこの路線とキハ110系の魅力に引き込まれてしまった。
寄居を境に路線風景が一変する様は特に面白い。寄居を境に北側は如何にも「関東平野」という感じの田園風景の中を走り、南側は川や山なども多い自然溢れる里山の風景の中を走り抜けて行く。そんな景色の変化にキハ110系の白と黄緑色の優しいカラーリングが華を添える…よく見ると車両自体のデザインも優秀である。シンプルで真四角な車体であるが、灯具類や窓などのデザインが変に凝っておらず大元のデザインにきちんと似合うように作られている。側面も無駄のない真っ平なデザインで好感を持てる。
側面は片開き2扉、前面の中央上部に前照灯が配置され左右対称でシンプルを突き詰めたデザインなのが、どことなく国鉄の「キハ20」や「キハ52」の色を引き継ぐようにも見えてくる。
そしてもう1つ、平成8年にキハ110系や八高線の電化区間を走る車両達に置き換えられた旧来のオレンジ色のディーゼル車「キハ35」を模型で集めていた事も、現在の八高線にハマるきっかけになった。模型の資料を集めるため、国鉄民営化後から平成8年までの過去写真を書籍やネットなどでよく見ていた。「こんな長閑な風景なところを走っていたんだな」と過去の写真を見て常々思っていたのだが、「この場所は今どんな風景なのだろう」や「この場所をキハ110で撮ったらどうなるんだろう」と思うようになり、その撮影地へ足を運ぶ事もあった。過去写真を見て訪れた撮影地は風景が様変わりしていたり、障害物が増えて撮れなくなっている等のケースが大半である。しかし中には風景があまり変わっていない場所もあった。そのような撮影地に降り立つと、自分はタイムマシンでも手に入れたような気分になりちょっと気分が高揚した。そして遠くから見える白と緑のディーゼル車が現実へと引き戻してくれる。そんな不可思議な感覚になったり、過去と現在の間違い探しをしてるような気分になり、沿線に立つのが楽しくなっていった。撮影地を探すのは決して楽ではなかったが、「どのように撮れるかわからない」という場所に足を運び一喜一憂するのも答え合わせのようでとても楽しく思えた。
こうしてどんどん足を運ぶ回数が増え、春の彩り豊かな景色、梅雨の雨や夏の深緑、秋を彩る草花や紅葉、冬の澄んだ空模様とたまに降る雪とのコラボ、思い返すと様々な感動するような風景に出会い、その中で八高線を撮ってきた。風光明媚な中で撮る八高線のディーゼル車はより一層かっこよく見えた。特に冬の朝と夕方は白い車体に薄明の空を映す出してドラマチックな光景を見せてくれる。そんな光景に魅せられて八高線を撮り始めて3年、4年…と時が過ぎて行き、気が付けば今年で10年目に突入しようとしている。10年の間に様々な知識や繋がりも増えた。特に昔から八高線を追い続けていた方々との繋がりはとても嬉しいものだ。昔から八高線を撮り続けてる先輩方には「八高線ってどの時代にもコアなマニアが居るんだよね〜」と言われた事がある。沿線に住み、この路線の魅力に取り込まれた古参の方々が自分のような新参者と仲良くしてくださるのはとても光栄な事である。
先述のキハ35が引退するときは小さな写真集を出した人も居て、僕もその写真集を読んだ事がある。その写真集の文章は、読むと不思議とその光景が浮かび上がるくらい素敵な文体だった。そして「このアングル、自分も撮った事ある」と思う写真がいくつもあった。時代は違えど、人は同じようなものに惹きつけられるようだ。せっかく10年も記録してるのだから自分もいつか写真集を出してみようか。そしていつか後世の八高線マニアの方々に自分もそうに思われる日が来るのだろうか…そんな感傷に浸っていると遠くから踏切の鳴る音が聞こえてきた。今日も八高線が奏でるエンジンの詩を聴きに来たのだ。
カメラのファインダーを覗くと遠くから白と緑のディーゼル車がやってくる。シャッターを切る瞬間は、この路線を初めて撮った時と同じようにいつもワクワクしている。今では八高線もキハ110系も大好きな被写体だ。汽笛の音色も高らかに目の前を白と緑の2両編成のディーゼル車は通過して行く、県境の橋に列車の轟音と少しの煙くささを残しながら。

2014/06/21 八高線241D
全てはこの1枚から始まった。


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