誕生日に思うこと

家族で「家族間の悪口」や「家族の中でマウントを取る」というのは
普通のことだと20歳ごろまで思って過ごしてきた。

何もないけど
穏やかな時間を過ごすというのは
いわゆる「平凡」というのは
アニメやドラマの世界だけだと思ってた。

大袈裟に言い過ぎかなぁ?
いや、そんなことないと思う。

毎年、誕生日の前後は体を崩しやすい。
花粉症が最盛期を迎えるせいもあるが、
それだけではない。

この頃になると
自分の存在意義がなんなのか?
考えてしまうからだ。

小さい頃、物心ついた頃には
家の裏に住んでる祖父母の家に毎日行くのは当たり前で、
母方の祖母宅に行くことや、
母と2人で出かけたことなどは内緒で、
聞かれても「うん」と答えてはいけないという
演じる幼稚園児でないといけなかった。

母はよく
「結婚式で、姑に土下座させられた、
成田離婚(新婚旅行後、即離婚)したらよかった」
「私が生まれる前、同居中、
妊娠してても、病気ではないから
雑巾掛けや掃除は当たり前。
出来てなかったら、正座させられ、
バケツで水をかけられる」
あまりにも姑が母を怒鳴るので
祖父が慌てて、母を抑えた。
「殺される」と窓から叫んで、
そんなんだったら、「離婚したら良いのに」と中学生頃に言うと、
「あんたらがいて、家族は父もいないと。
祖母に『どんなことがあっても離婚はしてはいけない』と言われたし」

など小さい頃から聞かされた。

だから小さい頃思ってたのは
「私は生まれなければ良かった」
だった。
だって生まれてこなければ、離婚できるチャンスもあったはずだ。
こんなに母も苦労しなかったはずだ。
私が生まれたせいで…。
なんて思ってた。

今、子どもがちょうど幼稚園児で
嘘もつかず、私と環境が違うからか
のびのび育っている。

子どもが
「ママの誕生日」と喜んでくれる声や姿を見て、やっと家庭での誕生日の良さを知った気がする。

ケーキをホールで買って
ハッピーバースデーを大きい声で歌う。
お誕生日おめでとうと言う。
平穏で楽しい時間を過ごす。
そんなささやかな幸せが
今やっと過ごすことができた気がする。

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