千葉ジェッツとのファーストコンタクト

 初観戦のいきさつ


あれは吾輩が千葉県某市に住んでいた2011年の秋のこと、出かけた先の某大型スポーツ用品店内に「千葉県初のプロバスケットボールチーム!」的な広告が。

吾輩はといえば小4から中学までバスケをしており、NBAで言えばマイケル・ジョーダンがブルズを2回のスリーピートに導いた1993〜1997年頃。当然ながら配信サービスはまだ(少なくとも一般家庭では)影も形もなく、たま〜にBSで放送するブルズの試合を吾輩少年はウキウキで観ていた。なお、隣にいる母親はスティーブ・カーの職人芸的スリーとトニー・クーコッチの甘いマスクにメロメロし、やや田舎臭い風味をまとったルーク・ロングリーを出来の悪い息子を可愛がるように応援していた(白目)。

しかし吾輩は高校・大学では楽器に熱中しており、就職してからもバスケからすっかり離れた生活を送っていた。2000年代のNBAの知識はほぼゼロに等しく、ましてや日本バスケについてはプロを標榜するbjリーグが発足していたことすら知らなかった。

そういうわけで、多少のバスケの経験はあれど大した興味はなく、もの珍しさが勝って船橋アリーナに足を運んだのが、吾輩と千葉ジェッツのファーストコンタクトだった。


臨場感と熱


確か、チケット代は1階自由席で2,000円そこらだったと思う。約4500席のキャパをもつ船アリの座席を占める人はまばらで、悪い意味でまさに「自由席」といったふうに比較的どこにでも座ることができた。そしてコートに近い席に座ったとき、選手と自分との距離があまりに近いことに驚く。

数メートルの距離感だからこそ直感的に伝わる選手たちの大きさ、速さ、迫力はかつて吾輩少年が見たNBAのTV放送からは感じ取れない、これまで体験したことのない臨場感だった。

吾輩は、仕事のつきあいでサッカーJリーグの試合を観にいくことが何度かあったのだが、個人的にあまり面白いとは思えなかった。スタジアムが大きすぎて座席から見える選手が小さく、動きの速さやドリブルの上手さ、フィジカルコンタクトの激しさがどれだけすごいのか、感覚的に分かりにくかったからだ。さらには得点自体が少ないことも、物足りなさを感じた要因だったと思う。

こうした経験から「スポーツ観戦=同僚等との付き合いの場」程度の認識だった吾輩にとって、眼前数メートルの距離で目まぐるしく攻守を入れ替えながら得点を奪い合う両チームの熱は、あまりに刺激的だった。

記憶が正しければ相手は横浜ビー・コルセアーズだったと思う。千葉は試合に負けはしたものの、初観戦の吾輩がチケット代相応の価値を感じるには十分。こうして、吾輩ブースターができあがってしまったのだった。


創設シーズンのジェッツはどんなチームだったのか


ジェッツに魅了された吾輩は、その後足繁くホームゲームに通うようになったのだが、何試合か見ていく中でなんとなく気づいたことがあった。

「ジェッツ弱いな」

当時は常時on3のレギュレーションで、ジェッツではSG/Fポジションの外国籍2枚看板(モリース・ハーグローとジャメル・スタテン)がチームを牽引…といえば聞こえはいいが、より正確に言えば得点を依存してしまっており、毎試合2人で40〜50点は取るけどチームは負ける、というのがお決まりのパターンだった。

ペイントゾーンを担うセンターのジョージ・リーチもシーズン早々に怪我で離脱してしまい、何人か入れ替わった後釜のビッグマンではチームケミストリーの構築には至らず。ディフェンス・オフェンスともに「チームとしてどうしたいのか?」は伝わってこなかった。

他チームからのスカウティングが進んでないという新規参入チームならではのアドバンテージもあってか開幕後こそスタートダッシュを決めたものの、その後はジリジリと負けが込むようになっていったわけだが、試合内容を見ていればさもありなんといった具合だった。

最終的にジェット機は18勝34敗(全19チーム中17位)に着陸。いやむしろ"crash and burn"(墜落、大破)の方が表現としては正しいか。

同じ年に新規参入した同期チームである横浜、岩手、信州と比べても一番順位は低く(信州と勝率で並んでいたが、直接対決の結果でジェッツが下位になった)、有り体に言ってしまえば弱小チームそのものだった。

吾輩的にはそもそも勝ち負けをあまり気にして観戦していないし、いつも負けてるからこそたまに勝ったときに嬉しいんやでガハハみたいなメンタリティなので順位は別にどうでもよかったのだが、チーム運営的には相当苦しかったようだ。


存亡


勝敗は(無関係ではないが)さておき、ジェッツは初フライトのシーズンから集客とスポンサー集めに苦しんでいた。

この辺については、窮地に陥ったチーム経営のバトンを受けて奔走し今日のジェッツの土台を築いたと言っても過言ではない、現Bリーグチェアマン島田氏の著書「千葉ジェッツの奇跡」に詳しい。

ホームゲームの観客がまばらなのは先述のとおりだが、シーズンを通してそれが改善されはしなかった。

毎試合3Qの終わりに紹介される入場者数は1,200人そこらで、平日開催なら3ケタが定番。いつもどこか牧歌的な雰囲気が漂っていたこの観客席の様子が好きな吾輩ではあったものの、一向に増えない観客数を見てさすがに「このチームはもしかして経営的には苦しいのでは…?」と思い始めた。この推量は結果的に当たっていたことが、先に紹介した書籍でわかる。

弱い。人も来ない。

言い換えれば「世間に価値を認められていない」のであり、このような状況の商売は業種・業態を問わず泡のように消えていく道しか残されていない。ジェッツはシーズン初年度にしてチーム存亡の危機に陥っていた。

あれから約13年。

ホームが新たにららアリに代わり、渡邊雄太獲得も発表したジェッツに対しXでは
「優勝候補が渡邉獲得?つまんねー」「金満チームが渡邉獲(略)」
なんてポストが多数見られた。

吾輩的には「あの終わってるチームがよくここまで…」と、感慨深さと隔世の感、そしてあの牧歌的な会場の雰囲気がすっかりなくなってしまった一抹の寂しさを覚えながら渡邉雄太獲得のニュースを見ていた。

これから新シーズンが始まるまで少し時間があるので、ここに至るまでのジェッツをシーズン別に記事にしていこうと思う。

当時を知る人は懐かしんでくれれば嬉しいし、最近ジェッツを知った人は「そんな時代もあったのね」と多少のマメ知識になれば幸いだ。



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