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量産型ザコ

こんばんは。
月曜日ですね。
noteを更新します。

3月は忙しい。
本当に瀬戸際です。
それは執筆が完全にストップしてしまっているからです。
本当にやばい。
僕はプロの作家ではないので、締め切りはありません。
ただ公募型の新人賞に応募する予定なので、その執筆に追われているのです。

「知ったことか」

とお思いでしょうね。
僕も他人ならそう思います。
世に出る予定もないような小説を勝手に書いてるくせに何言ってるんだ、と。

まったく仰る通りなんです。
芸人のネタ作りにも同じことが言えます。
「ネタ作ってる」が時に錦の御旗として作用する時があるのです。
「ごめん、今日やっぱり行けないわ。ネタ作ってるから」とか「俺がネタ作ってるんやからお前がチケ売りせえや」などと使用されます。

売れてる、もしくはそのネタのお陰で生活に困らないほど十分なギャラが稼げているのならば何の文句もありません。
でも、そうではないパターンの人でもこの「ネタ作ってる印籠」をかざしてくるタイプの人がいます。
純粋にそういう人が羨ましいです。
良い意味での勘違い。いや、良い風に転がる可能性のある勘違いができる人。それに憧れています。

話は変わりますが、とあるツイートを見てから色々考えてしまっています。

それはオリエンタルラジオの中田のあっちゃんについての呟きでした。
「うちの会社の社長がYouTube大学であっちゃんが言ってたから〇〇しようと思う、と言いだしたので転職しようと思う」といったような内容でした。

それにコメントがいくつか付いていて「その会社ヤバい」「中田敦彦みたいな嘘ばっかり言う奴信じてるの?」など、アンチ中田敦彦勢がここぞとばかりに叩いていました。

僕もYouTube大学は大好きでよく観ます。
が、情報の出自や正誤性などは自分で判断して取捨選択をしています。

というか、それが普通じゃないですか?

このアンチの人たちはそれこそあっちゃんの一挙手一投足いちいち気に入らないみたいで、全て完全なパーフェクトヒューマンでないと許さない、といった態度でした(それは本人がそう言ってるから真に受けているのでしょうか?)

学校の先生でも間違うことありますよ。
しかもあっちゃんは別に授業料を徴収しているわけでもない。
何度も言いますが、別に僕は中田敦彦信者ではありません。
なんなら一度会ったことがありますが、鋭い眼光で睨みつけられながら挨拶されたので若干怖いイメージがあります(オリエンタルラジオ全盛期の頃だったので仕方ないと思いますが)。

とにかく「こいつは歴史を全然勉強していない」と非難囂々でしたが、そのツイートで攻撃している人たちは何に対して怒っているのでしょうか?
「歴史を勉強してないのに発信していること」に対してなのか「歴史を勉強してないのに目立って俺より金儲けに成功してタレントの奥さんもらってシンガポールで悠々自適に生活して、一方俺は毎日カップラーメン食べてYouTubeでアイドル観ながら興奮して安月給で友達も彼女もいないこと」に対してなのでしょうか?
怒りの温度として、後者の方がしっくりくるんですよね。

本当に歴史観について不勉強だな、と思う節があったとしても、そんなに怒ります?
そう言うと必ず「影響力のある人間だから」と返してきますが、いくら影響力があるからといって、全ての責任を背負わなければならないのでしょうか?
昔、「子供が真似するから変なギャグをするな」と視聴者から言われた加藤茶さんが「だったらあなたが止めればいい」と言うと「加藤さんは影響力のある人間なんですよ」と返されたので、「あなたそんなにお子さんの側にいるのに僕より影響力無いんですか?」と答えたそうです。
影響力はあったとしても支配してるわけじゃないんだから、その選択は受容している方がするべきではないんでしょうか?

相手に対して怒りを感じる場合、その相手を対等に見做しているからこそ怒りの感情が湧き出るのだそうです。
例えば小学生の子に歴史観の誤認があっても怒りませんよね。
「あー、それね、ちょっと違うんだよ。それは実はね…」と言って諭すか、相手にしないかのどちらかの態度になるはずです。

怒ってる、ということはいくら貶したり蔑んだポーズをとっていても同レベルの人間だと認めている、ということなんです。
誹謗中傷はさらにもっと下のレベルで、完全に自分が下のポジションからなんとか相手を「悪」だと見立てて攻撃をして溜飲を下げているだけなのです。

結局、こういう人たちは絶対に居なくならないですし、矢面に立つ人はこういう人たちの対処法を考えておいた方がいいのかもしれないですね。

僕は完全に無視してブロックで終わりですけどね。

では、また。

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