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【プレイバック】佐山聡に鉄拳指導された当事者が語る「地獄のシューティング合宿」

★2019年1月にDropkickメルマガで掲載された記事を再録します

格闘技ファンなら一度は目にしたことがあるはずの「地獄のシューティング合宿」動画……シューティング創始者の佐山聡に「殺すぞっ!!」と喝を入れられた当事者の阿部勇司さんが取材を受けてくれました! 地獄のシューティング合宿で何が起きていたのか?(聞き手/ジャン斉藤)

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――佐山聡先生の「本気で蹴ってみ?」動画の当事者に取材できるとは思いませんでした!

阿部 じつはあの動画の存在を知ったのは2〜3年前のことなんです。いまはホワイトボックスという主に医療機関の経営を支援するコンサルタント会社で働いているんですが、シューティングをやめてから格闘技をそこまでチェックしてなかったんですけど、ボクの知り合いが「これ、オマエじゃないの?」と。

――ああ、そうだったんですか。あの動画は昔から超有名なんですよね(笑)。

阿部 そうみたいですね。先日斉藤さんがツイートであの動画を触れられていたので、おもいきって名乗り出てみたんですけどね(笑)。

――ありがたいです! 阿部さんはいま何歳なんですか?

阿部 いま46歳ですね。シューティングをやっていたのは19歳のときですから、26年前の話になっちゃいますよね。

――どういう経緯でシューティングを始めたんですか?

阿部 もともと高校でレスリングをやってたんですよ。横浜高校のレスリング部なんですけど。

――おお、横浜高校レスリング部といえば由緒正しいですね!

阿部 鈴木みのるさんの4つ下で、宇野(薫)くんの3つ上。学校は違いますけど、同期でいえば山宮(恵一郎)ですね。

――パンクラスで活躍された山宮さんですね。当時の横浜高校って評判が悪いというか……(笑)。

阿部 面白かったですよね(笑)。ボクらの代は平和でしたけど、鈴木さんの頃は全盛期で。いまはレスリング部はなくなってますけど。なぜレスリングをやったかといえば、もともとウチの父親がボクシングをやっていて、後楽園ホールにボクシングを見に行ったりしてたんですよね。でも、中学のときにプロレスを見て高校ではレスリング部に入ろうと。慣れておくために木口道場に通ったんですよ。

――あの当時の木口道場ってヤバくないですか?(笑)。

阿部 まあ中学生だったので、そこまで危ないことをさせられませんでしたけど(笑)。朝日昇さんがいましたね。その後は「奇人」と呼ばれてましたけど、普通の方でした。週1回、三軒茶屋のスーパータイガージムにも行くようになったんですよ。

――シューティングの色が濃い中学生ですね!

阿部 そのときは中村(頼永)さんや北原(光騎)さん、平直行さんがインストラクターではなかったですね。横浜高校に入ったときが鈴木さんが新日本プロレスでデビューするときで。ボクもプロになりたかったんですけど、身長がそこまで伸びなくて。当時はプロの格闘家といえばボクシングしかなかったので、どうしようかなってときにシューティングがプロ化されたので「これだ!」と。大学進学は考えてなくて、1日も早くシューティングをやりたいなと。ホントは高校も行きたくなかったくらいなんですよ、当時は(笑)。

――ハハハハハハ! ずいぶんおもいきりましたね(笑)。

阿部 それで成田の関島(康人)さんのところで練習することになりまして。

――関島さんといえば、修斗初のチャンピオン(ミドル級)ですよね。いわば総合格闘技史上初の王者で、関島さんが戴冠したときは佐山先生が「これが真剣勝負のチャンピオンです!」と涙したという伝説のシューター。

阿部 関島さんは人間的にも凄かったというか、成熟されてましたよね。当時まだ25、26歳だったと思うんですけど。

――それにしても練習場所はどうして成田だったんですか?

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