嘘でもよろこぶ人はいる

嘘はダメ。
んなことは分かってるけど、その嘘で喜んでくれる人がいたら、いいんじゃないの。
こんなこと書いたら「嘘つき野郎」と思われそうで怖いけど、少なくともニュアンス的には「騙す」ではない。

そりゃあ、偽善以外のなにものでもない。
下からみても上からみても、斜め後ろからみても、偽善。
人によっちゃ「個性がないバカ野郎だ」なんていう人もいるかもね。
だって、下手したらなんでも「いいね!」と言うことになるんだから、個性なんてところじゃない。

ただね、乱暴な言い方をすると、やっぱり人を楽しませたり、喜ばせたりすることは、たとえそれが本音じゃなくても、純度は高くないけど気持ちよく感じてるのも否定できないしね。

Instagramで「いいね!」と思ってなくてもいいねを押してる人だってたくさんいる。ほんとの話、いいね!されて気を悪くする人なんていない。

この話はツッコミが絶えないし複雑になりがちだから、これ以上じぶんの考えたことを書かないけど、いいね!されて気をよくする人がマジョリティーなことは忘れちゃいけないね。

偽善を100%肯定できるほど、まだまだじぶんの器は大きくない。
でもどっかに、少しはそんなゆとりがあっても悪くないんじゃない。

「本音を我慢できる自分」を「本音を流せる、ゆとりのある自分」と思ってみるのもいいかもね。

この態度が、怠慢なのか、真剣なのか。。

結局、まだよく分かんねぇや。
考え中なので、またしばらくしたら同じようなことを書くと思います。




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