ゼロワン、WJ、ビッグマウス・ラウドの浜辺■臼田勝美インタビュー⑤
臼田 インスタのコメントで永田(裕志)さんがこのインタビューを読んでますよ、と。
――あ、そうなんですか(笑)。
臼田 永田さんも藤原組の道場に来たことあるような気がするんですけど。石澤(常光/ケンドー・カシン)さんと一緒に藤原組の忘年会には来てましたね。
――試合に出るだけじゃなくて出稽古もされてたんですね。
臼田 そうですね。藤原さんが新日に出たときに、永田さんや石澤さんはまだ若手で。関節技とかUWFスタイルに興味あったから「練習に行かせてもらっていいですか?」っていう話だったと思うんですけど。
――藤原組の後楽園ホールで、藤原組長と石澤さんのシングルマッチが固い試合になったと言われてますよね。
臼田 あのとき藤原さんは風邪で調子がすごく悪かったのかな。試合前に薬を飲んだら頭がボーっとしちゃってまた悪くなっちゃって。その状態で石澤さんとやって30分ドローになって。
――組長って当時40代ですよね。20代バリバリの石澤さんとフルタイムやるって相当すごいですよ。
臼田 そうっすね。あの頃の藤原さんは44、45歳だったと思うんですけど。その頃の練習はだいたい俺が相手で、いつも1時間はやってましたから。俺がデビューした次の年くらいかな。練習で初めて藤原さんから取ったんですよ。そしたら藤原さんの顔つきで変わって、ぐっちゃぐちゃにやられましたけど(笑)。練習が終わったあとに藤原さんが「ありがとうな。オマエみたいな奴がいるから、俺もまだまだサボれないなと思って練習を続けられるんだよ」って。
――いい話です!藤原さんって何事にも粋ですよね。
臼田 あーだこーだ口で説明しないで背中で見せてくれますよね。ああいう男にならないといけないって憧れます。
――前回のインタビューの続きですけど。バトラーツが終わって新生バトラーツが始まりますが、それもあまりうまくいかず……臼田さんはフリーになったんですよね。
臼田 フリーになってからは、とりあえずゼロワンに参戦するというかたちで。橋本(真也)さんとはゼロワン事務所の社長室で2人で話をして。「レギュラー的に参戦して協力してくれ」って話だったんです。2シリーズは出たんですけど、そのあとゼロワンの選手の数がどんどん増えちゃったし、坂田(亘)選手がちょっと前から参戦してて。キャラクター的にUWFスタイルっぽい選手はもういいかってみたいな感じになったんですかね。なかなか呼んでもらえなくて。
――他団体には売り込まなかったんですか?
臼田 それが……橋本さんといちばん初めに話したときに「オマエもフリーだから、他の団体の試合に出ることには何も言えないけど、あまりヨソで変なマッチメイクや、変な選手に負けちゃったりとなるとウチが使いにくくなるから、そこだけは自分で考えてやれよ」と言われて。自分は「ゼロワン一本で行きます」ってことで動かないで待ってたんですけど……オファーがなくなって。
――どれくらい持ってたんですか?
臼田 とりあえず、3ヵ月、4ヵ月ぐらいずっと待ってたんですけど。橋本さんに話を繋いでくれたのは山口(日昇)さんだったんですよね。
――当時カミプロの編集長でバトラーツとゼロワンと仲のよかった。
臼田 ノビーに「お金も底をついてきちゃって生活も厳しいから」と連絡したんですよ。
――臼田さんのほうからゼロワンに連絡できなかったんですか?
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