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恐るべきプロレス団体リングスの真実■長井満也インタビュー

UWFやリングス、K-1まで、様々なリングで戦ってきた長井満也インタビューシリーズ第4弾! 今回はリングス入団編です (聞き手/ジャン斉藤)

①「我が青春のスーパータイガージム、シュートボクシング
地獄の新生UWF新弟子編
長井満也インタビュー「いつのまにか解散してしまった新生UWF」

――大怪我のリハビリ中に新生UWFは解散しちゃって、練習生だった長井さんは流れるままにUWFインターに参加することになりますが、旗揚げ前に離脱しちゃいますよね。その理由はなんだったんですか?

長井 もう若かったんです(苦笑)。前回のインタビューで話したとおり、Uインターに入ったというより、そのままUWFに残ったというイメージだったんですよね。

――Uインターの取締役だった鈴木健さんに誘われて。

長井 いまになったらですよ、リングス、藤原組、Uインターの3派に分かれるわけだから、それぞれの団体がカラーを出さなければいけないということもわかるし、「立ち技やダブルバウト(タッグマッチ)もいいんじゃない?なんだったら6人タッグもやっちゃおうよ!」という頭の柔らかさはあるんですけど。

――Uインターが取り入れたスタディングバウトやダブルバウトがイヤだったと。

長井 あのUWFがUインターでもそのまま続くもんだと思っちゃったんですよね。だから、ボクがあまりにもガキンチョだったから「ちょっとそれは違うな……」と思っちゃって。

――スタンディングバウトやダブルバウトをやることはどんなかたちで知らされてたんですか?

長井 あのとき自分はデビューすらしてなかった新弟子だし、会社がどういう方向に行くのか、どういう色合いを出していこうって決める場所にはいるわけじゃないし。「こういう風に行くからな」って一方的に報告を受ける立場でしたから。

――まあ、そうですよね。長井さんがいた頃ってUインターの道場はもうあったんですか?

長井 いや、まだ道場はまだなくて。ちょっとうる覚えなんですけど、たしか高田さんが神奈川の綾瀬市だったかに一軒家をお持ちになってて。そこをUインターの寮にしたんですよね。田村(潔司)さん、垣原(賢人)くんと自分、すぐに新弟子を応募したと思うんですけど。1回目の入門テストで合格したのが、のちにリングスにも来る金原(弘光)ですね。

――長井さんもその寮には住まわれたんですね。

長井 田村さんと垣原くんが一部屋ずつで、あとから入った若い子は1階のリビングを相撲部屋の大部屋みたいな感じで使って。

――道場がなかったから練習は近所の公園だったんですよね?

長井 そうです。最終的に以前UWF道場だったところをお借りするじゃないですか。自分たちのときはまだそれも決まっていなくて。10時になったら近くの公園で練習でしたね。青空道場ですけど、夢があってよかったですねぇ。何もないところから作ってスタートしていくんだみたいな感じで。ボクはまだ週に何回かは首のリハビリとチェックも兼ねて東京の飯田橋にあった警察病院に通っているぐらいの体調で。まだハードな練習もできなかったと思うので、自分にとってもいいスタートだったのかもしれないし、いい思い出ですよねぇ。田村さん、垣原くん、自分と新弟子が公園でガンガン練習してるんですからね。

――3派に分かれたことで人間関係もだいぶ変わって、過度なイジメやしごきはなくなった感じですかね。

長井 そうですねぇ(苦笑)。ボクが以前のインタビューで話してたようなああいうことは、なくなったんじゃないかなと思いますね。

――そうして道場を使える頃にはUインターをやめてしまうと。

長井 そうです。旗揚げ戦に向けていろいろ動き出している最中ですよね。変な言い方ですけど、新弟子が夜逃げげしたみたいなもんですよ……。「こういう風にやっていく」って話をいろいろと聞いて、ちょっと俺の中では違うなって。これも言っていいのかな。リングスの公式記録員をもやっていた田代(徳一)さんとはずっと連絡を取り合ってたんですよ。田代さんには「Uインターはこういう風にやっていくみたいなんだよね」「自分はこう思ってる」みたいな考えも伝えてたんです。

――田代さんは新生UWFではトレーナー的な立場でしたね。そこからリングス入団に繋がっていくと。

長井 前田さんは外国人を集めてやろうとしているという話を聞いて。いまでこそデビューしてから30年以上やれてるけど、当時のボクとしては長くやれるかどうかもわかんないし、どうせやるんだったら自分のやりたいようなスタイルをやってみたいなと思ったんですよね。それでUインターをやめようと。

――Uインターの誰かに相談はしたんですか?

長井 いや、Uインターでそんな相談できるような人もいなかったし、あまりにも皆さん先輩だから。同期の垣原くんを巻き込んでも迷惑がかかるなって思ったんですよ。でも、何も言わないでやめるのもイヤだから、事務所にだけは挨拶に行ったんですよ。事務所に鈴木健さんがいたのかな。やめることを話したら「ちょっと待ってろ」と言われて。ある先輩が事務所に来て「長井の思っていることを全部聞いてやるから話してみろ」と。だから自分の思ったことを全部言ったんです。プロレスのリングでなぜ立ち技をなんでやるのか。UWFの試合をしたいから、つらいこともガマンしていたし、耐えてきた。「思っていたよりもプロレスの方向に行くのは違うと思います」と言ったら、その先輩から「黙って聞いてりゃいい気になりやがって」と怒られました(苦笑)。

――うわー!! 言われたとおりに吐き出したら怒られる理不尽さ(笑)。

長井 ボクはもう黙るしかなかったですよね……。それで話は終わりました。

――長井さんとしては競技に近いスタイルをやりたかったんですか?

長井 ボクはバリバリのプロレスファンなんですよ。背がちょっと高いからこの世界に入れただけだし、シューティングジムに入ったのも、前のインタビューで話したように全日本に入ろうとして(ジャイアント)馬場さんと面談したときに「何かやったほうがいい」と言われたからで。ただ、シューティングジムに通ったり、シュートボクシングで試合をするようになったから、格闘技路線寄りだったかもしれないですね。

――新生UWFでデビューできていれば、また考えが違ったのかもしれないですね。

・前田日明とマンツーマントレーニング
・プロレスと格闘技の狭間をいったリングス
・ゴルドー戦は“完全競技”だった
・試合後の揉め事は日常茶飯事
・リングス最大の貢献者はヴォルク・ハン
・リングスオランダのヤバさ……続きはこのあとへ

【過去記事まるごとセット/2023年11月】
鈴木千裕、斎藤裕、長井満也、北岡悟、笹原圭一、太田真一郎、シュウ・ヒラタ、斎藤文彦ほか。コラムもたっぷり!

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