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誠実のプロレスラー・大谷晋二郎を信じろう■松澤チョロの脱線プロレス

ZERO1オフィシャルサイトより

松澤チョロの脱線プロレスシリーズ第5弾。今回は大谷晋二郎さんを語ります!(聞き手/ジャン斉藤)


――大谷晋二郎さんが試合中の事故で大ケガを負ってしまいました……。

松澤 『紙のプロレス』時代、大谷さんのことは何回か取材したことがあるし、同じゼロワンでも橋本真也さんなんかと比べたら破壊力は落ちるけど、試合はもちろん、インタビューもかなり面白い人だったよねぇ。

――弁が立つプロレスラーですよね。

松澤 ただ、破壊王(橋本真也のあだ名)と一緒で、最後まで俺の名前は覚えてもらえなかったと思う。カミプロで名前を知ってるのは会長(山口日昇)と、ささきぃくらいじゃないかな。

――ゼロワンの会場や事務所をしょっちゅう出入りしていた松澤さんが名前を覚えられてないのは意外ですね。

松澤 他のマスコミみたいに「今日はどう?」みたいにフランクに話しかけられるタイプでもなかったし、最後までツーカーではなかった。昔と変わっていなければ大谷さんは溝の口付近に住んでるはずだけど。溝の口のパチンコ屋にいる姿を何度か見かけて、挨拶するべきかどうか悩んだことはあったなあ。挨拶しても気まずい空気になるのはイヤだから、結局しなかったけど。

――溝の口は新日本や全日本の道場からアクセスがいいから、あの周辺に住んでるレスラーが多くて。巡業合間の時間潰しからみんなパチンコ好きになって、溝の口のパチンコ屋を覗けばば誰かしらプロレスラーの姿があったんですよね。

松澤 そうそう。俺にとって「2大・報われてほしいプロレスラー」の女子代表は井上京子で、男子は大谷晋二郎なんだよ。2人ともプロレスラーとしてのポテンシャルは当然すごいんだけど、団体経営で苦しんだところはあって……。井上京子は団体経営で何千万も借金を背負って、お金のために総合格闘技に出たりしてね。もともとプロレスの天才だから、時代が違えば海外とかでも成功した可能性が全然あったんだけど、後輩や周りを守るためにプロレスラー人生を捧げてしまった。大谷さんも井上京子と似たイメージがあるんだよね。自らの成功を捨てて、ゼロワンのために尽くしてきたというか。

――じつはゼロワンって好調だった時期は短いんですよね。活動21年間の中で最初の1年くらいですよ……。

松澤 伝説の旗揚げ戦は大成功だったよね。

――その旗揚げ戦が大成功しちゃったことでトラブルが起きて。そもそも新日本の衛星団体としてスタートしたんですけど、旗揚げ戦が儲かりすぎたことで新日本と破壊王が揉めたんです。旗揚げ戦会場の両国は新日本が押さえていたし、永田(裕志)さんもメインに出ていたけど、新日本のレスラーがそれっきりだったのは揉めたからで。

松澤 最初の団体名は「新日本プロレスリング ゼロ」だったしね。

――のちに破壊王の右腕となるフロントの中村祥之さんは監査役として新日本から送り込まれて、べつに破壊王寄りの社員じゃなかったんですよ。中村さんは新日本に戻らず、そのままゼロワンに残留したんですけど。

松澤 中村さんはリキプロ出身で破壊王というより長州派だったからね。まあ遅かれ早かれ新日本から出たんだろうなって感じはするけど。

――当時はみんな野望を抱えていた時代ですよね。大谷さんの場合も野心があったからゼロワンに移籍したんでしょうし。

松澤 大谷さんと破壊王は師弟関係ってわけではなかったでしょ?

――大谷さんは破壊王の付き人を2年間やりましたけど、破壊王軍団ではなかったですね。同時期にゼロワンに移籍した高岩(竜一)さんは破壊王軍団でしたけど。あの当時の新日本って給料を下げられたレスラーは1人もいなかったうえにバブルでしたから。高岩選手クラスでも年俸1000万円以上。離脱は金銭に不満というよりは、プロレスラーとしての野心、もっと強い言葉でいえばエゴでしょう。大谷さんなんて凱旋帰国直後の移籍ですから。

松澤 大谷さんはジュニアで評価されてからの海外修行だから、無名のヤングライオンのケースとは違うよね。もう名前があって「これから」ってときにゼロワンに移籍。

――現場監督時代の長州さんとは険悪だったからゼロワンに移籍……という話もありましたが大谷さんいわく、そうではなくて。大谷さんと長州さんが揉めたのは、大仁田厚の新日本参戦が話題になっている頃に「何が長州力だ! いまはジュニアのシリーズなんだからジュニアの闘いを見ろ!」とマスコミにアピールしたら現場批判と受け止められた。それで試合前の控室に呼び出されて口論になって長州さんから「もう帰れ!」とキレられて。その後、お互いが言い過ぎたってことで和解したそうですけど。

松澤 あの当時はみんな自己主張が激しかったよね。金本浩二さんもさんざん会社に文句を言っていたし、藤田和之さんや安田忠夫さんも結局外に出たし……って安田さんの場合は借金問題でクビに近いけど。それでもPRIDEに出て一攫千金を狙ったわけだし。

――ただ、高岩さんは衛星団体としてのゼロワンに移籍したイメージだったみたいですよ。破壊王に入団を直訴したら、新日本の契約を更改してこいと命じられて。で、新日本と契約したんだけど、旗揚げ直後の給料日にお金が振り込まれてないから新日本に電話をしたら「あなたは新日本の選手じゃない」と突き放されて。

