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02話-高田城ブルー祝賀飛行と春日山城

みちのくのエスカルゴ号車旅

2日目 2022.04.09

糸魚川ひすいの湯を出発し高田城址公園と春日山城址へ

 この日のために昨日は02時に岐阜の家を出た。だから一宿の世話になったひすいの湯駐車場を 0530 に出発し東進開始。

直江津の西 10km から

 0610 直江津の西 10km 地点から東方を望む。高台道路わきの駐車場奥の半島のように見えるのは、平地の手前にある山塊で半島ではない。これこそが上杉謙信の春日山城址に連なる山塊である、この日の目的地の一つでもある。
 なるほど謙信の軍が富山方面以西に進出するには親不知の断崖を通過するよりほかになかったことが理解できる。

0650 高田城址公園駐車場にエスカルゴ号到着

高田城址公園桜祭りとブルーインパルスの祝賀飛行予行

 この日は 11時からブルーインパルスによる高田城址公園桜祭り祝賀飛行の予行日だった。だから謙信の春日山城址を先に散策する時間は基本的にはあるのだが、高田城址公園の様子が不明だし、武漢熱禍の収まり傾向の中のお祭り開催であり天気も良く、抑圧され我慢していた人々がどっと繰り出すと予想される。一応近傍の駐車場は調べてあるが早く到着するにこしたことはない。
 で、0650に着いてみれば未だ車両制限は施されてなく、するすると公園中央の駐車場に進入できた。多分この特等地だと車は夜まで離脱できなくなるだろうと予想されたが是非もなく、謙信公の春日山城址は明朝でも問題なく、そのまま投錨駐車することにした。それではと車窓の景色を楽しみつつ車内で朝食の準備をして喫食し、高田城址公園の散策開始!

高田城址の三重櫓、初代城主は家康の6男松平忠輝
平城の高田城には天守閣なく石垣もない
奥の稜線は妙高山から新潟焼山に連なる山塊、手前は関川を利用した外堀
ブルーインパルス6機が描いた「サクラ」

 公園の桜を堪能した頃ブルーインパルスがやってきた。その動画⇩

ブルーインパルス現地派遣隊員によるトークショー

 会場で隣におられたブルーファンの青年とそのお父さんから、事前配布の入場券をもらいその流れでブルー飛行の後は、ブルー飛行隊たる松島の第4航空団第11飛行隊の飛行隊長以下現地派遣メンバーのトークショウの会場へ。

ブルーインパルス現地派遣隊員によるトークショー

 上の写真は動画からキャプチャーの切り貼りで鮮明さに欠けますが、左端が司会を務めた航空ファン編集次長の神野さん。
 その神野さんがブルーとそのメンバーの魅力を引き出してくれる。国民とブルーとのこのような交わりの会は大切であり、彼らの大事な任務の一つだ。
 隊員左から2番目はソロ6番機訓練中の加藤1空尉。飛行会場でナレーターを務めた。溌剌としていい声だった。トークショーでファンの子どもから質問があった。ソロの演技で何が難しいですかと。
 加藤1空尉はスローロールですと答える。6番機現役師匠の真鍋1空尉に比べ 360度捻るのにどうしても数秒早くなってしまうのだそう。
 実際、精緻な演技は舵を極限まで使う(バンバン制御)ようなアクティブな飛行とはまた別の難しさがある。ほとんど息を止めて飛んでいるだろう。呼吸すれば微妙に操縦桿が動く虞がある。全ての象限で高度、方位、旋転レイトを変えることなく軸線を通し飛行させる(3つを変えることなく軸線も変えないのは矛盾だが)、静の激しい(本来あるべき4つの変数を務めて静謐に、妥協させ一致させる)極値の飛行なのだ。スローロールを見ればその人が分かってしまう。赤裸々な演武の静と同じだ。そのことを加藤1空尉は話したかったのだと思った。

 そうそうトークショー会場の座席は指定されており、トークショーの最後にブルーから抽選でプレゼントが渡された。その抽選に私の座席番号も当選してしまったのだが、これは入場券を私にくれたブルーファンの青年にお渡しした。青年の喜んでくれたことに私も喜んだ。

 トークショー会場を出て歩き出したらたまたまだが、同じく会場を別の場所から出たブルーメンバーと航空ファン誌の神野さん、そして私の経路が交差した。神野さんに声をかけ近況を交換する。
 航空ファン誌の杉山さんが今夜ここに来ると知った。このままこの桜祭り中心地に停めたキャンピングカーを出せなければ、お会いできるなと思った。杉山さんにも無沙汰つづきだ。

