大福が喋る(CV:中村悠一)ことでも話題をさらった映画わんぷり。結論から言うとめちゃくちゃ良くて、公開週の3連休に2回観に行って2回ともボロ泣きした。
なお、2回目は一列前に娘たちを座らせて、パパ友(すなわちおじさん)とペアシートという謎絵図だった。
あらすじ
小型犬に気付かされたこと
ボスたぬきのムジナがゲームの世界に閉じ込めようとする際のロジックが、ゲームの世界にいれば飼い主とペットが年を取ることもなくずっと一緒にいられて良いじゃん、というようなものであった。
これに対し犬飼こむぎ、「いろはともっとお散歩したり、遊んだり、学校に行ったり、たまにはケンカして、仲直りして…
という主旨のことを述べるのだが、「誰かをもっと好きになりたい/なろうとする」というアプローチがすごく新鮮で、折しも夫婦仲が何となく微妙(仕事も、家事も俺の方に寄り過ぎじゃね?)な時期だったこともあって、ぶっ刺さって泣いた。
要は犬飼こむぎ、「おめー、奥さんのこと、もっと好きになろうという努力してんのかよ?」という牙を突き付けてきたのだった。攻撃力高過ぎるて。大型の狩猟犬かよ。
というかさ、わんぷりって力ではなく相互理解によってキュアしてくコンセプトやなかったん?
ひろプリとわんぷりのアプローチの違い
前作ひろプリの聖あげはさんが好き過ぎて、かつ、逆にペット文化に興味が無い上に断然ネコ派の俺にとって暫くひろプリ>わんぷりという時期が続いたのだが、アニメ本編でのニャミーの活躍、そして何より上述小型犬の強力な牙により、わんぷりがひろプリに追いついた感がある。
特に子育てしてると、ぶん殴らんと分からせられん時あるやん?という思いから、圧倒的にひろプリ支持。わんぷりにはカルト宗教じみた怖さすら当初は感じていたのだが、今作映画のナツキとムジナ(たぬちゃん)の関係性を鑑みると、もう少し性善説に寄って良い(皆本来的には善で、何かの原因があって悪の現象が生じていると考える)かもなー、わんぷりの考え方も一理あるよなー、と思えたのも収穫だった。