松澤 え、何それ!? すごい話だ(笑)。

――大谷さんの場合は新日本離脱という意識はあったみたいです。ただまあ会場は新日本が押さえているけど、興行は破壊王の会社がやっていたり、破壊王と新日本のあいだになんの契約もなかったりと、いい加減にもほどがあって。

松澤 逆にいえば、そんな感じでいい加減だからこそ、衛星団体としてスタートしたのにノアの三沢(光晴)さんも協力してくれたんだろうね。あの旗揚げ戦がコケていたらプロレスの歴史は違っていたんだろうけど、結果的にめっちゃ盛り上がったから。

――00年代の佐藤正行編集長時代の『週刊プロレス』の中では、ゼロワン旗揚げ戦詳細号がいちばん売れたみたいです。ちなみに当時のボクはカミプロに入る前で無職だったんですが、同日に後楽園ホールの修斗で山本KID徳郁のプロデビュー戦があって。総武線で両国に向かうか、途中の水道橋で降りるか悩みましたよ。最終的にKIDを選んだのでアンデウソン・シウバの日本デビュー戦も目撃できたんですけど。

松澤 KIDデビュー戦とゼロワン旗揚げって同じ日だったんだ! あれ、KIDのデビュー戦ってそんなに話題になってたんだっけ?

――いや、マニアは要注目って感じで、そこまでは話題になってないですね。当時は修斗四天王ブームも一段落していたので、お客さんはそうでもなくて。ゼロワンの大爆発を聞いて「選択ミスしたなー」と思ったもんですけど。

松澤 いや、ゼロワン旗揚げかKIDデビュー戦かで迷ってたジャン斉藤もすごいよ。まあでもゼロワンの旗揚げ戦はホントに盛り上がったから現場で体感できてよかった興行の一つだよね。

――1億円近く売り上げたみたいですよね。まだ新日本仕切りだった第2戦の日本武道館はノア側の事情で三沢光晴と小川直也の初対決(タッグマッチ)の発表がギリギリになったんですけど。三沢vs小川目当てで当日券が5000枚近く売れたみたいですからね。そりゃあカネで揉めるなって。

松澤 当日券5000枚って、いま考えてもとんでもない数字だよなぁ。まあでも振り返るとゼロワンってスキャンダル系の話がよく出がちな団体だったよね。別冊宝島でもよく取り上げられていたし。

――旗揚げ直後にやっていた別ブランド『真撃』も、主催者のステージアが倒産しちゃって、けっこうな額の未払い金が発生してたんですよね。ちなみにステージアはプロレスイベントだった2000年『猪木祭り』の主催者でもあって。

松澤 ゼロワンって親会社がしょっちゅう変わっているよね。たぶん把握できてる人ってなかなかいないでしょ。他にもキングスロードを吸収したり、ビッグマウス・ラウドも傘下に収めたり、女子部門の『プロレスリングSUN』があったり。

――『プロレスリングSUN』は女子プロレス史の中でも黒歴史ですね……。

松澤 それこそ大谷体制になってからも、レフェリーの笹崎勝己さんが社長になったり、かと思えば最近は大仁田さんの側近だった神尊仁さんが社長になったりして、ようやく大谷さんの負担も減るのかなぁと思ってたのになぁ。

――面倒くさいから表記上はゼロワンで統一してますが、いまのZERO1は、破壊王がやっていたZERO-ONEとは別団体なんですよね。

松澤 破壊王時代のゼロワンはそこそこ長く続いたように見えるけど、短かったよね。実質3年ちょっと。

――そのあいだもずっとトラブル続き。マーク・ケアー参戦も大騒ぎになったじゃないですか。ケアーとPRIDEの契約はもう切れていたんだけど、PRIDEの怪人・百瀬(博教)さんに挨拶がなかったということで問題になって。破壊王がインターコンチネンタルホテルのスイートルームに閉じこもって、仕方なく中村さんが詫びを入れに行ったら、もともと2人は面識があって「なんだよ、オマエだったのか」と一件落着。

松澤 あったねぇ。選手引き抜きでいえば、前田(日明)さんとも何かなかったっけ?

――ディック・フライ&ハンス・ナイマンのオランダ勢が『真撃』に参戦したときですね。リングスは活動停止中で2人とも契約はなかったそうですけど、当時は契約がなくても簡単には手が出せない時代で。揉め事にならなかったのは、破壊王が猪木さんの影響で葉巻にハマりだした時期で、恵比寿のウエスティンホテルのシガーバーに行ったら葉巻好きの前田さんとばったり遭遇。葉巻を通じてわだかまりが溶けたという、すごくいい話なんです。

松澤 知らなかったけど、煙に巻かれたいい話! それでいうと、リングスを退団した直後のヤマヨシ(山本宜久)も破壊王は引っ張ろうとしたみたいで。破壊王からヤマヨシに電話がかかってきて「3000万でどうや?」みたいな。

――マーク・ケアーには3試合6000万円の金額を提示してたらしいから、金銭感覚が壊れすぎ!

松澤 でも、それはあいだに入った関係者の行き違いがあって御破算になったんだけど。破壊王はプロレスしかやらせる気はない。でも、ヤマヨシは小川直也と真剣勝負がしたいからプロレスはやる気ない。そうこうしているうちに「ヤマヨシが何千万じゃないと出ないと言ってる」みたいな噂が流れたことに破壊王が怒って、そのまま疎遠になっちゃったんだよね。最近ヤマヨシ自身がYouTubeで明かしてたけど。<14000字の大谷晋二郎語りはまだまだ続く>

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