高田城址のこと

 高田城は天守閣も石垣もない平城で初代城主は家康の6男松平忠輝(ただてる)であることは写真の説明に書いた。

 時を経て日露が戦った。不凍港を求め南下膨張せんとする露、この要求は今も変わらず彼の国が持ち続けていたことは、今次宇への侵略戦争を見ればよく分かる。日本は列強の植民地にならなかった数少ない後進の国だった。そのことこそが維新の大きな意義だったといってよい。戊辰西南と悲しい犠牲はあったが、最少の犠牲で国体を護り列強国と相まみえ得た。そこにいま新たに露の大軍南下の兆しがあった。傍観すれば飲み込まれてしまう。それは宇への無差別な殺戮をみて分かるように、当時の日本人も大変に恐れていたことである。国体を維持するため、国民の命を護るため、乾坤一擲の戦いに臨んだ。全ての戦力を大陸に派遣した。本土駐留師団が不在となった。
 そこで急遽4個師団が新編された。その一つが第13師団だ。

 樺太は逐次露に蝕まれ明治8年(1875年)の樺太・千島交換条約締結により、300年にわたる日本人の努力は水泡に帰し、以後樺太全島はロシアの流刑地となる。いま露に拉致された宇の人々はシベリアなど辺境の地に流されている。樺太が流刑地と云うのはそうで、その地に露が支配できる民を送り込み占領をより確かのものにし、自分の祖国を忘れさせ抵抗の意味がないことを強制する、露の国策の方向性が変わっていないことが理解できよう。
新設13師団はその望まなかった条約で喪失していた樺太占領の為、明治38年(1905年)師団の上級部隊である軍に属しない、独立師団として派遣され樺太を奪還し、戦後南樺太は日本に復帰することとなった。そしてその翌年同師団は常設師団としてこの地に配置されたのだ。

高田城址公園に置かれている第13師団に関する説明看板
第13師団司令部前営門の風景
第13師団司令部前の営門がこのように残されている

 そしていまは高田城址公園南東の一画に、陸上自衛隊高田駐屯地があり普通科(歩兵)連隊と施設群(工兵)が駐屯している。余談だが駐屯である。海空自衛隊は基地と云う。そこに拠って任務遂行する。駐屯は仮の屯(たむろ)地でそこに拠ることはない。だから施設に充当される予算の差は歴然としていた。一目で待遇の良し悪しが分かってしまう。だが正面装備と弾薬類の備蓄等々、これで国土防衛ができるのかと思えば、待遇の優劣などさほど問題に思わなかったのも事実だった。

陸上自衛隊高田駐屯地

日没と競争の春日山城址

 航空ファン誌の杉山さんのことも気になるし、岐阜の友人 YouTuber の @TONK298 さんも近傍で撮影していて、明日の本番ブルー飛行に備えここに来ると云う。
 これはここに泊まりだな考えながらエスカルゴ号に戻ったら、警備員が誘導するので車を出してくださいと。この人出状況だと出たら戻れない。決心変更1536。目指すは春日山城址。この日の日没時刻1816、あと2時間40分。

春日山城址俯瞰図

 謙信公銅像にごく近い山頂に一般駐車場がある。まさかの満杯。もう一つ城址入り口売店前の駐車場がもっとも近くにあるのだが、元気な私が使っては申し訳が立たぬ。山麓の駐車場まで、標高で 65m 距離で600mを後退して徒歩前進再開。停めたエスカルゴ号から春日山城本丸山頂まで比高差 155m 距離1.2km。城址で散策のゆとり時間を持ちたい。だから坂道を駆け上る。

上杉謙信公像
空際線の台は三の丸
本丸からの景況
本丸西側直下の井戸、今も水を湛えている
山麓の駐車場から馬上の謙信公をとおし空際線上に透かし見る春日山城址

 いささか呼吸が激しいが、日没との一人相撲に勝った。春日山城址一連の景況を動画でどうぞ⇩

2日目の夜は温泉鵜の浜人魚館で

 この日は春日山城址から 15kmほどの温泉、鵜の浜人魚館で泊まります。温泉から日本海を望みつつ汗を流し、やはり食堂は閉鎖されており途上で調達した具材で、6番機じゃないがソロ焼肉パーティーです。
 さっぱりして満腹になって、明日の作戦練りつつ、おやすみなさい!

 車移動79km、徒歩7.6km 12257歩

露天風呂から

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