僅かな資本で最大幸福化を狙うかな🤔


第62号(2022年7月6日)天職のキャリア実務家No.1中村英泰さんから腕が折れそうなバトンを受け継ぎ、初登壇させて頂きます「普通の人」※キーワード1   saitoubosatuです。(多様性を意識してローマにしてみました)
7月のテーマが「資本」ということですので、私の65年間の内的キャリア資本と、これからの人生最大幸福化について、独り言します。

東京の町工場の倅に生まれ、8才で父を癌で亡くし、母親にしがみつき無欲な子として育ました。昭和の成長時期でしたので、何とか工場も成り立ち、私も大学まで出させてもらいました。後継者の期待もあり機械工学、機械工学と連呼されましたが、ボーと考えるのが好きだったため数学の道を選びました。実際は現実からの逃避。思い起こせば10代は意識の薄い生き方だったようです。

入社当時、純粋無垢な私には、いきなり周囲に能力的に及ばないと感じさせるツワモノ達が、広告用語や業界用語を並べて流暢にミーティングをしていて、入るところを間違えたと感じていました。

この時に、人生に影響を与える※キーワード2 「決して後悔して愚痴をいわないこと」を肝に銘じることになります。
上司も先輩も、あの帝大学で優秀な成績で入社され、社内でも活躍されていますが、優秀だけでは上に上がれない非論理的な部分があり、より挫折経験が強くなるのをみて、尊敬する方々の戻ることがデキないことへの毎度後悔する姿をアルコールが飲めず、毎回冷静に拝聴できたことは良かったです。(反面教師)

ある時、鈍臭い自分が他のメンバーと違う能力はないか ?  あったんです! 公式的会議での会話は殆ど記憶していた、段々メンバーから確認されるようになり、一芸に秀でることは存在感を持てると考えるようなりました。(笑)

周囲に追いつくために、興味はないが人気スポットや、話題で取り上げられた店舗に夜な夜な探索。家に帰る頻度は少なく、残業代まで投資していましたね。(当時は基本給<残業代)

その後、順風満帆の時代。そんな時、ある程度の集団を合意形成して1つの目標に行動させるプロジェクト。今でも忘れられない苦悩な日々でした。広告は商品の機能や価値を理解させ購買行動してもらうことですが、100万人以上の組織をどう動かしたら良いか ? お手並み拝見の視線を受けて(大汗)
1年後結果は大成功。(策は神風かな ?・・)普通の人でも天狗になる!!

これまでの「毎日読んどく」「探索」の投資と幾つかの実績で自己資本は上がったと思った頃、異動、経営企画室→内部監査室。一瞬ハムレットの心境
この時、自分は※キーワード1「普通の人」なんだ。幸運にもここまで頑張れて来たことが奇跡、そして良い思い出をたくさん経験出来たことへの感謝が心の底から湧いて来ましたね。普通と思うと万能 !!

まだ国際資格保有者が少なかった年1回世界同日試験CIA(内部監査人)を受けました。新お茶の水ビルディングの向かいが会場で「CIA試験会場」の看板を通行者が不思議そうに見られていたのが印象的でした。(笑)

コンプライアンスにかけてはBLACKの宝庫。優秀な人材が多いだけに、さすが!と言いそうなテクニシャンもいました。原因は閉塞感、企業文化の時代とのズレでしたね。

ここで、普通の人にまたまた頑張れコール。最も歴史のある市場調査会社の代表取締役社長の依頼。
業績悪化、本社との取引激減、人材総入れ替え的あら治療必要など。
大先輩の取締役就任いただき決意。

しかしスタートは特に厳しかった、過去にトラブル連発していて会っても貰えない。私が直接責任者ならば、の条件。まずは受注優先。
やはり空白の5年間進歩はすざましかった。
今の組織では生き残れないと考え、3年後からPR  イベント  映像のフリー集団をネットワーク化した。

自己資本の中ではPR、イベントなどは専門ではなかったが30年間の付き合いの中で、信頼関係構築出来たことはsaitoubosatuを志しする大きな要因です。(他者資本との連携)

ここから、地方創生、東北復興、農畜水産物海外促進事業を受注することができました。内閣や内閣官房とは疎遠でいたいですね(あの人達って、ご指示される口調は反社会的なのよ)

毎日修羅場を数回対応し、四面楚歌もありましたが、私は生きていて、今日原稿まで作成しています。助けて頂いた多くの方々に感謝。危機の直前は恐怖ですが、過ぎると生き抜けた思い出(事件)に変わります。普通の人とすれば冥土の土産話。こだわる基準は低くてOKです。

まだ勉強中ですが、私もプロティアンですかね(汗)・・不安

私のコメントとしては最後に、これからのセカンドキャリアは、「広義のキャリアの道楽化を実践することで幸福の最大化」を目指し「自然体で菩薩のよう暮らせる気持ちを普及し、一緒に幸せを味わい尽くしたいですね。」

次号は1985年つくば博で毛利さん、向井さんたちを宇宙に送り出した自分が、パスするお方はコスモ女子なる活動されているSayori  Yamadaさんです。乞うご期待。







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