最高のプロレスラーだった曙さん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は最高のプロレスラーだった曙さんです!
――今回のテーマは先日お亡くなりになりました曙さんです。世間的にはどうしてもボブ・サップにKO負けしたイメージが強くて、そのあとプロレスで大活躍していたことはあまり届いてないんですよね。
小佐野 そうなんだよねぇ。おくやみ記事を見ても、ほぼプロレスラー曙としてフィーチャーされてなかったことが非常に残念だった。
――プロレスラー・関係者の追悼ポストを見ると、曙さんのいい話や人柄が伝わるものばかりで、プロレス界には大きな足跡を残していたことがわかるんですけど、ニュースになるとプロレスよりは相撲や格闘技だったという。
小佐野 大相撲の横綱だったことが大きな見出しにはなるのはわかるんだけど、そのあとの格闘技のイメージが強いんだろうね。たとえば「プロレスで三冠ヘビー級王者になりました」というニュースは出てこない。
――曙さんが三冠王者だったことを知らない人のほうが多いかもしれないですね。曙さんのプロレス転向話を聞いたときはどう思われました?
小佐野 K-1に出ていた曙さんが2005年のWWEの日本公演で挨拶をして、レッスルマニアでデビュー戦をなし崩し的にやったじゃないですか。
――ビッグショーとの相撲マッチがプロレスデビュー戦なんですよね。
小佐野 W-1でグレート・ムタとやったあとに、全日本プロレスで正式にプロレスラーとして活動を始めた。ボクはあそこが彼の本当のプロレスデビューだと思ってるんですよ。
――レッスルマニアやムタ戦は違うと。
小佐野 だって、それまで受け身も何も教わってなくてリングに上がってたわけだから。ムタ戦のあとに全日本の道場で教わった。そのときのコーチはカズ・ハヤシだったんですよ。カズ・ハヤシから受け身やロープワークとか、いわゆるプロレスの基本的なことを教わって。本人いわく「自分は相手をロープに飛ばすほうで、飛ばされることはないんだけど、やろうと思えばちゃんとしたステップでロープワークできますよ」と。受け身に関しては、とくに後ろ受け身はキツかったらしいですよ。
――やっぱりあの巨体ですからねぇ。
小佐野 あとはコーチがジュニアヘビー級のカズ・ハヤシだから、どうしても横綱の体型と合わないわけですよ。あの当時に全日本に参戦していたジャマールやジャイアント・バーナードから聞いたら一発でできるようになったみたい。「彼らに教えてもらったら、後ろ受け身が取れるようになったから、やっぱり身体が違うとプロレスも違うんだなって思った」って。横綱にとってプロレスのイロハを教わったのがカズ・ハヤシだけど、大きな身体の使い方を学んだのはジャマールやジャイアント・バーナード。しかも練習パートナーがまだデビュー1年も経っていなかった諏訪魔だったこともよかったのかもしれない。曙さんの相手ができる日本人はなかなかいないからね。
――大相撲からの転向組は多かったんですけども、横綱クラスになっちゃうと大物すぎてうまくいかなかったこともあって、曙さんの期待値は正直あまり高くなかったところはありましたよね。
小佐野 たとえば輪島さんは本当に必死にやったんだけど、38 歳で全日本入団という年齢的な壁があった。北尾(光司)さんの場合はちょっとプロレスを舐めてたかなあ。「本気でやったら俺のほうが強いよ」って自信がありすぎたのかな。
――北尾さんがプロレス界で起こしたトラブルの根っこはそこですもんね。
小佐野 たとえば天龍さんにしたって前頭筆頭からの転向だから「ケンカだったら俺のほうが強いよって昔は思っていた」っていうし、あの田上明は十両まで昇進したけど、十両もなかなかなれるもんじゃないからね。
――要は選ばれし者としてのプライドが高かったってことですよね。
小佐野 田上より2ヵ月早く入門してた小橋建太は勝手にライバル視してたんだけど、田上にしてみれば年齢も違うし、そこらへんのアンちゃんと一緒にしてくれるなよって思うのは当然でね。逆に曙さんはうまくプロレスに順応したし、横綱として偉ぶった感じがまったくなくてすごくフランクな人だった。感心したのは第64代横綱が自分より若いプロレスラーに対して敬語を使っていたこと。「さん」づけで呼んでいた。曙さんからすれば「プロレスでは向こうのほうが先輩でしょ」って割り切りができていた。そうはいっても、なかなかできることじゃないんだけどね。
――K-1で負けが続いたことで「プロレスに懸けるしかない」という姿勢がそうさせたんですかね?
小佐野 いや、そういう必死さではなかったかなあ。もともとそういう性格だったんだろうし、純粋にプロレスを頑張っていたって感じかな。もともと子供の頃はハワイでプロレスを見てたって言ってたから。たとえばロック様(ドウェイン・ジョンソン)のお父さんのロッキー・ジョンソンやドン・ムラコの試合を見ていたし、やるつもりのなかった相撲よりプロレスのほうが馴染みがあったと。
――相撲をやるつもりはなかったんですね。
小佐野 彼はバスケットボールのスカラシップでハワイの大学に進んだけど、ホントは勉強したいのにバスケしかやらせてもらえないってことで大学をやめちゃったんだよ。曙さんは大学でホテルの経営学を学ぼうとしてたんだよね。ほら、ハワイは観光地だから。そんなときに東関親方(元・高見山)から声がかかって、「日本語を覚えるために日本で相撲をやろう」と。
――バスケをやるのはホテル経営学、相撲は日本語学習のため!(笑)。
小佐野 相撲で成功しなくても、3年くらい住めば日本語を覚えられる。ハワイに帰って観光の仕事をやるときに、日本語ができたほうがいいという理由だったみたい。新弟子は電話番もやらなきゃいけないから日本語が喋れないとどうにもならない。実際に1ヵ月で喋れるようになってたって言っていた。
――日本語習得が理由だったのに横綱まで登りつめたんだからすごい!(笑)。若貴兄弟というライバルにも恵まれたこともあって相撲ブームが起きましたね。
小佐野 若貴と一緒だし、あと力皇なんかも一緒だったはずだよ。
――いまは奈良でラーメン屋をやっている力皇さんですね。車が店に突っ込んでシャッターが破壊されてしばらく休業を強いられて大変だったみたいですけど。横綱はK-1デビューする前、天龍さんのWARに入るはずだったそうですよね。
・WAR入り断念の顛末
・マネージャーをつけなかった理由
・貴乃花との再会舞台裏
・曙と元子さん、『王道』設立の真相
・馬場元子バッシングに思うこと……続きはこのあとへ
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