昭和・新日本なら小川直也vs橋本真也の事件は起きていない■AKIRAインタビュー④
野上彰として新日本プロレスでデビューしたAKIRAインタビューシリーズ第4弾。今回は格闘プロレス全盛時代に迷えるAKIRA……(聞き手/ジャン斉藤)
☆この記事は2021年5月に掲載されたものです
―― JJジャックスを解散して平成維震軍に入ってから環境は変わりましたか?
AKIRA ちょっと楽になりましたね。必要とされてるところで、やりがいは感じましたし。あと合同練習も本隊の時間には出なくてよくなって。
――馳(浩)さんや(佐々木)健介さんが道場を仕切るようになってからは管理的になって居心地が悪くなったみたいですね。平成維震軍の合同練習はどんな感じだったんですか?
AKIRA やることは本隊とは変わりないですね、基礎体力から何から。やることは一緒なんですけど、気持ち的には楽で(笑)。
――居心地がいい(笑)。平成維震軍の合同練習は誰が仕切ってたんですか?
AKIRA いちおう越中(詩郎)さんではありましたけど、小林(邦昭)さんもいましたし、誰という感じではなかったですね。
――巡業のバスも本隊とは別だったんですよね。
AKIRA 小型のコースターでしたね。同世代は(齋藤)彰俊くんと小原(道由)くんぐらいで……。
――他には越中さん、木村健悟さん、小林さん。
AKIRA 巡業バスの中は、しみったれた話ばっかりでしたね。身体のどこが痛いとか故障の話とか。みんなどこかしら身体が悪いし、体調もよくないから健康食品の話ですよ(笑)。
――ハハハハハハ! リアルな日常があったという。
AKIRA あとは「副業をどうしようか」「こんな金儲けがあるんだ」という話ばっかりで。一時ね、新巻鮭を売ろうという話があって(笑)。
――全然、維震してないですよ(笑)。
AKIRA 新巻鮭一本800円で仕入れられるから、それで商売しようと。巡業先でどこかの会議室を借りて話し合いましたからね(笑)。
――平成維震軍の新巻鮭会議!
AKIRA 結局、実現はしなかったんですけどね。
――当時の新日本プロレスって給与面の待遇はそんなに悪くなかったですよね。
AKIRA いま考えればそうなんですよね。全然もらってましたよね。 なんだかんだ木村健吾さんも長者番付に載ったことがある人ですし。それはプロレスの収入というよりは、マンションをうまく転がして時代に乗っかった感じですけどね。資産になると、けっこうな額になったんじゃないですか。その頃の木村さんは寿司宅配の事業をやってましたからね。
――当時だと早すぎますね!(笑)。
AKIRA いまだったらバッチリですよね。そのシステムの走りだったかもしれないですけど、そこそこでやめちゃいましたね。
――木村さんは夫婦揃って政界にも進出されていたり。
AKIRA 奥さんが尻を叩いてうまく乗っかって。
――藤波さんもそんな感じですよね。新日本でいえば、木戸修さんもなんかもアパート経営をやられてて。
AKIRA ああ、木戸さんはお手本ですねぇ。上手に資産形成してて。
――プロレスラーって実業家志向ですよね。
AKIRA いやあ、当時はそうでもなくて。たとえばレスラーが何かお店をやるんしても、ボクらのあとの世代が多くて。どこかで社会経験があったうえでプロレスをやる人が多かったから、そういうビジネス展開が上手にできたんでしょうね。ボクなんかはプロレスはそんなに長いあいだやってけないんだろうけど、「なんとかなるだろ」と漠然と思ってて。実際に副業の行動に移すのは難しかったですよね。
――怪しい事業計画は持ち込まれませんでしたか? 猪木さんや橋本(真也)さんなんかはその手の話が多くて。
AKIRA ああ、そういう話に乗っかってましたよね。結局、新巻鮭の話も怪しいルートだったんじゃないですかね(笑)。
――たしかに怪しいです(笑)。平成維震軍って人気があった頃は単独でシリーズをやってましたよね。
AKIRA ボクが入った頃はやってなかったですね。単独でやってても成功してたみたいですけど。
――いわば新日本プロレスの2リーグ構想で。
AKIRA ボクらの頃は平成維震軍もUインターの対抗戦に駆り出されたりしてましたね。 越中さんと高田さんの試合が目玉カードになったり。
――高田さんがIWGP王者として越中さんを迎え撃ったUインターの武道館大会ですね。
AKIRA ボクの場合はUインターとは2試合そこらしかやらなかった気がしますけど。 目のケガがあったんですけど、彰俊くんに蹴りの防御を教えてもらったりして。 日本のプロレスはこういうスタイルでもやってかなきゃいけないんだな、 ここで食っていくならやっていくしかないと。
――格闘スタイルに対応しなくちゃいけないと。安生(洋二)さんとは新日本前座以来ですよね。
AKIRA 安生さんは本隊とがっちり絡む感じで。 まあ平成維震軍とUWFだと火の付けようがないですよね(笑)。
――安生さんって格闘スタイルだけじゃなくて普通のプロレスもすごかったですよね。
AKIRA プロレスIQが高いというか、とっても素晴らしいですよね。
――UWFにいたのがもったいないというか。
AKIRA プロレスの本質をそっち(UWF)に求めちゃったんでしょうけど、そういう時代だったんでしょうね。 のちの『ハッスル』も安生さんが絵を書いていたところはあったと思うんだけど、いまの時代だったらもっとハマったんだろうなって。
――それでAKIRAさんは1998年に第一線から退きますよね。
AKIRA いつだったか忘れちゃいましたけど、巡業の帰りのバスの中で木村さんと「やめようと思います」「なんでやめるんだよ。いま何歳だ?」「33歳です」なんてやりとりがあって。自分の限界を感じちゃったというか……UWFとの対抗戦なんかにしても、もう一歩踏み込めていたところがあったんですよ。
――そこは目のケガが……。
AKIRA そうですね。昔は張り手なんかもいくらもらっても全然平気な自分がいたんですけど……。本隊も道場にボクサーを呼んでボクシングの練習を始めたんですよ。このままだと居場所がないかなと。
――新日本の格闘技色がどんどん強くなっていったんですね。
AKIRA そうですね。 やっぱり日本のプロレスはこういう流れなんだろうし、目のケガもあるし、これ以上プロレスをやっちゃダメだなと。 役者をやるんだったら若いうちのほうがいい。40過ぎてプロレスを引退してからだと難しいんじゃないかなと。 それで契約更改の席で「契約はしません」と。
・プロレス情報公開の波
・入る団体を間違えた
・決死の蝶野正洋
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・「昔の新日本なら起きなかった」(高野拳磁)
・猪木さんはお父さんだった」(ジョージ高野)……このあとへ続く
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